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「米でプロスケーターに」子どもの頃からの夢を叶えた原動力は「熱中する力」

  • 2022年6月7日
  • レタスクラブニュース


東京2020オリンピックのスケートボード男子ストリート初代金メダリストとなった堀米雄斗さん。
スケートボードが大好きな下町生まれの少年は、どのようにしてアメリカでプロスケーターとなり、金メダリストになったのか…。
今年4月に刊行した『いままでとこれから』では、今までの生い立ちからスケートボードへの想い、アメリカでの生活やオリンピックでの経験などが、本人の飾らない言葉で綴られています。
そこには、ぜひ子どもにも伝えたい、「物事に熱中する力」や「自分を持つ大切さ」といった、夢や目標を成就させるための大切なヒントが隠されていました。

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アメリカでプロになるという夢

憧れの存在だった立本和樹さんがきっかけをくれて、プロスケーターの早川大樹さんのサポートでスケートの世界が広がった小学生時代。
街なかでは、どこかで滑れないかってずっとスポットを探して考えながら歩いていたし、いいスポットを見つけたら滑りに行った。

スケートのビデオパートを見ていても、バーチ(※バーチカル=スノーボードでいうハーフパイプのように半円上のセクションを使って飛ぶスタイル・競技のこと)をやっていた頃とは少し見方が変わって、トリック10だけでなくその人のスタイルも見るようになっていたと思う。

小学生の頃から、お父さんに「スケートの本場、アメリカでプロにならないと本当のプロじゃない」ってずっと言われていたので、『アメリカでプロになる』という夢は小学生でもう固まっていた。

だから早川さんに初めて会って「将来はどうしたいの?」って聞かれたとき、「アメリカでプロになりたい」と答え、「じゃあプロになって、将来はアメリカにプール付きの家を買おう」と約束したことを覚えている。

家族の存在

スケートを始めたきっかけのお父さんと仲が良いかと言われたら、普通。
アメリカと日本で離れて暮らしていても連絡はあまり取らないし、マネージャーさんを通して話すことが多いかも(笑)。

スケボーを教えてくれた人なので今はすごく感謝しているけれど、小さい頃にふたりで滑っているときは、練習が厳しくて楽しくはなかったかな。

先輩や友達と滑っているときは楽しかったし、お父さんに教えてもらったトリックをみんなに見せられて嬉しかったけれど、ふたりきりの練習はどうしても「訓練感」があったので、お父さんより上手くなって自由に動きたいと思っていた。

そしてお父さんを抜いたなと思ったのは、小5くらい。
持っている技を全部教えてもらって、その技ができたとき。
そこからはお父さんから離れて、ひとりで好きに動くようになっていった。

ひとつ、いつも言われていて記憶に残っていることがある。
「挨拶や礼儀はきちんとしなさい」。

これは後からわかったけれど、スケーターにとって挨拶や礼儀はすごく大事なことだ。
挨拶をちゃんとすれば友達になれるし、スケーターにとって仲間や繫がりはすごく大事だから。
お父さんが教えてくれたことは、ありがたいことだったんだなと本当に思う。

一方、スケーターだったお父さんとは反対に、お母さんは最初僕がスケボーをやることに反対していた。

危ないし、プロになれるとは思っていなかったから。
でも大会で勝ち始めた中学生の頃から、スケボーをしていても何も言われなくなったので、たぶん認めてくれたということだと思う。

中2のときに、どうしても僕がアメリカに行ってみたくて、お母さんにお願いしてアメリカに連れていってもらったことがある。本当はひとりで行こうと思っていたけれど、中学生ひとりじゃ行けないからって言われて。

当時は僕もお母さんもアメリカのことを何も知らなかったから、夜ヒッチハイクをして知らない人の車に乗せてもらって、ホテルに送ってもらったこともあった。
今考えると超危ない(笑)。

行きたいパークを決めておいていくつか回り、たまたまVANSパークでやっていたローカルの大会にゲリラ出場したら、ストリートで2位、パークで1位になった思い出も。ふたりでディズニーランドにも行ったなぁ。

お金がかかったので大変だったと思うけど、連れていってもらえて本当に嬉しかったし、アメリカでプロになりたいという想いがさらに強くなった旅だった。

その後、高校も好きなところに行っていいと言ってくれて、たまに厳しいけど、なんだかんだでサポートしてくれる優しいお母さん。

生活のことでお父さんよりは連絡は取るけど、やっぱりそんなに頻繁には連絡は取らないし、スケートのことは全然話さない。

両親ともに、あまり口出しはせずに夢を認めて静かに応援してくれていたから、僕は早くに親離れできたのかもしれない。



スケボーの魅力

スケボーの魅力はたくさんあるけれど、とにかく乗っているだけで楽しいし、友達と滑るともっと楽しい。きっと女の子とデートしたりとか(笑)、ほかに楽しい時間もあったりするんだろうけどそれはまた別の話で、スケボー以上ではないと思う。

何をしていてもスケボーありきで考えて行動しているし、最終的にスケボーにたどり着いてしまう。
すごく痛い転び方をしたときは乗るのが怖い、嫌だなと思うときもあって、怪我をしたときはメンタル的にもすごく落ちるけど、滑れないことの辛さが怪我の痛みや恐怖心を上回ってしまうから、ギプスをつけて滑っていたこともあった。

1週間スケボーなしは絶対に考えられない(コロナによる帰国時の2週間隔離があったときは地獄だ)し、スケボーよりも時間を取られる何かがあるとしたら、それを排除してしまうと思う。

もうひとつ、ルールがなく自由なところもスケボーの大きな魅力。
スポーツと違って練習方法や決められたトレーニングもないし、コーチや監督といった人もいない。
基本的な乗り方やコツは教えてもらえるけど、ある程度覚えたらそこからは自分との勝負になる。

オリジナリティとスタイルがすべてだし、自由に好きなようにやっていいという、スケートカルチャーが大好き。トリックも無限にあって、同じ動きの技でもどのセクションでやるのかで違うものになるし、角が丸いレールと四角いレールではできる技も変わってくる。

ほかのスポーツのように、決まった場所にゴールなどの決まったものがあるわけでもないので、可能性が無限で、本当に奥が深いと思う。

スケボーには終わりがないから辞めることはないし、僕の人生には絶対に欠かせないもの。
現役じゃなくなっても、体が許す限りはずっと乗り続けたい。

憧れるスケーター像

自分が思う「かっこいいスケーター」は、誰もが認める最高のパートを出していて、トリックチョイスもファッションもスタイルもかっこよくて、大会でも勝つ人。

アメリカに来て気づいたのは、かっこいいスケーターは同じようにセンスのいいスケーターと一緒に動いていて、スポンサーもかっこいいということ。スポンサーがつくのはとてもありがたいことだけど、どこを選ぶかというのも、自分の見せ方やスタイルに関わってくるので、すごく大事なんだと感じた。

いま自分は〈APRIL SKATEBOARDS〉(※チームライダーとして堀米が所属するデッキカンパニー)のメンバーとして滑っていて、一番いい場所にいさせてもらっていると思う。
これ以上の環境といったら、もう自分でデッキカンパニーを立ち上げるしかないくらい、人柄もスタイルも尊敬できるスケーターたちと一緒に動かせてもらっている。

人の悪口を言って蹴落としたり、自分の負けを認められなかったりするスケーターもいるけど、そういう人はあまり好きじゃないし、かっこよくない。内面は自分の考え方次第なので、自分も誰かに憧れられるような存在になれたらいいなと思う。



かつてないプレッシャー

どの大会でも、出るからには全員に勝って1位を獲りたいと思う反面、滑るときは自分との戦いになる。

他人と競い合うというよりも、自分に勝てるかどうかが勝負で、いつもの滑りで技を決めたいと思って挑んでいる。だからオリンピックの強化選手に決まった頃は、金メダルを獲りたいという気持ちよりは、友達や家族に自分らしい最高のパフォーマンスを見てもらいたいという思いが強かった。

でも開催時期が近づいてくるにつれ、いままでの大会とは違うプレッシャーを感じるようになった。

オリンピックはSLS(※世界中のトッププロが集まる、スケートボードの最高峰の世界大会「STREET LEAGUE SKATE BOARDING」)などとは違ってみんな知っている大会で、家族や友達はもちろん、新種目ということもあり日本人の多くが注目していて、スポンサーも一番期待している。

スケボー関係以外のスポンサーもサポートしてくれていたけど、負けたらきっと全部なくなるんだろうなと思うと、だんだんと大きな不安と重圧を感じるようになった。

だからもし予選で落ちたら日本にいられないと思って、実は本番の2日後にアメリカに帰るための飛行機を予約していた。後から考えたら、負けても応援してくれたスポンサーへ挨拶に行く時間は必要だったけど(笑)。

でも本当にそれくらい、国を背負う緊張感は別物だった。
プレッシャーを感じつつも、東京でさらに地元で、ということを考えると、東京2020オリンピックは自分の人生でもう二度と来ないチャンス。

次のパリやロサンゼルス五輪ももちろん大事だけど、やっぱり東京で結果を残したい。「金メダルが欲しい」と心から思うようになった。そんな強い気持ちで、7月20日、選手村に入った。

金メダルがもたらしたもの

オリンピック後にスケボーがブームになってくれたことは、少なからずスケボーのかっこよさやおもしろさを伝えられたのかなと思い、とても嬉しい。

その反面、勝ち負けが全てじゃないのがスケートボードだけど、オリンピックで競技性が強く打ち出されたことによって、今後オリンピックのスケートボード種目で「大会スケーター」ばかりが活躍するようになる可能性もあると思う。

特にアメリカほどスケートカルチャーが根付いていない日本では、技の練習だけに打ち込み、大会で高い点数は獲れるけどスケートカルチャーを知らないスケーターが出てくると思う。
でもそれが悪いわけではない。

スケボーは、もともと自由なものだから。それに大会で優勝を目指す子どもたちも、スケートカルチャーをちゃんと知るときがどこかしらで来るはず。

僕はストリートで滑って撮影するのが好きなので、その映像を見て、ストリートの楽しさやかっこよさを知るきっかけになってくれたら嬉しい。そういう自分も、大会で活躍して今の場所まで来ることができたし、自分のスタイルが確立したのも、アメリカに来てからのここ数年の話。

技は何歳になっても磨けるけど、ストリートスケーターとしてのスタイルを確立するには、パークだけでの練習では限界が来て、手遅れになってしまうかもしれない。

もしストリートに興味があるなら、スケボーにはカルチャーがあるということを知ってもらえると、もっとスケボーが楽しくなるし、かっこいいスケーターになれると思う。
そんなスケーターが日本でも増えてくれたら、ちょっと嬉しいかな。



これからもスケボーに乗り続ける

まだまだ自分は理想のスケーターではないけど、自分の人生を振り返ると、ここまで来られたのは自分の努力だけでなく、いろんな人のサポートのおかげだと本当に思う。
ここまで書いたことがもしひとつでも欠けていたら、どうなっていたんだろう。

お父さんにバーチカルで基礎を叩き込まれなかったら?
早川さんに出会わずに海外の大会に出ていなかったら?
Instagramで鷲見さんに連絡を取らなかったら?
シェーンに出会っていなかったら? 

ひとつでも違う道へ進んでいたら、きっと全然違う人生になっていた。
だから今の自分があるのは、いままで関わってくれた人たち全員のおかげ。

もちろん自分の滑りも大事だけど、改めて振り返ると誰にフックアップされて、どう過ごすかはとても重要なことだなと思う。

僕は、運よくいい人たちと繫がれた。スケーターの親のもとに生まれ、幸運なことにSNSがある時代で、初めてスケボーが競技種目となったオリンピックが地元で開催され、それがキャリア的にベストなタイミングで開催されて…ってことを考えると、得体の知れない誰かに導かれているような感覚もある。

でも結局、スケートボードは「自分」だ。
自分のアイデアや想像力が関わっていて、どうなりたいか、どう見せたいかを考えて、それを周りのスケーターやスポンサーが支えてくれる。

僕は友達とスケボーをするのが本当に大好き。だから練習や怪我が辛くても全然大丈夫。頑張れるのは、ただスケボーが好きなだけという、いたってシンプルな理由だから。

僕が目指す理想像は、スケーターにはいない。
例えるならばマイケル・ジョーダンみたいに、前人未到の記録を作ってもどんどんその記録を塗り替え、常に上を目指す人が理想。

周りのみんなは今の自分も認めてくれているけど、まだ何かが足りないことは自分でもわかっていて、もっともっと大きくなるのが今の夢だ。

プロスケーターの誰が見ても驚き、時代が変わってもいろんな人に見てもらえるような最高のビデオパートを出して、〈NIKE〉から自分モデルのスニーカーが出るくらい憧れられる存在になりたい。

誰もできなかった唯一無二なことを成し遂げてスケートシーンの歴史を塗り替え、かっこいいパートも出し続けながら大会では勝ち、記録も記憶も残したい。

もし大会で負けたとしても、「あいつの滑りかっこよかったな、見れてよかった」って言われる、どんな場所で滑っていてもかっこいいスケーターでいれたら最高だなと思う。

2024年のパリ五輪、その次のロサンゼルス五輪も連覇を狙って、スケーターオブザイヤーも獲れたらいいな…って、目標は挙げれば切りがないけど、僕がやることはたったひとつ。

いままで通りスケボーを楽しんで、新しい技を考え続けるだけ。僕からスケボーを取ったら自分じゃなくなるし、きっと何をしてもつまらない。

スケートボードは自分自身だから。いままでもこれからも、僕はスケートボードに乗り続ける。

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『アメリカでプロになる』という夢は小学生でもう固まっていたというから驚きです。
小さいころから「具体的」になりたい自分を明確にイメージしていた堀米 雄斗さん。
「熱中する」ことから生まれる力は想像以上! 「好き」を味方につけた時、人は強くなれるのですね。


●堀米 雄斗:1999年生まれ、東京都江東区出身。スケーターであった父の影響で6歳からスケートボードを始める。10代初めから国内の大会では常に成績上位。高校在学中に海外の大会で上位入賞を果たし、卒業後に渡米。2017年にスケートボードの世界最高峰のコンペティション、ストリートリーグへの挑戦権を獲得、初参戦で表彰台を連発、2018年には初優勝を果たす。2019年にはX-GAMES日本人初制覇、世界選手権でも準優勝。2021年の東京2020オリンピックで正式種目採用となったスケートボードストリートで初代金メダリストとなった。

※本記事は堀米雄斗著の書籍『いままでとこれから』(KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました。

【レタスクラブWEB編集部】

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