世界をカヌーで旅した“うっかり冒険家”が醸す、徳島のクラフトビール。アウトドアにぴったりな、“風土”を生かした味わい【美馬市・PADDLE BREW】

  • 2025年4月11日
  • CREA WEB

日本屈指の清流・穴吹川の源流水を使って醸造している「パドルブリュー」のビール。(撮影:鈴木七絵)

 山小屋スタッフがつくるおいしいクラフトビールがあるらしい。その醸造家は元新聞記者であり、世界を旅してきたカヌーイスト? 東京でのとある取材でそんな話を聞きつけた筆者は興味を惹かれ、さっそく徳島にあるブリュワリーを訪ねてみた。


自然を愛するカヌーイストの、地元・徳島での挑戦


日本百名山に選出されている標高1,955メートルの剣山。(写真提供:パドルブリュー)

 徳島市中心部から西方へ、車で1時間ちょっと。四国屈指の名峰・剣山へと続く山道を上っていったところに、「パドルブリュー」(美馬市穴吹町)はある。周辺には小さな集落があり、すぐそばを流れる剣山源流の穴吹川は美しい。


ブリュワリーのすぐ近くには穴吹川が流れる。(撮影:一ノ瀬伸)

 出迎えてくれたのは、いわゆる“山男”のイメージとは異なる、柔らかい雰囲気の男性だった。醸造家の新居拓也さん、38歳。こちらへという新居さんのあとをついていくと、彼の実家である一軒家のとなりに小屋があった。


醸造家の新居拓也さんは新聞記者を経て、世界のカヌー旅へ。帰国後に「パドルブリュー」を立ち上げた。(撮影:一ノ瀬伸)

「もともと納屋(なや)だった建物を改装して使っているんです。四国では一番小さな醸造所だと思いますよ」と、新居さんは話す。小屋の中には、コンパクトなサイズのタンクや鍋がところ狭しと並ぶ。アメリカで自家醸造向けに販売されているものを輸入したという。


アメリカから輸入した醸造タンク。今後、ブリュワリーを移転し規模拡大の計画があるのだとか。(撮影:一ノ瀬伸)

 小屋の壁には、社名の由来にもなっているカヌーのパドルがかかっている。聞けば、ただの飾りではなく、ビールの鍋をかき混ぜるときに実際に使っているという。新居さんは「ふつうはしゃもじのような形のものを使いますが、僕にはカヌー用のほうがやりやすいんです。パドルワークには自信がありますよ」と笑う。


壁にかかっているカヌーのパドルは、ビールの鍋をかき混ぜるときに実際に使っているものだ。(撮影:一ノ瀬伸)

 剣山で山小屋を営む家に生まれた新居さんは、身近な自然とともに育った。カヌーイストで作家の故・野田知佑さんが吉野川で開校した「川の学校」には一期生として参加し、10代の頃から国内外の川をカヌーで旅してきた。


慣れた手つきで鍋をかき混ぜる。パドルは、醸造に使えるよう食品用に加工済みだという。(撮影:一ノ瀬伸)

 大学卒業後は徳島新聞の記者となり、30歳手前まで警察や県政担当として多忙な日々を過ごす。その後、家業の山小屋を手伝いながら、カヌーの旅を再開。野田さんの著作にもたびたび登場し、カヌーイストの聖地とも称される北米のユーコン川に通うようになり、2018年にはアメリカ人ら海外の仲間と全長約3200キロメートルの川下りに挑んだ。

 2か月超にわたる一世一代の大冒険は、完全制覇とはいかなかったが、ブリュワリー開業への思いがふくらむ大きなきっかけになったという。


徳島の風土を大切にしながら醸造しているという。(撮影:一ノ瀬伸)

「『ユーコンブリューイング』というビール会社が僕らの旅のスポンサーになってくれたんです。創業者たちは、ユーコン川を旅しているときにクラフトビールをやろうと思いついたんだと、僕に話してくれました。それ以前からアメリカの旅の中でクラフトビールを知って気になっていたところだったので、彼らの話を聞いて始めてみたいなという思いが強くなりました」

 ちなみに、その川旅ではユーコンブリューイングの好意で、ビールをもらい放題だったそう。新居さんは「欲張りすぎてしまった」と、ビールを持っていきすぎて、その重みでカヌーが沈みかけたのだとか。ほかにも旅のちょっとしたポカがあり、のちに取材を受けたアウトドアライターから“うっかり冒険家”と命名されている。

「豊かな自然を残していきたい」ビールに込められた思い

 神奈川のブリュワリーでの研修を経て、2022年、パドルブリューを創業した。以来、この小屋で試行錯誤を重ねる。醸造には、日本屈指の清流といわれる穴吹川の源流水を使っていて、新居さんは「複数の源流水を飲み比べた中でも抜群においしい。舌に甘みが残る味わいなんです」と話す。


ビール醸造に使用している穴吹川の源流水。おいしい水がビールの味の決め手となる。(写真提供:パドルブリュー)

 これまでに30種類以上をつくってきたビールはじつに多彩。地元の米を使ったIPAや隣町のハチミツを加えたセゾン、特産のゆずや山椒で香りづけしたラガー……というように、土地の食材を積極的に取り入れるのが、パドルブリューのスタイルだ。

「徳島は人と自然の距離が近いのが魅力で、醸造ではそんな風土を大切にしています。この土地ならではの季節や気候を生かしながら、地元のいろんな食材を使ったり、地域の仲間からアイデアをもらったり。最近、酒蔵の方から『日本酒では杉樽を使う』と聞いて思いついたのが、杉のチップを使った香りづけ。自ら山で杉を切ってきて、いま挑戦中です。徳島には放置された杉林が多いので、いい森づくりにもつながればいいなという思いもあって」

「風土を生かす」に加えて、「自然に連れ出す」がもうひとつのキーワードだ。パドルブリューでは、いわば自然と遊ぶプロである新居さんが、山小屋や「川の学校」の仲間にも意見を求めながら、アウトドアシーンに合わせたビールをつくっている。


新居さんの曽祖父が創業し、現在まで登山者に愛される剣山頂上ヒュッテ。(写真提供:パドルブリュー)

 たとえば、登山向けのIPAは、少しぬるくなってもおいしく飲める味わいに工夫し、アルコール度数は高め。川遊び向けのサワービールは、体を動かしたあと、太陽の下で飲むイメージでさわやか酸味が特徴だ。

「僕も、手伝ってくれる仲間たちも山や川で遊ぶのが大好きなので、この先も楽しい自然をずっと残したいという思いがあります。自然が好きな人が増えてくれたら、きっと自然は残っていくと思うので、ビールで自然へ足を運ぶきっかけをつくったり、楽しい時間を演出したりできればいいなと考えています」

 自然や野生生物の保護にも力をそそぐ新居さんは、ビールと自然再生を組み合わせたイベントを構想中。ブリュワリーの規模拡大の計画もあるそうだ。


左から、登山向けの「Magic Hour」、特産のゆずを使った「YUZU IPA」、地元の米を加えた定番商品のひとつ「PON IPA」。(撮影:一ノ瀬伸)

 取材後の夜、山あいの宿でパドルブリューのビールをいただいた。定番の「PON IPA」は、濃厚でトロピカル。そのラベルには、パドルをくわえたチャーミングなたぬきがデザインされている。なるほど。新居さんは、人と自然をビールでつなぐ“たぬき”なのかもしれない。ほろ酔いでそんなことを思った。


次回は、剣山の頂上でパドルブリューのビールを飲みたいものだ。(写真提供:パドルブリュー)

PADDLE BREW パドル ブリュー

2022年に徳島県美馬市で創業したマイクロブルワリー。醸造家は、剣山頂上ヒュッテのスタッフであり、世界各地を旅してきたカヌーイストの新居拓也さん。剣山の源流水や地元の食材を使った醸造を行う。各種ビールは、徳島県内の一部スーパーや道の駅、オンラインショップで販売。4月下旬〜11月下旬の登山シーズンは、剣山頂上ヒュッテや剣山観光センターでも購入できる。
https://paddlebrew-store.myshopify.com/

一ノ瀬 伸(いちのせ・しん)

ライター。1992年、山梨県市川三郷町生まれ。立教大学社会学部卒業後、山梨日日新聞記者、雑誌「山と溪谷」編集者などを経て2020年からフリーランス。時事やインタビューのほか、旅や自然、暮らし、精神などに関する記事を執筆している。

文・写真=一ノ瀬 伸

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