生まれ故郷である和歌山県の新宮市や紀伊半島を舞台に、数々の作品を世に残した作家の中上健次。1976年に『岬』で戦後生まれ初の芥川賞受賞をきっかけに一躍人気作家の仲間入りを果たし、昭和から平成までを駆け抜けた。映画化された作品も多く、中上作品に惚れ込んだ各界の才人たちとの交流や、“和歌山の熊野について考える”文化組織の熊野大学を創設するなど、作家の枠を越えた活躍を見せたことでも知られている。
残念ながら1992年に46歳という若さでこの世を去り、今年で没後30年を迎える。今こそ中上作品をもっと深く読み解くべく、縁ある新宮市で取材を敢行。生前の中上と深い交流があり、熊野大学で事務局長を務めた森本祐司さんに話を聞き、ファンにおすすめしたい聖地巡礼スポットや、作品の楽しみ方について教えてもらった。
■中上健次の生涯を知る書籍や秘蔵品がズラリ!
「中上さんの魅力を知るなら、ここは必須のスポットです」と森本さんが教えてくれたのは、新宮市立図書館内に設置されている「中上健次コーナー」。数々の著作物をはじめ、創作時に使っていたデスクや原稿用紙などの愛用品、そのほか生涯の歩みを知る貴重な写真パネルなどが所狭しと展示されている。このコーナーを担当する、司書の三峪さわ代さんに話を聞いた。
「中上健次がこれまでに残した著作や関連書、小学生時代に書いた作文などを展示しています。その幅広い活動や交友関係がひと目でわかる写真パネルのほか、ファン必見の直筆原稿も公開しています。また、中上が熊野大学で講演していた山本健吉さんの『いのちとかたち』に関する資料もあり、ビギナーからディープなファンまで見応え十分のコーナーになっています」
図書館には、中上健次が生まれた新宮市の町並みと自然が一望できるテラスも。館内に設置されたベンチに腰掛けて作品を読めば、作品の世界観にどっぷりと浸れるはず。
<新宮市文化複合施設(丹鶴ホール)新宮市立図書館 住所:和歌山県新宮市下本町2-2-1 入館料:無料 時間:9時〜18時(日曜・祝日は~17時) 休館日:月曜※詳細は公式サイトにて確認>
■中上健次が高校時代に通った幻のダンスホール
中上の小説『鳳仙花』『千年の愉楽』『奇蹟』などにも登場するのが、JR新宮駅近くにあったダンスホール。「1950年頃に社交ダンス教室としてオープンし、おそらく高校生の時に中上さんが通っていた場所だと思います」と森本さん。当時としてはハイカラな大人が集まるこの場所で、中上はどのような様子でダンスに興じていたのだろうか。教室を営んでいた湯川和子さんは、そのときの様子を次のように教えてくれた。
「一緒に経営していた夫から、中上健次さんたちがお見えになっていたという話は聞きましたが、私自身はお見かけしたことはないんですよ。ただ当時は社交ダンス教室に未成年の方は入場できない決まりだったので、高校生らしき人たちがいると目立つんです。だからもしかすると、そのなかに中上さんもいらしたのかな。男女がペアになって踊る“ホールルームダンス”を、中上さんたちがどんなふうに踊っていたのか私も気になりますね(笑)」
明治時代に建てられた旧新宮郵便局を移築したこの建物は、レトロ建築としても有名。現在は営業こそしていないが、今も残る「丹鶴ダンス教室」という看板が当時の雰囲気を伝えてくれる。
<丹鶴ダンス教室 住所:和歌山県新宮市丹鶴2-5-22>
■丸2日間、缶詰状態で原稿を執筆した旧チャップマン邸
人気作家になってからも、新宮市にある喫茶店などで原稿を書いていたという中上。そのなかで急ぎの原稿に対応するため、丸2日間も缶詰状態で執筆に励んだ場所として、森本さんに教えてもらったのが旧チャップマン邸だ。米国人宣教師のチャップマン家族のために建築された建物で、1952年頃から1978年まで旅館「有萬(アルマン)」として使用されていた頃に中上が滞在して原稿を執筆していたという。
「建物は木造3階建ての地下1階。新宮市出身の建築家である西村伊作が手掛けた、大正期のモダンな佇まいが特徴です。現在も中上健次さんが滞在された旅館時代の名残が各所に残っており、ファンの方々がよく訪れてくださいます」(施設職員)
1階には、中上健次に関する書籍や愛用品などを展示。窓から見える美しい庭を眺めながら、中上が滞在した2日間を想像するのも楽しい過ごし方かもしれない。
<旧チャップマン邸 住所:和歌山県新宮市丹鶴1-3-2 料金:無料 時間:9時〜17時 休館日:月曜※月曜が祝日の場合は翌平日、年末年始>
■文学者が集い、作家が生まれる宿
中上健次が最晩年に創設し、現在も続いている文化組織の熊野大学。その発足時の1994年頃から何度も会場として使用されたのが、温泉旅館の雲取温泉 高田グリーンランド。登壇する著名な文学者や批評家、学者たちの講義を受け、この場所から世に出た作家も少なくない。スタッフの西寛之さんに話を聞いた。
「今は中上さんがご健在の頃を知っているスタッフもおらず、当時のことはあまりわかりません。ただ、私が携わるようになった頃から、熊野大学では2泊3日で使用されていましたね。大広間で講義をされた後はその会場で宴会に流れ込み、そのまま宿泊される方々もいて、みなさん一体となって楽しんでいる様子でした。受講される方々は大学生が多い印象で、勢いというか、熱量がすごいなって思っていました」
熊野大学に参加した聴講生からは、芥川賞作家のモブ・ノリオや批評家の佐藤康智など、さまざまな才能を輩出している。中上ファンのみならず、文学ファンにとっても聖地と言えるスポットだろう。
<雲取温泉 高田グリーンランド 住所:和歌山県新宮市高田1810>
■何もない。だからこそすばらしい熊野
最後に、さまざまな聖地巡礼スポットを紹介してくれた森本さんに、中上との思い出を振り返ってもらいながら数々の作品が生まれた新宮市・熊野が持つ魅力について聞いた。
中上健次の幼馴染からの誘いで、後に熊野大学を創設する「隈ノ會」に参画した森本さん。豪快なイメージがある中上については、「大胆さと繊細さを併せ持った人だった」とその素顔について教えてくれた。
「人見知りなところもある方でしたが、割とすぐに打ち解けられるような気さくな人で。印象的なお話でいうと、あるとき、中上さんが熊野大学に関する文章を書いたときに、私が勝手に原稿に手を加えたことがあったんです。今から思えばかなり恐れ多いことですが、そのとき中上さんは『俺の原稿に手を入れたのは、担当の編集者以外に森本が初めてや!』と笑ってくれました(笑)。また、会合のあとに食事に出掛けることも頻繁で、興が乗って二次会、三次会になると、中上さんのカラオケ教室が始まるんです。『お前は選曲が悪い!』とか直々のご指導もあったりして。素顔はそういう方ですよ」
亡くなるまでの数年間、隈ノ會の活動を通して交流を深めていくなか、今でも忘れられない中上の言葉があるという。
「あるとき、中上さんに『今の時代に価値があるものは何だと思う?』って聞かれたんです。咄嗟に答えを出せずに考えていると、『時間を贅沢に使うこと』と言われました。『お金持ちがわざわざ優雅に船旅をするのはそれが理由だ』と。その言葉は今も、ずっと心に残っています」
森本さんはその言葉を振り返り、熊野の魅力を見つめ直してみると、“何もないからこその価値”を感じるようになったと話す。
「名所が目的になると、行って終わり、見て終わりになると思うんです。ただこの街には熊野古道はあるけど、それ以外はほとんど何もありません。その代わり、世界遺産の熊野古道にいたる過程をどうやって楽しむか。人生とか仕事とか家庭とかいろいろな問題を抱えて、この場所に来た人は豊かな自然や風景に触れ、街の人々と交流しながら、かけがえのない時間の過ごし方ができます。何もないからこそ生まれる特別な時間の過ごし方ができることが、中上さんの愛した熊野の魅力だと感じますね」
“何もない街”のいたるところで作品の面影を感じ、その魅力を堪能できる新宮市。読書の秋が近付く今、中上健次の作品を手に、旅に出かけてみてはいかがだろうか。
取材・文=橋本未来