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Vol.95 あれから1年が過ぎて、やはりあらためて考えることがあります。

  • 2012年4月12日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回と前々回は、この4月から始めた“うた”講座についてご紹介したわけですが、僕自身はその講座の内容をまとめていく作業しながら、やはり音楽家としての僕が社会に対して、具体的には被災地に対してどういうことができるのかということをあらためて考えないわけにはいきませんでした。これからも、毎年3月になるとそういうことを考えることになるのかな、というふうにも思います。

 言うまでもなく、僕はゴスペラーズのメンバーですから、歌を聴いてもらうことを通してお客さんに非日常を提供するということが僕の日常です。言い換えれば、僕たちの音楽を聴きに来てくれた人に、非日常というか、日常をさらに豊かにするふくらみを提供するという役割を担っていると思っています。ただ、その役割と、ひとりの人間として生きているということとのバランスのなかで、“そうじゃないんだよなあ”と感じる自分もいることは否定できません。そのこととどう向き合うかということについて今の音楽シーンを見渡してみても、プロフェッショナルに徹して音楽家としての役割に専念している人もいるし、他にもいろんなやり方があって、どれがいいとか悪いとかそういう話ではないと思っています。それでも、自分のなかのジレンマのひとつは、“音楽を聴いて日常から離れたいとか、それどころじゃないんだよ”という人がまだまだたくさんいることを目の当たりにしていながら、いくら自分の社会的な役割が音楽だからと言って、そのことだけをやって生きていていいのか?ということです。もちろん、基本は本業である音楽活動をおろそかにしていけないということであって、その残った時間にどういうことをしていくのかということだし、そこでの選択のなかに、僕なら僕の、個性が出るんだろうと思います。

 僕個人としては、いろんな人を巻き込んでイベントを作るのではなく、不特定多数の人の気持ちのトリガーを引くということでもなく、本当に個人的につながった人がどうなのかということをしっかり見極めるなかでできることを探っていきたいと今は思っています。早い時期に“すべてはできない”ということに気づいて、どこまで撤退するのかという問題に突き当たったわけですが、そこで僕は一度個人的な関係まで問題を引き戻して、そこからまた組み立てていこうとしています。そうすると、物事が進んでいくスピードは遅くなるから、その動きが世の中から見えるようになるにはまだ少し時間がかかると思いますが、人を巻き込んでいくには自分が完全に納得していないと駄目なので、そのスピード感はやむを得ないと思っています。

テントの張り方やサバイバル技術  今、僕がやっているのは、ボランティアとして現地でちゃんと戦力になる、役に立てるスキルと、アカペラができるということを兼ね備えている人を増やすという活動です。しかも、それはボランティア・スキルを持ってる人にアカペラ講座をやるよりも、アカペラのスキルを持ってる人にテントの張り方やサバイバル技術を教えたほうが手っ取り早いだろうということでやっているわけですが、それを学生を中心にした仕組みを作って進めています。1年で終わる話なら、僕自身がオフのたびに行ってもいいんですが、現実的には何十年も続くことですから、とするとやはりしっかりした仕組み作りをしないといけないと考えました。10年前の僕からみれば、非常に大人な判断をしたということになりますが(笑)。

 こういうことをやっていると、必ずそれをケムたがる人がいて、特に僕らは楽しみを提供しに行くわけですよね。でも、そもそも音楽だから、僕ら自身も楽しめなきゃ意味がないわけで、そういうことで言えば、やっぱり僕らも行くのは楽しいんですよ。それは、いいことをしているからとか、人から褒められたり人に自慢したりするのが気持ちいいというようなことではないんです。それは楽しいことであるというのがまず基本にあります。そのことはあらためて伝えておきたいし、また自分でも確認しておきたいことだと思います。


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