コロナ禍の影響で思うように外出できないここ数年、家で漫画を読んでいた人は多いのではないだろうか。少なくとも、筆者はそうだった。
楽しみにしていた取材や外出予定が中止になってしまったり、気が滅入ることが多かった毎日だったが、しばらく離れていた漫画を読むことで随分助けられた。子供の頃から慣れ親しんでいた紙媒体だけではなく、アプリや電子書籍、SNSでも無数の作品が生まれていることに驚いたものだ。
漫画を読む方法が多様化しているように、漫画家になる方法も多様化している。その1つが「大学で漫画を学ぶ」ということ。大学に通って作家デビューは可能なのか?一体どんなことを学べるのか?そんな疑問を解消すべく、毎年多くの作家を世に送り出している京都芸術大学マンガ学科を訪ねた。
■「漫画のプロ」になるために。マンガ学科の授業風景
京都芸術大学は、京都市左京区に本部を置く私立の芸術大学。学生数1万4935名を抱える、日本で最も大きな芸術大学だそう。マンガ学科は2011年に創設され、毎年多くの漫画家を輩出している。
講義中の教室にお邪魔すると、学生たちが思い思いに手を動かしている。この日は冬のコミックマーケットに出展する作品づくりに取り組んでいた。すでに作品を提出済の学生も多く、次の作品に向けてのネタづくりに進んでいる人もいるとのこと。
講義中、講師からアドバイスを受ける学生もいた。漫画業界の第一線で活躍する講師から直接指導してもらえるのは希少な体験で、なんともうらやましい。それにしても、ペンタブとノートパソコン、スマホを同時に使いこなす学生の皆さんは、当たり前のように絵が上手かった。
学内の掲示板には現役の学生たちのデビュー情報がズラリ。学生が集まるラウンジには掲載雑誌が置かれ、自由に読むことができる。マンガ学科では大手出版社を招いての「出張編集部」が毎年行われ、在学中に商業誌デビューを果たす学生も珍しくないそうだ。
■マンガ学科で何を学べる?学科長にインタビュー
「マンガ学科」と言っても、ただ漫画を読んだり描いたりするだけではなさそうだ。では具体的にどんなことを学ぶのか?学科長の矢野浩二先生に聞いた。
――先ほど授業風景を見せていただきましたが、皆さんひたすら作り続けていますね。
「特に1年生は、技術を叩き込むためにもひたすら描きます。前後期で1作品ずつ仕上げて、大手漫画誌の編集者に評価していただいています。そこで技術力を上げることはもちろんですが、もう1つ、漫画家として1番大事なことを身に付けてもらうんです」
――漫画家として1番大事なこと…それは何でしょうか。
「当たり前のように聞こえるかもしれないですが、まずは作品を”完成させる”こと。最後まで描ききらないことには、作品として評価してもらえないですからね。1つの作品を生み出して世の中に問うということは、最初に乗り越えるべき壁だと言えます」
――なるほど。完成したものを誰かに見てもらうことが、まず一歩なのですね。
「そうです。技術力が上がるとどうしても途中で直したくなるのですが、そこをグッとこらえて作品として仕上げることを目指します。基礎から徹底的にやりますので、学生は大変だと思いますよ」
――漫画の基礎とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
「漫画はイラストと違って、ストーリーを作ってキャラクターを動かさなくてはいけません。1人で監督・脚本・撮影をこなして映画を作るようなものです。ただ絵を描くだけではなく、企画やプロット作り、ネーム(コマ割りや構図、キャラクターの配置、セリフを大まかに描いたもの)といったさまざまな工程を積み上げていく必要があり、その工程を全てイチから学んでもらいます。さらに、漫画はエンターテインメントとしてわかりやすく、おもしろいことも重要です。本学では、多くの人に伝えるための表現法も教えています」
――大学で漫画を学ぶことのメリットは何でしょうか。
「1番の利点は、4年かけてじっくり学べることだと思います。1年間本気で描けば、自分の得意・不得意がある程度見えてくるんですよ。漫画家としてどう生きていくか、あるいは企業に就職して漫画を描き続けるか、自分らしいキャリアデザインをしながら学べるのは強みだと思います。本学のマンガ学科にはキャリア専任講師がいますので、一緒に具体的な人生設計を立てていくのが理想ですね」
――漫画の描き方だけでなく、生き方を学んでいくのですね。
「そうなんです。高等教育機関として、人間力を育てることも重視しています。上手い人がいくらでもいる業界で、”漫画家として生きる”と決意するのは勇気がいることです。作品を世に出せば、周囲の人や担当編集者にいろんなアドバイスを受けたり、ときには厳しく批評されたりもします。それをどう受け止め、心を折らずに続けていけるか。メンタルも相当鍛えられると思いますよ」
■漫画家のなり方、生き方は1つではない
――「プロになれるのはひと握りの特別な人」という印象があるのですが、やはり狭き門ですか?
「そんなことはないですよ。むしろ、才能だけではプロになれない世界だと言うほうが正しいですね。目標に向けて上手に努力できる人であればプロへの道はひらけると考えています。実際本学のマンガ学科の学生は、3分の1が在学中に商業誌デビューするなどして、プロとして卒業していきます。卒業後、プロ作家のアシスタントとして腕を磨きながらオリジナル作品を描き続け、デビューを果たす学生もいます」
――そうなんですね!でも、食べていくのはやっぱり大変ですよね…。
「いえいえ、食べていく方法は案外いろいろあるんですよ。漫画家というと、『ジャンプ』や『マーガレット』といったメジャーな商業誌で連載を持つイメージが強いですよね。本学の学生も入学当初はほとんどがその道を目指しています。ただ、漫画はメジャー誌だけではありません。その人に合いそうな雑誌を教員からアドバイスすることもあります」
――たしかに、メジャー誌以外にもいろんな漫画誌がありますね。
「もっと言えば、漫画家が必要とされるのは雑誌だけではありません。漫画は物事をわかりやすく伝える優れた手法として、さまざまなジャンルで活用されています。例えば、企業の事業内容を漫画で説明したり、地域の特産品を紹介するのに漫画が使われたり、海外の文化を紹介する漫画が作られたりもしています。最近の狙い目は、小説のコミカライズ。年々需要が高まっているのに、人が足りていないんです」
――なるほど。雑誌で連載を持つこと以外にも、漫画家の活躍の場はあるんですね。
「そうなんです。ストーリー作りが苦手で絵が得意な人はコミカライズを極めてもいいし、絵がヘタでもストーリーが得意な人は原作という手もあります。自分の作品を分析すること、どのメディアでどんな作品が求められているかを知ることで、漫画家としての道は広がっていきます」
――漫画家になるには、マーケティングも重要なのですね。
「そのとおりです。2年生以上はマーケティングの授業もあるんですよ。もちろん、一旦は就職して、卒業から10年、20年経ってからデビューしたっていい。大事なのは漫画を描きながら”生きる”こと。これは講師陣が口酸っぱく学生に伝えています」
■デジタル化で漫画業界はどうなる?最近の動向と今後の展望
――漫画の世界もデジタル化の波が押し寄せているように思います。最近の業界の動向を教えていただけますか。
「今までのような横向きに読む漫画が電子化されているのはもちろん、スマートフォンに対応した縦読み漫画が世界的に広がっています。特に中国と韓国は、日本よりもはるかに巨大なマーケットを築いていますね。漫画アプリもどんどん増えています。日本の漫画業界は今が踏ん張り時だと思います。世界と張り合って行かなくてはいけない時代がもう来ていますから」
――漫画もスマホで読む時代なんですね。
「紙媒体でじっくり読んでいた時代とは読まれ方も変わってきています。例えば電車で音楽を聴きながら、といったように、隙間時間で読まれることが多くなりました。短時間で大量に消費されていくものになっているので、当然今までと描き方やストーリー作りはまったく異なります」
――SNS発の作品を目にする機会も増えました。
「そうですね。メディア側だけではなく、作家自らが発信することも簡単になりました。出版社もSNSで優れた漫画家を発掘しています。今後は、セルフプロデュースをしながら発信できる漫画家が有利になるでしょうね」
――マンガ学科の今後の展望を教えていただけますか。
「業界全体が大きな変化の渦中にありますが、本学のマンガ学科はその中でも最先端でありたいです。既存の商業誌だけではなく、ゲーム業界やデジタルメディアとも積極的に提携していくつもりです。新しい漫画業界を一緒に作っていけたらと思っています。
同時に、漫画をエンターテインメント以外の領域でもどんどん広めていきたいですね。地域活性化や異文化理解にも役立つコンテンツ作りが、学内プロジェクトとして進んでいます。社会のさまざまな課題を漫画で表現することで、学生の視野も広げられたらと思います」
学内プロジェクトでは、学生たちもプロの漫画家として仕事を任されている。基礎から実践までじっくり学べることはもちろん、漫画家のなり方や生き方の多様さを実感できるという点でも、大学で漫画を学ぶメリットは十分ありそうだ。
本気で漫画家を目指す学生の皆さんの姿を見て、「これからも大事に漫画を読もう」と気持ちを新たにした今回の取材だった。
取材・文=油井やすこ
撮影=松井ヒロシ
※撮影時のみマスクを外しております。