交換留学生として沖縄にやってきた楊洋(ヤンヤン)は、日本で日々暮らしていく中で自らのナショナル・アイデンティティを再発見していく──。『隙間』では、社会的なことだけでなくひとりの女性のごく普通の青春を描きたいと語る高妍(ガオ イェン)さんに、本作で描きたかったこと、そして本人がこれまでに触れてきたカルチャーとの接点を聞いた。
──『隙間』は政治を取り上げた漫画というだけでなく、留学生の青春ものとしても読める豊かな作品ですね。20代前半特有の「ままならなさ」を表現するのに、主人公・楊洋が片思いをしている相手である青年「J」が大きな役割を担っているように感じます。
そうですね。私が描きたいのは、歴史や政治の教科書ではなく、普通の女の子の青春の話です。主人公は、政治問題だけでなく、ごく普通の子と同じように恋愛、交友関係などにも悩んでいることを描きたいんです。「J」の煮え切らない態度に、担当編集さんは毎回むかついているようですが(笑)。
──確かに「J」は、主人公の気持ちをのらりくらりとかわしているようにも読めます。「J」は主人公にとってどんな存在なのでしょうか?
学生時代に、台北二二八紀念館(二二八事件50周年を機に設立された施設)に行くと、詳しいことを何も知らない私たちに、様々なことを教えてくれるお姉さんやお兄さんが必ずいました。若い頃って、少し年上で物知りのお姉さんやお兄さんがキラキラして見えるじゃないですか。「私もこんな風になりたい」って思わせてくれるような。主人公にとって「J」は、そういう存在。主人公が歩むべき道を照らしてくれるような人物です。
──恋の相手というだけではないんですね。
はい。主人公が台湾だけでなく、沖縄などの歴史的背景にも興味を持つきっかけとなり、「もっと勉強したい」と思わせてくれる心の支えにもなっています。悩み、苦しんでいる状態のときに、物知りでリーダー的な「J」と出会ったら、誰でも好きになってしまうかもしれません。
──『隙間』は、連帯することの大切さを私たちに伝えてくれます。同じ寮に暮らす由里香が、楊洋に「嬉しい時も 悲しい時も ヤンは一人ぼっちじゃないからね! だって私たち仲間でしょ!」と語りかけるシーンは特に印象的です。高妍さん自身、最近連帯できている、またはこんなことで連帯したい、と感じることはありますか?
今は『隙間』を連載中で、本当に忙しいときは他のことをあまり考えられないことも多いのですが、デモに参加したり、SNSで発信したりするようにしています。
でも、ひとりのクリエイターである私にまずできることは、作品を通じて台湾の歴史や現状に注目してもらうことだと思っています。SNSで発信することはもちろんできるけど、私にしかできないことは今は『隙間』を描き上げて、少しでも多くの人に読んでもらうこと。数十年後、未来を生きる子どもたちにとって、この作品が心の支えになったら嬉しいです。
是枝裕和監督のデビュー作である『幻の光』の音楽を担当している、台湾ではとても有名な陳明章というミュージシャンがいます。陳明章さんは、歌を通して政治的なことを発信し続けていることもあり、まわりから「政治家になったらどうですか?」と勧められることもあるらしいんですが、彼は「政治家になったら、政治生命は長くても8年しかないけれど(総統の任期は最長8年)、私の作品は100年先も200年先も聴いてもらえるかもしれない。だからこそ音楽を通して自分の意見を発信したい」というようなことをおっしゃっているらしくて。そのスタンスにも影響を受けています。
──作品を通してご自身の考えを発信することを、何よりも重要だと考えていらっしゃるんですね。
はい! もちろん、私にも支持する社会的価値観や政党がありますが、この作品を通じて描いたのは、2018年から2019年にかけて起こった重要な社会課題や出来事についてです。特定の政党がすべて正しいとか、悪だとか、そういった決めつけは決してしないようにしています。あらゆる立場の方に読んでもらいたいですし、最終的な判断は読者の方にしてもらいたい。そう願っています。
──『隙間』の章タイトルは、すべて音楽の曲名になっているそうですね。
章の内容にぴったりな曲名を使うようにしています。例えば2巻の「擁抱」は、「Mayday」という台湾では超メジャーバンドの曲のタイトル。まだ同性愛者の方々に対して偏見が強かった2000年代初期に、「こっそり公園で待ち合わせして、自分の仮面を外して抱きしめ合おうよ」と歌った曲なんです。
装丁デザインも自分でやらせてもらいました。カバー袖は、漫画の制作のために図書館に通って様々な資料を読み込んだことから着想を得て、図書館の貸し出しカードをイメージしたデザインに。そこには、この物語の大切なテーマの一つである「台湾の主体性は 憎しみと悲しみだけではいけないんだ…」という言葉を書き込んでいます。
『隙間』は社会運動や、台湾と沖縄が直面している問題について描いていますが、前作『緑の歌-収集群風-』と同じように、私が触れてきたカルチャーをちりばめている作品でもあるんです。
高妍(ガオ イェン)
1996年台北市生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。イラストレーター・漫画家として台湾と日本で作品を発表している。台湾で暮らす少女が日本の文化を通じて新しい世界と出合う『緑の歌-収集群風-』(KADOKAWA)でデビュー。
文=高田真莉絵
写真=平松市聖