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田んぼに刻まれた子どもたちの成長記録。田んぼは交流の場であった!

  • 2023年7月14日
  • コロカル
米は1年ごとだが、子どもは毎年成長を続ける

伊豆下田に移住した津留崎徹花さん。2年目からは自分たちの手による米づくりを始め、今年の田植えで6年目を迎えることになりました。さまざまなよろこびや苦労があったなかで、米づくりを通して自分の子どもや手伝ってくれる子どもたちの成長を感じるといいます。

今回は、6年間の米づくりを、子どもの成長とともに振り返ります。

6年間の米づくりを振り返る

わが家にとって、6年目となる米づくりが始まりました。先日、例年どおり友人や知人に声をかけて田植えを行いました。一緒になってどろんこになり、薪で炊いた同じ釜の飯を食い。今年もすばらしい時間となりました。

参加者が横一列になって田植え開始

田んぼにしっかり植えられた苗

米づくりを始めたのは下田に移住して2年目、娘が小学1年生のときでした。その娘も今年で6年生になり、来年は中学校に入学します。

今年の田植えは私たちにとって、ひとつの節目のように感じています。もちろんこれからも続けていきますが、中学になると部活などで参加できなくなる子どもたちもいるでしょう。

娘が1年生から6年生になるまで毎年続けることができたこと。いろんな仲間ができて、みんなでワイワイ米づくりをできたことは、私たちにとって大切な財産となりました。写真を見返してみると本当にいろんな方の協力があり、そして娘やその友だちの成長も目覚ましいものがあります。改めて、この6年間を振り返ってみたいと思います。

稲架掛けして天日干しされている稲刈り後の稲

そもそも東京から地方へ移住した理由のひとつに、自分たちが食べる米をつくってみたいという思いがありました。移住してすぐには無理だろうと思っていたところ、南伊豆で米農家を営んでいる中村大軌さんと出会ったのです。中村さんは初心者でも米づくりができるよう、田んぼの手配から重機での作業のサポート、米づくりのノウハウの伝授などを行っています。

そのサポート制度を利用して、わが家は人生初めての米づくりを始めました。1年目はわからないことばかりで、頻繁に中村さんに連絡をしては指導を受けていました。娘は小学校1年生、泥に足を取られながらも、小さい手で一生懸命稲を植えてくれました。そうして初めて行った米づくり。自分たちがつくったお米を初めて味わった瞬間、それはそれは感動的で、夫が天井を見上げて泣きそうに? なっていたのを覚えています。

田植えを手伝う津留崎さんの娘さん

娘にとって初めての米づくり。小学校1年生、小さい体で一生懸命、かわいい。

土鍋で炊いたごはん

稲を稲架掛けする津留崎さんの娘さん

初めての稲刈り。夕暮れまで頑張って手伝ってくれた娘からは、強さとたくましさが感じられました。

中村さんに3年間サポートしていただき、その後は自力での米づくりをスタートしました。といっても、わが家は重機を持っていません。そこで、同じく米づくりをしている知人ご夫妻に相談したところ、作業をサポートしていただけることになりました。

このご夫妻のお力添えがなければ、ここまでやってこられませんでした。

羽釜でお米を炊いている土屋嘉芽雄さん睦美さんご夫妻

いつもお世話になっている土屋嘉芽雄さん・睦美さんご夫妻。重機を出してくださったり、田植えと稲刈りの際にはお米を羽釜で炊いてくださったり。何から何まで、本当に助けていただいています、感謝です。

4年目、“戦力”になる子どもたち

さらに思い出深いのが、4年目の米づくりです。ちょうど新しく古民家を購入した年で、夫はそのリノベーションにかかりきりでした。そこで、米づくりで一番大変ともいえる草取りの作業を、私が担うことになったのです。実はそれまで草取りもほぼ夫任せ。最初は「余裕でしょ〜」と構えていたのですが、想像以上に大変で……。私はなんでもすぐに思い詰めてしまう性格です。草取りをする夢を見てしまうほど追い詰められてしまい、半ばノイローゼに。

そんな私に友人たちが手を差し伸べてくれ、「楽しめばいいんだよ〜」と笑いながら手伝ってくれました。ひとりでやることになっていたら、おそらく心も体も折れていたでしょう。友人たちとワイワイしながらできたことで、本当に救われました。そして、当時は「しんどー!」と思っていたのですが、友人たちが支えてくれたあの時間、何気ない会話が今となってはすばらしい思い出となっています。

田植えの様子

この年になると娘も同級生も体が大きくなり、かなりの戦力となってくれました。山から切り出した竹をみんなで運んでくれたり、鎌を上手に使って稲を刈り、大きな束をしっかりと運んでくれる。「なんか、すごい大きくなったね〜」と、うれしいやら寂しいやら、しんみりしたのを覚えています。

稲架掛け用の竹を運ぶ子どもたち

刈り取った稲の束を運ぶ子ども

稲刈り後の参加者全員の集合写真

毎年、参加してくれる人数が増えていき、一層賑やかに。ありがとう。

5年目、田んぼを移転〜6年目の育苗

そして、5年目となる昨年は田んぼの場所が変わりました。以前は下田駅から比較的近い、住宅街にある田んぼをお借りしていました。昨年からは山寄りの場所へ移動したのですが、これも友人の存在が大きかった。

旅館を営む友人が、近くに使っていない田んぼがあるけどやらないかと声をかけてくれたのです。当時の夫の職場から近いこと、山の水をダイレクトに利用できることなどの利点を考え、友人が紹介してくれた田んぼに移ることにしたのです。その友人もやはり米づくりをしていて、わが家の田んぼを重機で耕してくれたり、いろんなカタチで協力をしてくれています。

耕運機で田おこしをする

千代田屋旅館のご主人、井野智充さん。田おこしをおこなってくれているところ。

田植えをする小学5年生のときの津留崎さんの娘さん

娘は5年生。最後まで粘り強く田植えをやる子と、カエルを捕まえて遊ぶ子と。それぞれ好きなことをして田んぼを楽しんでくれています。

そして6年目の今年の大きなできごとといえば、初めて苗をつくったこと。いままでは中村さんに苗を育ててもらっていたのですが、いつかは育苗からやりたい。いつか? 今年でしょー!「育苗からやらないと米づくりやってるっていえないでしょ。手伝うからさ、やろう!」と夫をけしかけスタート。

わが家の田植えに最適な育苗の方法を、夫がいろいろ調べてくれました。不安ながらもトライした育苗、見事成功! とても元気な苗が育ちました。

ちなみに私はポットに籾をいれる作業のみ手伝い、あとはすべて夫まかせ。わが家では、このパターンがよくあります。手伝うから一緒にやろう! とけしかけ、私は手伝わない。けれど、夫ももうそのパターンがわかっているのか、ひとりでせっせと取り組んでくれました。

庭で育苗をする津留崎鎮生さん

自宅の庭で育苗をする夫。

育苗ポットの穴に、籾を2粒ずつ入れていく

育苗ポットは一般的ではありませんが、ひとつひとつの穴に、籾を2粒ずつ入れていくという地道な作業を私が担当。しんどかった……。

田んぼに運ばれた田植え用の苗

ポットから見事に育った稲! あんな小さな粒からこんな立派な稲が育つなんて、感動。そしてこの稲が大きくなり、お米をたくさん実らせてくれる。「一粒万倍」、すごいなぁ。

1年目の8人から、6年目は34人へ

集まってくれる友人たちが増えていったのも、この6年間での大きな変化です。私たちはできる限り手植え手刈り天日干しでお米を育てたいと、これまでやってきました。(天候で断念したことや、作業が終わらず重機でおこなったこともありますが)1年目の田植えは、わが家を含め大人5人と子供3人で約1反の田んぼにせっせと稲を植えました。

「これ、今日中に終わるのだろうか……」と、途中で不安になりながらも、友だちたちの粘り強さに助けられなんとか終えることができました。2年目、3年目と次第に集まってくれる人数が増え、今年は大人と子供合わせて総勢34名。あれよあれよという間に、田植えがどんどん進んでいきました。

横一列になって田植えをする参加者

1年目の田植え参加者の集合写真

1年目の田植え。

6年目の田植え参加者の集合写真。全部で34名

6年目(今年)の田植え。

そして、小学1年生だった娘もその友人たちも今年で6年生。年を追うごとに成長していく子どもたちの姿は、本当に感慨深いものがあります。6年前にはどろんこ遊びを楽しんでいた子どもたちも、今では立派な戦力。もう稲の植え方を教えなくても、各自が自然に植え始めるほどです。今年は娘の同級生もたくさん集まり、女子たちがキャッキャ言いながら田んぼで遊んでいました。そうした姿は、私たち大人にとってもうれしいものです。

畔でお昼を食べる娘さん同級生グループ

カメラに向かってポーズをとる娘さん同級生グループ

娘の学校はひと学年ひとクラス。22人だけの同級生はみんな仲良しで、安心します。

稲を運ぶ子ども

同級生の妹さんは、まだ小学校低学年。それでもしっかり自分のできることを手伝ってくれます。稲が足りなくなった場所に運ぶ係、ありがとう。

中学校で農村部発足!?

そして、今年の田植えには同級生のなかで唯一参加してくれた男子がいました。彼は事前にお母さんとこんなやりとりをしていたそうです。

母「同級生、男の子ひとりだけだけどいいの?」息子「お母さん、遊びに行くんじゃないんだよ。俺は田植えをしに行くんだよ!」

彼は4年間わが家の米づくりに参加してくれているのですが、最後まで粘り強く作業してくれる姿がとても印象的でした。そして今年もまた最後の最後まで楽しんでくれていた。こんな風に、地元の子供たちが楽しむ場として集まってくれたことも、私たちにとっては本当にうれしいことです。

娘が来年入学する中学校に「農村部」という部活を立ち上げて、里山のあれこれを学びたいね〜、なんてこともみんなで話しています。実現するかどうかわかりませんが、手伝ってくれている同級生の男の子は部長をやってくれるそうで、やる気満々です。

稲刈りに参加した当時4年生の田中凛くん

田中凛くん。3年前の稲刈り時に撮影したもの、当時4年生。

田植えをする凛くんと同級生

今年の田植えでの凛くん。最後に残された田んぼの隅っこを植えていく。同級生女子も、「農村部、いいね!」と。部員2名は決定? かな?

羽釜のごはんをお皿によそう子どもたち

千代田屋旅館さん特製のカレー

参加者が土手に一列に座ってカレーを食べている

今年も土屋夫妻がわが家の米を羽釜で炊いてくれて、千代田屋旅館さんがつくってくれたカレーを土手に座りながら頬張る。みんなで同じ釜の飯を食べるこの瞬間は、私にとってとても満たされる時間です。

6年間続けてきた米づくり。人との縁が広がったり、仲間との関係が深まったり。そして、子どもたちの目覚ましい成長が刻まれていきました。来年からの米づくり、どんなカタチにまた変化していくのか。農村部、始動するのか?その前に、今年の稲がどうか無事に、元気に育ってくれますように。

【追伸】「わが家の米づくり」とこれまで書いてきましたが、正確にいうと「夫の米づくり」です。

田植えをする夫の津留崎鎮生さん

正直なことを告白すると、私は田んぼ作業が得意ではありません。米づくりを始めた当初は、作業を一緒にやらなくてはと思っていましたが、暑さに弱く根気強さがない私にはとても厳しいのです。一方、夫にとっては田んぼの世話は楽しめる得意分野。(もちろん、暑い最中での草取りなどはヒーヒーいっていますが)年々、私がフェードアウトしていき、夫がひとりでコツコツとやるようになりました。

自分が戦力になれず申し訳ない、という気持ちもあり、私は昼食の弁当をつくって届けたりしています。それは、私にとって無理なくできることです。もちろん、夫から「手伝って欲しいー!」という信号があれば、家族総出で出かけて草取りや草刈りをします。そして、夫が田んぼに関わっているあいだ、私は家でせっせと梅仕事やらっきょうを漬けたりしています。それも「しんどい手伝ってー!」というときには、家族を招集します。

それぞれが得意なこと、楽しめることを負担し、助けが必要なときは団結する。これが家族の心地よいバランスなのかな〜と、田んぼから感じることがありました。

文 津留崎徹花

text & photograph

Tetsuka Tsurusaki

津留崎徹花

つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。移住先を探した末、伊豆下田で家族3人で暮らし始める。自身のコロカルでの連載『美味しいアルバム』では執筆も担当。

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