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Vol.74 僕が石巻や女川で実際に見て、聞いてきたこと

  • 2011年6月9日

みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

今回は、GWに出かけた東北で見聞きしてきたことのレポートです。
学校で まず石巻では、ボランティア・サークルに参加して活動している中学生、高校生と、その妹弟分というか小学生の子どもたちが来てくれて、一緒に歌いました。みんな楽しんでくれたし、お母さん方からも「最近見たことがないようないい表情をしていた」と言って感謝されたりもして良かったんですけど、やっぱり複雑なところもあって…。

ひとしきりみんなで歌った後、帰ろうとした僕らのところに中学生が3人来て、お礼に沿岸部の被災の現場を案内したいと言ってくれたので、一緒に車に乗って出かけました。で、いちばん被害がひどかった地域で車を降りて現場のようすを見てまわったんですが、僕は悩んだ末ずっと気になっていた事を歩きながら聞きました。「なんていうか、言葉にするのがとても難しいんだけど、正直、どうなの?」と。自分の日本語に絶望しながらとぼとぼ歩く僕に、彼女はあまり実感がないというようなことを言い、少し濁した後に「私は家族も無事だったし家もある。前の(男子)二人は仲いい友達も流されたし大変だと思います。」と。いくら申し出とはいえ、そんな子たちをその地域に連れてきてしまった事を、とりわけ車から降りてしまったことをとても後悔しました。出来るだけさりげなく、出来るだけ早く車に戻ろうと、男子二人と肩を組み出来るだけ他愛のない話をしながら急いだのですが、その後ろで女子と腕を組んで歩いたスタッフ(アカペラ人)によるとその時、彼女はかすかに震えていたそうです。本当に申し訳なかった。そういったことを予想して、うまくその場をコントロールできなかったのがとても残念です。それから、事前には子どもたちの個別な情報はほとんど持たずに出かけたんですが、後から詳しい事情をいろいろ聞きました。「あの子は両親が流されました」とか「あの子は家がありません」とか。予め聞いていたら一緒に歌う時ちゃんと振る舞えたかわからないし、一人ひとりと関係を構築した後で聞くと、それはそれでやっぱり辛いというか、重いですよね。しかも、歌い終わった後、石巻を表す3色のミサンガを着けてもらっちゃったりすると、やっぱり毎日思い出すんです、石巻のみんなのこと。切れる前にまた行かなきゃなとも思っています。

その後、宮城県のブランド豚として知られた「ありが豚」の生産農家を訪ねました。お家は内陸の白石なので大丈夫だったんですが、農場が沿岸部の名取にあり、壊滅的な被害を受けました(http://arigaton.my-farmer.jp)(http://arigaton.at.webry.info/201103/article_50.html)。3月11日は、その生産農家のお父さんが、地震の後、豚舎が大丈夫かどうか見に行ったときに、異常を感じてふと目を上げたら松林の枝先がガラガラ蛇の尾みたいに震えていて、“これはヤバイ!”と思ってダッシュしてコンポストの上に上ったら、アッという間にそのコンポストの半分の高さくらいまで津波がやって来て、全部浸かってしまったそうです。それで、そのコンポストの上で雪のふる氷点下をひと晩過ごしたわけですが、幸いなことに、コンポストは堆肥が入ってるから、その放熱で雪が降る寒さのなかでもなんとか助かったということでした。そのお父さんが言うには、取材に来た人に「怖かったでしょう?」と聞かれたら「怖かった」と答えるし、「寂しかったでしょう?」と聞かれたら「寂しかった」と答えることにしているけれど、実際その場にいたときには何も感じなかった、と。あまりに壮絶な状況で、感情みたいなものが麻痺していたような感じだったそうです。

翌日、女川に向かったのは、その生産農家の息子さんの恩師が女川にいて、女川では第一中学と第二中学、それに第一小学校が全部第一中学にまとめた状況になっているところに来てくれないかという話になったからです。ただ、3校がそれぞれのカリキュラムで動いていて、うまく時間が合うのは20分しかないということでした。しかも、到着してみると、地震で体育館が使えないから外にみんな集まって歌おうということなんです。当日は風がむちゃくちゃ強く、マイクも1本しかなくて、アカペラの歌なんて聞こえるのかな?という状況だったですが、でもそこは生徒400人のうち300人の家がない、その子たちは文房具もない、何もかもないという状態です。それに、なにしろ時間もなかったから、とにかく一節か二節くらい歌って、ちょっと話をし、最後に再訪を約束して帰ってきました。女川は、Googleマップなどで見るとわかりますが、急激に土地が狭まっているので、その分だけ津波の威力も増したようです。衝撃的だったのは、石巻から女川に向かうと坂道を上っていくことになるので、高度が上がるにしたがって津波の被害がなくなっていくんですが、途中から急に、まだ上っているのにまた津波によるものらしい爪痕が出てくるんです。“どうしてなんだろう?”と思いながら坂をのぼり切るといきなり景色が開けて、女川の街だった場所がドーンと見えたときというのは、普通の感覚では目の前にある状況を解釈できないという感じでした。

というわけで、この2日間に見聞きしたことを書き始めるときりがないくらい、本当にいろんなことがあったんですが、この限られた文章のなかに、皆さんの心に届く何かが込められていたらいいな、と思っています。無力を嘆いても何も好転しないわけで、責任感とともに、がむしゃらに、出来ることを探して実行していこうと思います。よろしくお願いします。


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