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遠慮しながら率直で、率直でありながら遠慮がある二人の付き合い方は、合っている|うさぎの耳〈第六話〉谷村志穂

  • 2023年3月6日
  • 暮らしニスタ

◀前の話 自分だけを無条件で頼りにしてくれることに、無力なはずの自分が全力で応えることだけが私の毎日の意味だった。|うさぎの耳〈第六話〉谷村志穂

ピンクの裾を三段を編み足した後で、糸を引き抜いて止める。

毛糸は八センチくらいだけ残して、先の細い、シルバーのミニシザーでカットする。

ここまで来たら、できたも同然な気になって、わくわくする。毛糸用の針に糸を通して、編み地の裏に何度かくぐらせていく。根元で糸を切ったら、パペットは、テーブルの上に、もうちょこんと自立してくれる。

まだ顔もないパペットなのに、表情があるように見えるのは、自分で編んだ目が愛おしいからだ。

この子の頭飾りは、もう決まっている。

〈理玖、にんじんだけは食べました。妙に気に入っていて、黄色が好きなのかも〉

そろそろ「手掴み食べ」をさせてあげたらどうだろうと、先月になって莉子がメールしてきてくれたことがあった。

赤ちゃんを育てていく中にはいろいろな食べさせ方や、運動のさせ方、早期教育の勸めまでが出てくるのはなんとなく知っている。障がいがあるから、という理由ではなくて、私は理玖との信頼の中で、やりたいことをさせてあげたい。

手掴み食べって、何なのかを訊いてみると、食べられそうなものをお皿に並べて、好きに掴ませてみる、口にも運んでよいとする、という方法のようだった。

莉子がくれるのは、いつも、アドバイスというよりは遠慮がちなお試し案で、時には〈先輩ぶるつもりはないんだ。だって里歩には、やってあげたくてもできないからさ〉とまで書いてくる。

〈理玖でいろいろ試してみましょう。まず、さつまいも、バナナ、にんじん、でやってみます〉

〈バナナにいくね、それは〉

莉子の予想は、バナナ。

喉つまりが心配なので、理玖の小指の先くらいに切ったそれらをお皿に並べて、ベビーチェアに座らせた。首には、シリコンのスタイだ。まだ生まれる前に、隆也と準備していたものの一つ。

果たして理玖は、はじめはじっと見ていて、反応しなかった。私が指を伸ばして口に運ぶふりをすると、理玖はいきなり丸い手でぐしゃっと叩いて、掴もうとした。その時、バナナの感触がぬるっとして嫌だったらしく、手を払って見せた。タオルで拭ってやると、今度は全てをつぶして、皿の上に塗りたくって、また遊び始めた。何度か繰り返し、そっと指をなめた。

そしてついに、にんじんの色味のところを口に運んだ。

うおー、うぉー、と聞こえる驚いた声をあげた。

以来、はじめはにんじんだけを指で器用につまみ、そして、口に運ぶ。黄色の色が気に入っているのかもしれないが、まだ話もできない子どもの能力を一つ知る。飽きてくると、また潰して皿に塗りたくる。

その様子を私は嬉々としてメールで伝えたろうか。次に会った時に、莉子はパペットと同じほどの大きさのにんじんの編みぐるみをくれたのだ。ぷくっとしていて、中には綿のようなものが入っている。

この頃会う時は、里歩ちゃんの入院する病院の近くの公園を、私たちの方が訪ねる。天気の良い日に、ほんの時々しか行けないけれど、楽しみにしている数少ないお出かけだ。

鮮やかな黄色の糸と、緑の葉でできたにんじんの飾り。世界に一つのにんじんの編みぐるみ。こんな素敵なプレゼントがあるだろうか。

「もしかしたら、これもパペットと同じ編み方でできるのかな。はじめの輪っかは、このにんじんの先っぽ?細編みは目が四つくらい?四、六、八、十二と増やしていく、とか?」

「正解!じゃあ、もう美夏さんもできるね。この飾りをね、パペットの頭に横向きに乗せてあげたらどうかなと思って」

「頭飾り!それは楽しいな。でも、聞かなかったら、頭の上に真っ直ぐつけるところだったかも。私、センスない」

「確かに。それはひどい」

遠慮しながら、率直で、率直でありながら、遠慮がある二人の付き合い方は、どちらにも合っているのだと思いたい。

それにしても、素敵なプレゼントをもらったから、にんじん飾りをつけた魅力のあるパペットを編みたかった。色合いは、思い切ってブルーとピンクにしたけれど、バランスはよかったろうか。

私は昔から、人とプレゼントを渡し合うのが、得意ではなかった。どちらが先かはわからないが、もらうのも苦手だった。

女子同士のプレゼント、小さなタオルハンカチや、キーホルダーが、やがてリップクリームやポーチなどになっていった。

お金に余裕のある家に育たなかったのもあって、なんでも不要な買い物に見えて心から喜べなかった。自分が何かを返すのも、考えると憂鬱だった。

 

▶次の話 「ケチだと思われるの、みっともないでしょ」一人一万八千円の寄付金を、義母が財布から渡してくれる。|うさぎの耳〈第六話〉谷村志穂

◀初めから読む 母子の部屋は、一階にあるその角部屋である|うさぎの耳〈第一話〉

谷村志穂●作家。北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの作品がある。映像化された作品も多い。

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