全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも九州はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。
九州編の第76回は福岡市にある「珈琲美美」。言わずとしれた福岡が誇るコーヒーの名店だ。冒頭で九州はコーヒーカルチャーの進化が顕著と述べたが、特に福岡は“コーヒーの街”と称され、海外から訪れた人々にとってコーヒー屋を巡るのが、観光の目的の一つになっている。それぐらいコーヒーは“福岡らしさ”を表すモノになっているが、その素地を作った一店として「珈琲美美」をあげないわけにはいかないだろう。1977年(昭和52年)の創業時から時流に惑わされることなく、自家焙煎、ネルドリップ、そして産地訪問を続けてきた自家焙煎コーヒー店。今や年齢も国籍も関係なく、多くの人を魅了する「珈琲美美」の魅力を改めて考察したい。
Profile|森光充子(もりみつ・みつこ)
長崎県諫早市生まれ。「珈琲美美」のマスター、故・森光宗男氏の妻で、開業時から店に立ち続ける。マスターと結婚するまではコーヒーとは無縁の暮らしをしていたが、現場に立ちながら少しずつコーヒーについて学びを深めていく。抽出は長年行ってきたが、マスターが亡くなる2年ほど前から焙煎も教えてもらっており、現在焙煎はすべて1人で担当。今は2人の娘さんを含め、スタッフたちに助けてもらいながら「珈琲美美」を切り盛りしている。
■伝説の自家焙煎店で学び
九州のロースターやバリスタはもちろん、コーヒー好きな人で「珈琲美美」を知らないという人はほぼいないだろう。それぐらい同店の存在は広く知られている。その理由は今は亡きマスターの森光宗男氏の経歴、そして「珈琲美美」開業後、同氏による独自のコーヒーの探求があったから。
マスターが修業を積んだのは、吉祥寺の「もか」(現在は閉店)。伝説的な自家焙煎コーヒー店のマスター、故・標交紀(しめぎ・ゆきとし)氏のもとで約5年働き、福岡に帰郷。1977年(昭和52年)に福岡市・今泉に「珈琲美美」を開いた。長く標氏のもとで働いただけに、森光氏が「もか」の一番弟子といわれることもあるが、真偽は今となってはわからない。ただ「珈琲美美」には、かつて「もか」で使用されていた家具や調度品が多数存在する。焙煎機ももともと標氏が愛用していたマシンだという。そんなエピソードを聞く度に、「もか」が森光氏にとって特別な存在であり、一番弟子といわれるのもなんとなく腑に落ちる。
■福岡のコーヒー文化を下支え
そして「珈琲美美」を開いた後が、森光氏にとって本当のコーヒーの探求の始まりとなる。店を営む傍ら、エチオピアやイエメンを視察し、コーヒーについて研究してきた。なんとイエメンに5回、エチオピアに7回、さらにはケニア、インドネシア、フィリピンなどにも足を運び、コーヒーのルーツを独自に紐解いてきたらしい。それらの記録の一部は「手の間」という福岡発の雑誌に掲載され、2012年には「モカに始まり」という書籍を発刊。2017年に多くの人の力によって同書の改訂版が発行されたことは記憶に新しい。
また、2010年には日本コーヒー文化学会 九州北支部が設立されるにあたり、「珈琲美美」が事務局を務めたこともあり、さらに幅広くコーヒーに関わる人たちと繋がりが生まれた。そんな経緯もあって、九州のロースターやバリスタ、特に次世代を担う若手たちから慕われている「珈琲美美」。もちろん、そこには純粋に「コーヒーがおいしい」という理由があるのは言わずもがなだ。
■マスターとはまた違う空気感で
2016年12月、ネルドリップ普及セミナーの帰途、韓国の仁川国際空港にて倒れ、急逝したマスターの森光宗男氏。妻の充子さんは「そのときは、とにかく店は続けなきゃ、という思いしかなかったですね。日々通ってくださる常連さんはもちろん、遠くからわざわざ足を運んでくださるお客様がいらっしゃるのに店を閉めておくわけにはいきませんでしたから」と、その時のことを振り返る。
現在、店主として店に立つ充子さんは焙煎から抽出、接客まですべてをこなすが、2人の娘さんをはじめスタッフたちに助けてもらいながら店を切り盛りしている。マスターが店に立っていた頃と立地も店のしつらえもまったく変わっていないが、以前よりもどこか柔らかさをまとっているように感じた。
マスターが醸し出す凛とした雰囲気こそ「『珈琲美美』ならではの魅力」と思っていたが、充子さんがカウンターでコーヒーを淹れている景色はどこか優しく、不思議とホッとする。淹れてもらったコーヒーは「珈琲美美」らしい奥深く、妖艶な味わいであることは変わらないが、充子さんだからこそ出せる素朴な優しさが今の「珈琲美美」にはあるのだろう。
■「滴一滴」という言葉が表すもの
充子さんは「お店を開いたときから、扱う生豆や焙煎のやり方がちょっと変わったりといったことはありましたが、基本的には大きな変化はないと思います」と話す。46年の店の歴史のなかで、大きく変わったことと言えば、2009年に現在、店がある赤坂けやき通りに移転したことぐらいか。
今泉にあった店は「扉を開けるのに勇気がいるたたずまい」「店に入ると陽の光が差さず、穴蔵のような空間だった」と噂にはよく聞いていた。ただ今の店は歩道からも中の様子がなんとなくわかり、2階の喫茶スペースに上がると窓の外に木々の緑が見え、とても気持ちがいい。充子さんにこの環境の変化について尋ねると、「もともとマスターは周りが緑に囲まれている、現在店があるような環境で店をやりたかったと言っていました。今泉時代の店の穴蔵のような雰囲気も独特でよかったですが、私もやっぱりここの方が好きですかね」と笑う。
ただ、移転前後で変わらないのは、訪れる人々はグループだったとしても不思議と言葉数は減り、少し会話をしたとしても自然と声のトーンが下がること。コーヒーを片手におしゃべりを楽しむというカフェのような空間ではなく、コーヒーを飲むことを目的に訪れる場所であるということだ。それはマスターが開業当初から目指した店のスタイルで、充子さんが店を切り盛りする今も変わらない。“店側からそうしてほしい”というより、“その雰囲気を楽しみにしている人たちのために”、自然と「珈琲美美」における暗黙のルールのようなものが確立されたのだろう。
福岡を訪れたら、わざわざ足を運びたい自家焙煎コーヒー店となり、今も変わらないスタイルで静かに営みを続ける「珈琲美美」。カウンターの壁に「滴一滴」と刻まれた古い木の板が飾られている。充子さんに尋ねると「これはマスターが好きだった言葉で、書家の故・前崎鼎之さんに書いてもらった文字です」と教えてくれた。
「滴一滴」。一見するとネルドリップの心得なのだろうが、その裏側にはマスターや充子さんの人生観、コーヒーを通じて伝えたいものが込められているように感じた。
■森光さんレコメンドのコーヒーショップは「ぶんカフェ」
「昔からお付き合いのある吉留さんが営む『ぶんカフェ』。吉留さんはもともと福岡の老舗喫茶店に長く勤められていた方で、一緒にイエメンに行ったこともあります。以前は博多駅南で店をされていましたが、今は警固のアパートの一室に移転されています。隠れ家的な雰囲気がいいです」(森光さん)
【珈琲美美のコーヒーデータ】
●焙煎機/富士珈機 半直火・半熱風式5キロ
●抽出/ネルドリップ
●焙煎度合い/中深煎り〜深煎り
●テイクアウト/なし
●豆の販売/100グラム850円〜
取材・文=諫山力(knot)
撮影=大野博之(FAKE.)
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