徳島での旅の途中、素朴な田舎の風景のなかにたたずむ古民家の本屋を見つけた。隣にはゲストハウスも併設している。“なぜここに?”と気になり、店主に話を伺った。
本が読みたくなってグーグルマップを開いた。そのとき筆者がいたのは、徳島県北西部の美馬市。「書店」と検索し表示されたなかに一軒、商店が集まるエリアからちょっと離れた場所に本屋があった。
日暮れの頃、マップに従って車を走らせると、細い里道へ入っていく。住宅や田畑が点在する集落に、立派な古民家があった。ここだ。あたりは電灯も少なく暗い。「まるとしかく」と書かれた看板にぼんやりと光が灯っていて、OPENの文字。おお、やっている。
少し勇気を出してガラッと扉を開けると、コンパクトな空間を本棚が囲んでいる。人文哲学系やエッセイ、ノンフィクションにセレクトの熱を感じつつ、小説や絵本、児童書、それに徳島関連の本のコーナーも。新刊と古書の両方から幅広くセレクトされている。
「こんばんは。きょうは冷えますね」。カウンター越しに、女性が柔らかくあいさつしてくれた。彼女は、店主の内田未来(みく)さん。すると奥の部屋から一匹の茶白猫がそろりと歩み寄ってきた。ちょっと異世界に迷い込んだ感覚になった――。
この本屋、いろいろ気になる。そう思った筆者は、数日後に再び店を訪れて内田さんに話を伺った。
「泊まれる本屋 まるとしかく」は、2023年1月に併設するゲストハウスと同時にオープン。築100年超の母屋を宿泊スペースに、納屋(なや)だった建物をリノベーションして本屋にしたという。
「多いときは十数人の家族が暮らしていた家だそうです。本屋のほうの建物は昔、馬小屋だった時期もあるみたいで」と、内田さんは笑う。
内田さんは、神奈川県生まれ。大学時代にアカウンティング(企業会計)を学ぶためにアメリカへ留学すると「同調圧力の少なく自由な社会が気に入った」と、そのまま現地の大学へ編入し、20代後半までアメリカで働いた。ちなみに一緒に暮らす愛猫のサニーは、アメリカの路上で保護してから16年間もの付き合いだそう。
帰国後は、東京で外資系やベンチャーなどの企業を経験し、その後、経済メディア「NewsPicks」の立ち上げには会計責任者として参画した。そして2020年に会計分野で独立。現在は、会計の仕事と本屋、ゲストハウスの運営を並行している。
と、移住前のプロフィールだけを見ればとても都会的なキャリアだが、なぜ地方の町で起業するにいたったのだろうか。
「都会で暮らしていた頃は、仕事をして、お金をもらって、消費者としてお金で何かを手に入れて……それで日々がただ過ぎていくような生活で、漠然と不安でした。さらに、地方にはいま課題がたくさんあるはずなのに、都会にいるとあまりにも分断されていて全然見えてこないことを疑問に思って。自分がすごく狭い世界に生きている気がしていて、いつかは首都圏を出ようと前から考えていました」
そう話す内田さんは、30代後半から移住を視野に入れて日本各地を巡っていた。そんななか、借り手を募集していた古民家の見学に訪れると、とんとん拍子に話が進んだ。それが現在、暮らし、商う場所だ。「決定打があったわけじゃないけど、決まるときは自然に決まっていくんだなと感じました。周りの人たちも動いてくれて、あれよあれよって」と振り返る。
古民家から車で5分ほどのところに江戸時代の建物が並ぶ「うだつの町並み」があり、観光客は訪れる地域だが、宿泊者は多くないと感じていた内田さん。「わざわざ訪れてもらえる場所にしたい」との思いで、もともと好きだった本と宿泊を組み合わせた事業形態にした。
「店名の『まるとしかく』の“しかく”は本の形で、“まる”は循環をイメージしています。本を買って終わりとか宿泊して終わりではなく、本を選んで読んで、それを血肉にしてほしいですね。あと単一目的のお店じゃなくて、複合的な場所でありたいなと思っています。たとえば、コーヒーを飲んでゆっくりおしゃべりしてもいいし、お子さんがぐずっちゃったら畳で少しお昼寝していってもいい。なんにも考えずに、とりあえず訪れることができるような場所になったらいいなって考えています」
本のセレクトは、「バランスよく」の意識だという。「地域に本屋が少ないので、話題の新刊からちょっとニッチな本もあるっていうふうに。でも、基本的には自分が好きな本を仕入れているので、趣味は出ていると思います」と内田さんは説明する。
ふだんの営業のほか、出版社や著者のトークイベントも年数回開いている。直近では、夏葉社の島田潤一郎さんや作家の鳥羽和久さんなどを招いた。「憧れていた作家さんや出版社の方と一緒に仕事ができるのは本屋をやってよかったと実感することのひとつです」。
ゲストハウスは落ち着ける空間にしようと、客室は和室2部屋のみで、受け入れる人数を絞っている。県外や海外から宿泊客が中心だが、ときに県内から訪れることも。チェックイン後にひたすら部屋ごもりして読書を楽しむ客もいるのだとか。
移住から3年、店のオープンから2年が過ぎた。内田さんは「じわじわとこの地が好きになっています」と充実感をのぞかせる。
「庭から見える山の景色がとても気に入っています。徳島の、張り切りすぎず、でも諦めてもいない空気感が好き。移住してからいろんなつながりも感じられて、仕事も暮らしも“手ざわり”が増しました。今後、地域に役に立つようなことができたらなと考えています」
取材のあと、古民家での読書体験に興味を持った筆者は、ゲストハウスに1泊させてもらった。静寂につつまれた夜の古民家でひとり、読書に没頭する時間はぜいたくで、気持ちがいい。日常ではなかなか味わえない没入感が、くせになりそうだ。
『山と言葉のあいだ』(石川美子/ベルリブロ)
「元みすず書房編集者が立ち上げたレーベルから発売された一冊で、著者は徳島県出身のフランス文学者・石川美子さん。長らく住んでいたフランスでの体験を中心につづったエッセイ集です。自然の描写がとにかく美しく、読み終わるのがいやでちびちび読みました」(内田さん、以下同)
『トレーニング』(木耳/新世界)
「2024年創業の新しい出版社が、商業デビューしていないさまざまな書き手を著者に起用する『シリーズ人間』の第1号。著者の木耳さんは日記すら書いたことのないという70代男性。市井の暮らしの断片がすごく尊いものだと感じる内容で、とてもおもしろいです」
『気流の鳴る音』(真木悠介/ちくま学芸文庫)
「社会学者の見田宗介氏が真木悠介の名で出版した作品。メキシコ・インディオの生き方を通じて、文明によって精神的な部分をいかにおざなりしているか痛感させられると同時に、今の暮らしに“それでいいのか”と問いかけます。ずっと心のよりどころにしている一冊」
『Insects』(桃山鈴子)
「イラストレーターの桃山鈴子さんによるZineで、彼女が愛している芋虫を点描画で描いた作品です。桃山さんは芋虫を飼っていて、観察しながら描いているそうですが、緻密な描写には芋虫への大きな愛を感じます。芋虫のふんを着色に活用しているのだとか」
泊まれる本屋 まるとしかく
所在地 徳島県美馬市脇町大字猪尻庄100
https://marutoshikaku.jp/
一ノ瀬 伸(いちのせ・しん)
ライター。1992年、山梨県市川三郷町生まれ。立教大学社会学部卒業後、山梨日日新聞記者、雑誌「山と溪谷」編集者などを経て2020年からフリーランス。時事やインタビューのほか、旅や自然、暮らし、精神などに関する記事を執筆している。
文・写真=一ノ瀬 伸