全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも九州はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。
九州編の第84回は佐賀県佐賀市にある「いづみや珈琲」。創業1954年(昭和29年)と九州でも随一の長い歴史を有する自家焙煎店で、開業以来豆売り一筋。店があるのは佐賀市中心部からやや外れた住宅街と目立たない立地だが、客足は途絶えることがなく、しかもほとんどの客が1人で400グラム、600グラムなど大量に豆を購入していく。その理由の1つには個人店ではなかなかない手ごろな値段にある。最も安い豆で100グラム351円というから驚きだ。しかも豆の種類がとにかく多い。ブレンドとストレートを合わせると60種以上もある。まもなく創業70年を迎える老舗自家焙煎店がどんな年月を経て、現在の店のスタイルにたどり着いたのか紐解いていきたい。
Profile|前山治彦(まえやま・はるひこ)さん
1955年(昭和30年)、佐賀県佐賀市出身。「いづみや珈琲」の長男で、大学を卒業後、上京し、金融関係の仕事に就く。1988年(昭和63年)、先代の父親が体調を崩したのを機に帰郷。「いづみや珈琲」の跡を継ぐことに決める。頑固な性格もあり、2代目として店を切り盛りし始めたころは常連から味が落ちたとお叱りを受けることも多々。それでも自身が理想と考える“癖がないコーヒー”“クリアな味わい”のコーヒーを追求し、独自に焙煎方法を模索。豆の種類も徐々に増え、今に至る。2023年12月、佐賀市久保泉町にカフェを主体とした「いづみや珈琲 久保泉店」をオープン予定。
■2番手、3番手を焙煎で昇華させる
九州に多く存在する自家焙煎店の中でも、ここまでの量・種類の豆を焙煎している店は多くない。「いづみや珈琲」を初めて訪れた感想だ。公式ホームページはしっかりしているし、決して小さな店ではないだろうと予想はしていたが、想像以上だ。まず店に入ってみて、山積みにされた麻袋の数がすごい。焙煎室はもちろん店内までぎっしりだ。聞けば毎月4〜5トンの生豆を消費しているそうで、12月などピークの時期は9トン近く焙煎することもあるそうだ。おそらくこの焙煎量は九州でも随一だろう。
その理由の1つに豆の種類の多さがある。ブレンド、ストレート合わせて、その数常時60種以上。店名を冠したいづみやブレンド(100グラム405円)、前山さんイチオシのクリアネス・アロマ・ブレンド(100グラム432円)、メキシコブレンド(100グラム405円)といった500円アンダーのリーズナブルな豆を筆頭に、グアテマラ ブルーラグーン(100グラム540円)、モカ マタリ(100グラム648円)、エチオピア モカハラー(100グラム648円)などシングルオリジン、さらにはエチオピア ゲイシャ(100グラム1296円)、ハワイ・コナ(100グラム1782円)、希少なガラパゴス(100グラム3564円)のようなハイグレードの豆まで幅広く用意する。
■常識を疑い、総意に惑わされない
前山さんは「父親から店を継いで焙煎を始めてみると、生豆の種類によって火の入り方などがやっぱり違うんですね。もっと上手に焼けるようになりたいといろいろチャレンジしていたら、豆の種類が自然と増えていきました。そして一つひとつのコーヒーにファンがいてくださるので、取り扱いをなくすこともなかなかできず、今は60種以上となっています。基本的に当店はCOE(カップ・オブ・エクセレンス)など“No.1”の生豆にこだわっていません。2番手、3番手の豆でも焙煎によって昇華させることができるというのが私の考え。常識にとらわれない、総意に惑わされないというのでしょうか。常に考えているのは『ほかの見方もあるぞ』ということ」と話す。
「コーヒー好きにとってコーヒーは毎日飲むもの。しかも1日1杯ということはなく、2・3杯気軽に飲める価格帯でないといけない」と前山さん。だから看板ブレンドなどは値段をできるだけ上げないことをモットーに掲げている。もちろん、飲み物としておいしいことは言わずもがなだ。だから同店には多くのファンがつき、毎回400グラムや600グラムといった大ロットで購入していく客がほとんど。
一方でさまざまな豆を飲み比べてほしいという思いから、どの豆も50グラムから販売しているのも特徴。量を買えば買うほど値下げするボリュームディスカウントもあえて行っていないので、種類が異なる豆を少量ずつ購入して好みの味わいを見つけるといった買い方も気軽にできる。
■直火式焙煎機にこだわり続けて
「いづみや珈琲」にある焙煎機は、富士珈機12キロ、フジローヤル15キロ、ラッキーコーヒーマシン10キロ、15キロの計4台。もちろん4台いずれも現役で、しかもすべて直火式だ。昨今半熱風式、熱風式を導入する店が多い中、なぜ一貫して直火式にこだわっているのか。「私が考える焙煎とは、いかに均等に生豆に含まれた水分を外に追い出すか。要は生豆の芯まで火を通す必要があるんですね。そう考えると直火が最も適しているという答えにたどり着きました。もちろん直火なので、ひとつ間違えたら焦がす可能性は高くなる。ですから火力、排気ダンパーの微調整は欠かせません。そして最終的な判断は目と鼻、そして耳から得る情報だけが頼りです」と話す前山さん。
実際焙煎している様子を見させてもらうと、温度計など計測機器に頼るだけじゃなく、窯内の豆の状態をじっくりと見て、香りを嗅ぎ、シャカシャカと回る豆の音、はぜる音に耳を澄まし、煎り止めのタイミングを見計らっていた。これはまさに職人ならではの焙煎の技術だと感じた。
■新たに開くカフェにも期待
まもなく70歳を迎える前山さんだが、その前向きさとバイタリティはすごい。今まで豆売り一筋で営んできたが、このタイミングでカフェの新規出店にチャレンジするのだという。「佐賀市の久保泉町にできる店舗なので屋号は『いづみや珈琲 久保泉店』とする予定。今年12月のオープンを目指して準備を進めています。ショコラティエの方にご協力いただくコーヒーとチョコレートを柱としたカフェで、焙煎所も兼ねたスタイルです。今まで豆売りだけしかやってこなかったので、どんな展開になるか予想はできませんが、当店のコーヒーの味を新たな層に知っていただけるような場所になれたらうれしい」と前山さん。70歳で新たなステージに挑戦することをさらりと話す前山さんの姿を見ていると、「いづみや珈琲」がますますコーヒーラバーの裾野を広げていく予感しかない。
■前山さんレコメンドのコーヒーショップは「香椎参道Nanの木」
「福岡市東区にある『香椎参道Nanの木』さんは、地域の暮らしに根付くことなど、コーヒーに対する考え方が同じだと勝手にシンパシーを感じています。創業者で今は会長となっている芹口さんは、私にとってコーヒー業界において唯一話が合う人。福岡市内において自家焙煎店としては古株ですし、なによりコーヒーがある暮らしを広めた一店だと思います」(前山さん)
【いづみや珈琲のコーヒーデータ】
●焙煎機/富士珈機直火式12キロ、フジローヤル直火式15キロ、ラッキーコーヒーマシン10キロ、15キロ
●抽出/なし
●焙煎度合い/浅煎り〜極深煎り
●テイクアウト/なし
●豆の販売/100グラム351円〜
取材・文=諫山力(knot)
撮影=大野博之(FAKE.)
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