オフィスにいるように肩をたたいて声をかけたり、周囲の雑談を聞いたりできる。バーチャルオフィス「ovice(オヴィス)」は、コロナ禍に「オフィスで働くスピード感を取り戻したい」という想いから誕生した。2020年8月にサービスが開始され、約4000社(2024年4月現在)に導入実績がある。以前はリモートワークのためのコミュニケーションツールのひとつとして認識されていたが、オフィス回帰が進むなか、その役割も少しずつ変わっているという。oVice株式会社で広報を担当する市川伸さんに話を聞いた。
■リモートワークでも周囲の「雑談」が聞こえる
「ovice」は同僚の「今」を見ることができるサービスだ。会議室や座席が設けられたスペースでは、自分のアバターを自由に動かすことができ、誰がどこで何をしているのか視覚的にわかる。話したい相手に近づくと会話を始められ、相手との距離に応じて声の大きさが変わる。雑談が聞こえてくれば会話に加わることもできるが、「会議室」に入れば周囲に会話の内容が聞こえる心配もない。
急ぎで確認したいことがあるなら、相手の座席近くで帰ってくるのを待ったり、同じチームの仲間であれば会話に入り込んだりすることも。突然話しかけられるのはびっくりするという人のために、音とメッセージで相手に呼びかける「肩ポン」という機能も導入した。
市川さんは「仕事で重要なのは、必要なときにタイミングよく会話ができること。例えば次の会議まで待たなくても、近くに行って『来週の予定なんですけど…』と話せると、テキストを打つよりも早く終わりますよね」とメリットを話す。
「カレンダー上は会議が詰まっていても、5分早く終わることもあれば、延長することもあるなど、予定と実態にズレが生じます。また業務ツールでは『オンライン』や『離席中』などステータスを表示させることはできますが、仕事の状況はそうやってはっきりと分けられるものではありません。話している相手や状況の緊急性によって、状態にはグラデーションが生じます。oviceはそんな状態の濃淡まで表現できるツールです」
■オフィスの「スピード感」を取り戻す
oviceが誕生したきっかけは、同社CEOのジョン・セーヒョンさんが、出張先のチュニジアでロックダウンによって身動きがとれなくなったことだった。チュニジアは優秀なエンジニアが多い国として知られ、ヨーロッパのIT企業の開発拠点のひとつ。ジョンさんはチュニジアの開発チームと仕事を進めるために訪れていたが、日本へ帰国できなくなった。
日本にいるメンバーとは、チャットツールやオンライン会議ツールなどを使って仕事をしていた。だが、オフィスで一緒に仕事をしていたときのように周りの状況を見て、いろいろな人と会話をしながら進めることができなくなった。以前のようなスピード感を取り戻したいと思い、バーチャルオフィスを開発した。
2020年ごろは「バーチャルオフィス」という言葉を聞くと、事業用の住所貸しサービスを連想する人も多かった。導入企業が増えたのは2020年末から2021年ごろ。
「2020年の春に最初の緊急事態宣言が出て、夏には落ち着くと思われていたが結局、再流行して、2021年の初めに2回目の緊急事態宣言が出ました。2020年の年末には『しばらくコロナと付き合わなきゃいけないんだ』という覚悟が世の中に広がりはじめ、2021年は企業がコロナ禍で仕事を進めていくための環境整備を本格的に進めた年だったのだと思います」
■テキストより「話したほうが早い」
世の中にいくつかのバーチャルオフィスツールが提供されているなかで、oviceが多くの企業・団体から選ばれる理由を尋ねてみた。
「oviceは動きが非常に軽いです。例えばVRヘッドセットを装着して、3Dのメタバース空間でコミュニケーションがとれるツールだと没入感はありますが、8時間もその状態で過ごすのは大変です。また3Dだとどうしてもデータ量も多くなるため、パソコンの処理速度や通信環境も速いものが必要です。oviceは没入感よりも、業務時間中ずっと使い続けられることを重視して開発しています。シンプルな2次元のUIで、外出先であってもモバイル回線で十分に使うことができます」
oviceの特徴は、適切なタイミングで必要な会話ができることだ。幅広い業界で導入されているが、テキストでのコミュニケーションが好まれるIT企業への導入実績はそれほど多くはないという。特によく使われているのは、むしろ業歴が長く、対面でのコミュニケーションを重視するスタイルの企業だ。「話したほうが早い」と考える人が多く、「チャットツールだと誤解されないように文面に悩むこともあるが、oviceではその必要がないので時間の短縮になっている」といった声が上がっている。
ビジネスシーン以外で導入が進むのは、オンラインスクール。
「リアルな場所に行くのはまだ心が追いつかないけれど、人とは接点を持っていたいという生徒さんが、オンラインスクールを利用することがあります。オンラインスクールって、パソコンと向き合って動画を見ながら授業を受けている時間が多いというイメージはありませんか?oviceを教室として使うと、アバターを自分で動かすことができるので、そのときの自分にあった距離感を選ぶことができ、慣れてくるとコミュニケーションが活発になる方も多くいます。鬼ごっこをしている子もいるし、端っこで見ていたい子は端っこにいることもできるんです」
また、自治体の移住関連のイベントで使用されることも多い。メインステージと複数のブースを設けると、参加者は自分の興味あるところに行って質問したり、人の話を聞いたりできる。ビデオツールではコミュニケーションが一方通行になりがちだが、oviceならコンベンションセンターなどで行っていたような形式のイベントがオンラインで実現するという。
■出社しても「リモートワーク状態」のまま
現在はコロナ禍が落ち着いたこともあり、テレワークをする人は減少傾向だ。だが、オフィス回帰が進んだからこそ気づいたことがあるという。
「オフィス回帰といっても全員が毎日出社するという状態には戻っておらず、リモートワークをする人とオフィスで働く人が混在している企業が多くあります。結局は出社してもオンライン会議をしていて、出社すれば解決すると思っていた課題が、実は解決されなかった。また、オフィスに出社をしたとしても、壁の向こう側にいる人が何をしているかわかりませんよね。別のフロア、別のビルにいる同僚も何をしているのかわかりません。つまりオフィスに戻っても、相手の状態が見えないということで、リモートワークと同じ状態だと気づきました。
出社しても仲間の状態が見えないままだと、タイミングよく話すこともできないですし、仕事のスピードも上がりません。それでも出社の回数を増やすように要請されると、会社に対するエンゲージメントも下がりかねません。サービスを提供しはじめたころは『コロナ禍におけるリモートワークのためのコミュニケーションツールのひとつ』と認知されていましたが、これからは『仲間の今の状態を可視化するためのプラットフォーム』となっていくと思います」
現在の働き方に合わせたアップデートを行うため、同社は2024年2月、東京・神田に「ovice東京半年支店」を開設した。以前は全員がリモートワークをしていたが、一部のメンバーがオフィスに出社することで、リアルとオンラインが混在する環境をつくりだし、そこにある課題を探ることが目的だ。
同社も「ovice」を使って柔軟な働き方を実現する企業のひとつ。2021年に本社を東京都港区から石川県七尾市に移した。趣味のドライブをしていたCEOのジョンさんが、富山湾の景色に魅了されたことがきっかけだという。まだ東京に本社があるうちに、富山湾沿いに古民家を借りて住み始めた。コロナ禍で東京に呼ばれることもなく、「地方の会社が世界で戦うスタートアップになるのは、夢があっておもしろいだろう」と、本社を移すことにした。
「過去2年間で日本にいるメンバーほぼ全員が集まったのは1回だけ。リモートワークでは、よくコミュニケーションが減少して生産性が落ちるとか、会社に対する帰属意識が低下するという話が出ると思うのですが、oviceは画面を見るだけで仲間が何をしているのかわかり、ちょっとした会話もしやすいので、仲間と一緒に働いているという実感があります。oviceはリモートワークが混在する環境でよくいわれるデメリットを解消するサービスだと思っています」
oviceが目指すのは、柔軟な働き方を支えるカギとなるサービスだ。
「日本が抱える課題、例えば少子高齢化や人手不足を解消するには、多様な人材が活躍できる環境を整えることが欠かせません。そのためには柔軟な働き方が重要です。また、リモートとリアルを混在させながら働くスタイルは、コロナ禍を経て世界中で定着しつつあります。日本発のサービスとして、ぜひグローバルで注目されるサービスになっていきたいです」