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Vol.97 ジコチューにならずに、自分の思いを伝えるということ

  • 2012年5月17日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は新しい生活のなかで意味ある失敗はどんどん経験するべし、という話をしたわけですが、僕の仲間であるAWSの学生達もちょっとずつではありますが、着実に新しいことを始めようとしていて、例えば仙台でアカペラを歌う学生の交流イベントをやる企画を進めています。どこをみつめて歩くのかということがしっかりしていれば、多少遠回りになったとしても、結果的には急がば回れということだってあるわけで、そういう意味ではすごくがんばってるんじゃないかなあと僕は思っています。ただ、そういう学生達の取り組みを見ていても思うんですが、ある問題を解決するぞというモードに入った時に、“それは何が問題だったんだっけ?”という、つねに根本に立ち返られる問題意識を持ち続けられるかどういうのがとても大事ですよね。

 例えばイベントをやるのに、会場を探して、その会場の人を口説かなければいけないということになったとしましょう。当面の課題は“どうやったらOKしてもらえるか?”ということですが、そこで“なんで、自分はこれをやろうと思ったんだっけ?”というところから離れてしまう人がけっこう多いんです。そういう人は「あなたにもこういうメリットがあって」という話をしたがりますが、でも基本は「こういうことをやりたい。そのためにはこの会場が必要なので、なんとか使わせてください」というのが話の順番ですよね。それを学生らしくというか(笑)、もう少し夢を持って語るということがあっていいと思うんです。もちろん、自分の思いばかりアピールする人というのはともするとウザい感じになるでしょう(笑)。それでも、自分がやろうとしていることのベースには確かな思いがあることをまず相手に伝えることはやはり大事だと思います。それなのに、そういう気持ちを相手に伝えることに対して、遠慮というか、ためらいを感じている人がけっこういるんじゃないでしょうか。

 “ジコチュー”という言葉がありますが、ジコチューじゃない人は多分いないと思うんです。僕が思うに、一般に世の中でジコチューだと言われる人というのは、環境に対してはたらきかけができない人、ということですよね。あるいは、環境が把握できていない、というか。例えば、わがままだけど人を惹き付けて止まない人というのはたくさんいるけれど、ジコチューなのに周りに人がたくさん集まってくるという人はいないでしょ。つまり、言葉としては同じようなイメージがあるけれど、ジコチューな人はわがままと言われる人とは違って、その人がいる環境系とのやりとりのスキルに問題があるんだと思うんです。

ジコチューにならずに、自分の思いを伝えるということ  人とのコミュニケーションにおいては、何が正しいのかということはそれほど重要ではない、ということがあると思うんです。エンターテイメントにも同じようなことが言えると思うんですが、重要なのは相手に何が伝わるかということですよね。例えば、理論的に完璧な話が人の心を打つかと言えば、それは違いますよね。言い換えると、正しくあろうという意識は、ある意味ではすごく危険なんです。先日、アカペラに関して「あなたの音に合わせにくい、と言われるんですが、どうすればいいですか?」という質問があって、僕は「あなたか、相手か、あるいは両方が正しい音で歌おうとしてるんじゃないですか。アカペラにおいては正しい音というのは存在しないので、“わたしとあなたの距離はどれくらいですか?”あるいは“気持ちいい距離感ってどれくらいですか?”ということをお互いに探り合わないといけないんですよ」と答えました。同じように、“自分がここに書いたことは正しい!”ということ自体は全体から見るとあまり関係なくて、要はいちばん伝えたいこと、伝えなければいけないことをはっきり伝えられているかどうかなんです。それなのに、自分がいかに正しいかみたいなことを書いてしまうのは、結局伝えたいこと、伝えなければいけないことがちゃんとつかめていない、ということだと思います。逆に、そこがよくわかっていれば、世の中の常識の受け売りやお仕着せみたいなことじゃない言葉で語れると思うんです。そういう意味でも、自分が本当にやりたいことかどうか自問自答を重ねるということがいちばん大切だと思っています。


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