いるべき場所へ(前篇)

  • 2025年5月6日
  • CREA WEB

とびきりのいい女である、「山口」と「こころ」。数少ない大切な友達がふたり、私のもとから去っていく――魔法のない時代に生きる「魔女」たちとの交流を描いたエッセイ、第6回です。(後篇を読む)

「カリフォルニア」

 カルフォルニア?

 最近静かだなとは思っていたが、少し目を離した隙に山口がカルフォルニアに飛んでいた。カルフォルニアなのか、カリフォルニアなのか、そばにいた恋人に聞いてみた。「玄人はカリフォルニア」とのことだった。玄人って、なんの玄人。さらに他の人にも聞いてみたところ「カルフォルニアなんて言ってる人、見たことがない」とのことだった。どうやらカリフォルニアをカルフォルニアと呼んでいるのは私だけらしい。今更カリフォルニアと訂正するのも納得がいかないが、ここは素直に従っておく。山口は私の友達だ。高校の頃の唯一と言ってもよい友達で、互いに自分の家から歩いて10分ほどの場所に住んでいた。実家で暮らしていた頃は夜中に近所の公園で水筒に入れた熱い紅茶と煙草を持ち寄って駄弁ったり、山口のオンボロの軽自動車で日光までドライブに出かけたりしていたが、私が都内に引っ越してからは半年ほど顔を合わせていなかった。山口のほうも、今はどの男のところでなにをしているのかと、毎日のように確認しておかなければならないような奴である。しばらく山口からのLINEを無視していたら、山口の消息はあっという間にわからなくなった。彼氏と別れたという話もあるし、バイトをやめて再就職したという噂もある。実家に戻っているのかもしれないし、同棲を解消してひとりで暮らしているのかもしれない。少なくとも、共通のアルバイトのシフト表から一切の出勤がなくなっていることは事実であった。

 私は、山口が今どうしているのかなかなか聞くことができずにいた。私が「今どこにいるの?」などと聞こうものなら、山口は「アワちゃんがアタシに会いたがってる!」と得意になるに違いない。「アワちゃん、やっぱりアタシがいなきゃ寂しいんだぁ……」などと山口に思われるのは癪に障る。いろいろ考えたあと、できるだけぶっきらぼうな文面で「あんたどこにいんの」とメッセージを送ったところ、返ってきたのが冒頭の「カリフォルニア」だった。山口は今、就労ビザを取ってカリフォルニアに滞在しているらしい。そういえば、ちょっと前にアメリカ人にナンパされたとか言ってたな。まさかそいつのところにいるのだろうか。そんなどこの馬の骨とも分からないアメリカ人について行って大丈夫なんだろうか。去年には、突然花束を贈ってきた見知らぬ男に会いにタンザニアに行くとのたまっていた。山口は168センチの私より長身で、長く美しい黒髪をしている。それゆえか、やたらと外国人に求婚される。結局なんやかんやでタンザニアには行かなかったようだが、そんなテンションで生きていたら、命がいくつあっても足りやしないのではないか。もし山口に文章を書く能力があるなら、きっと私より面白いエッセイが書けるだろう。

山口は彼のところにいたほうが良いのだと、私は思った

 しばらくして日本に一時帰国した山口を捕まえて、地元の焼き鳥屋に行った。「どこまで話したっけ?」という山口に、私は「なにも聞いてない」とふてくされながら説明を求める。山口は長く付き合っていた彼氏と別れ、例のナンパで知り合ったアメリカ人と付き合い始めたらしい。休暇で日本に遊びに来ていたその男に「一緒にカリフォルニアに来てほしい」と言われて、言われるがまま飛行機に乗ってついていったのだという。べつに長く滞在するつもりはなかったようだが、彼は山口が思っていたよりも誠実で、熱烈で、そしてとんでもなく実家が太かった。山口が妹の結婚式のためにこうして一時帰国するときも、彼は「絶対に帰ってきて」と、カルティエのプロミスリングを渡してきたのだという。

「彼が、隣の部屋で電話してるのが聞こえて、なに話してるんだろうって聞いてたら“ママ、こんなに人を愛したのははじめてだよ!”って言ってて、ウケた」

 山口が焼き鳥を食べながらなんでもないように言う。話を聞いている限り、その男は悪い奴ではなさそうだった。彼の両親も彼女に良くしてくれていて、山口はカリフォルニアの豪邸で毎日優雅に暮らしているらしい。なんか、前よりも顔色がよく、綺麗になったような気がする。彼は彼女の家庭環境など、これまで彼女を苦しめていたものについての全てに耳を傾け、そして「もう大丈夫。だって君は僕に愛されているから」と言ったらしい。最初は遊び程度の気持ちで付き合っていた山口も、今になって少しずつ彼を愛し始めているところだった。釜めしを食べながら「じゃあ、プロポーズされたら結婚するの?」と聞くと、山口は躊躇わずに「する」と答えた。私は母の唯一の友人だったカズという女性のことを思い出した。私が子どもの頃、ときどき私と遊んでくれていたカズ。彼女もアメリカに嫁いで、しばらくの文通のあと便りが絶えてしまった。今はどこでどうしているのか、母もわからないのだという。

「アメリカってすっごく生きやすい。デカい私が歩いてたって、誰も見てないんだもん」

 山口も、もしアメリカに嫁いだらカズのようになってしまうのではないかと思った。しかしそれでも、はにかみながら、決して浮足立っているようすもなく、これから起こりうる幸福の話をする山口の顔を見ていると、たぶん、山口は彼のところにいたほうが良いのだと、私は思った。山口はその2日後、また大きな荷物を引いてアメリカに戻っていった。飛行機から見える真っ青な空の写真が、山口からLINEで1枚、送られてきた。

伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香

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