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Vol.56 自分のからだとの対話の、ひとつのかたちとしての食事制限

  • 2010年9月9日

 

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は、僕のラフな食生活をそれこそラフにご紹介したわけですが、ちょっと意外に思われた方がいるかもしれません。というのは、食事制限をしているということで、“北山はかなりストイックな食生活を送っている”というイメージを持っている方がけっこういらっしゃるようなんです。そういう方からすると、“えっ、インスタントラーメンも食べるの!?”という感じだったかもしれませんが、残念ながら(と言うべきなのかな)食べますよ。21世紀の東京で暮らしているんですから(笑)。

 そもそも、食事制限を続けているということは、ストイックというのとはちょっと違うと思います。もちろん、ストイックなスタンスで食事制限に取り組んでらっしゃる方もいると思いますが、僕はそうじゃありません。むしろ、僕はかなり楽しくやってると思います。確かに、我慢ということで言えば、我慢していることは少なくありませんが、そのことについて考えてみても仕方ないというか、自分である範囲の食品については食べないと決めたのに、それを食べたいなと思うのはストレスになるだけですよね。“この範囲の中のものは食べると決めた、その範囲の中でどうやって楽しむか”ということだと僕は思っています。で、かなり楽しんでやれているというわけです。

食  例えば、豆腐ばかり食べている人がいるとしましょう。それを、“こうでないといけない!”と思ってやってるのも、“豆腐が好きだから豆腐しか食べない”ということでやってるのも、結果としては同じですよね。で、どっちが喜びが大きいかと言えば、それは明らかです。アレルギーなど何かの事情で“食べられない、飲めない”という枠を抱えている人が世の中にはいるわけですが、そういう枠を僕は自分で設定しているというだけなんですよね。
 つまり、普通は食べられるか食べられないかというところに境界線を引いているんだけど、僕はたまたまちょっと違う線の引き方をしたということなんです。で、そのなかで自分なりに楽しみますというあり方はストイックということではないでしょう。
 それに、ゴスペラーズに入るまでの僕は、食欲、それに睡眠欲などは二の次、三の次になってしまうようなタイプで、その点ではストイックというのとは対極的な、気の向くままにというような生活を送っている人間でした。食事については、正直に言って、いまでも食べなくて済むものなら食べずに済ましたいという感覚は変わっていません。そういう人間が、あるときボーカル・トレーナーに言われて、声の為に食事制限を始めたわけです。そして、続けているうちに、“これは楽器としての自分のからだをメンテナンスする方法のひとつなんだ”というふうに、自分のなかで考えが固まっていきました。だから、自分としては単純にからだをいい感じに保つための試行錯誤を続けているだけで、その試行錯誤のプロセスを楽しんでいるということなんです。

 試行錯誤の途中ですから、定期的に“なんで、食事制限をやってるのかな?”と、自分が設定している枠を自分で見直します。見直すとはいっても、一度決めた枠から外には出ることはしません。(解禁カードの枚数が増える可能性は否定できませんが(笑))そこはちょっと頑固ということになるかもしれませんが、そういうふうに決めています。で、みなさんから見れば制限の度合いが厳しくなっていくというふうに思われるかもしれないけれど、僕としてはその食事制限を始めた理由をもう少し押し進めるために、さらに食生活が変化していっています。例えば砂糖は元々の制限には入っていなかったし、玄米を食べることにしたのもそういう流れのなかでのことです。 

 というわけで、僕の食事制限はごくごく個人的なモチベーションと個人的な楽しみで続けていることですから、“みなさんもぜひどうぞ”というふうには勧めませんが、ただひとつ言えることは「とりあえず1回止めてみることで感じるものは非常に大きい」ということです。例えばカフェインをやめて2年後くらいに、間違ってカフェインが入っているものを飲んでしまったことがあったんですが、そのときのからだの反応をみると、カフェインというものがどれだけすごい刺激物なのかということがよくわかりました。砂糖にしても同様です。そういうことを知ったうえで、また元に戻るというのももちろんありだと思うんですが、とりあえず半年から1年やめてみるというのも、自分のからだが元々持っていた性質を知るという意味ではやってみる価値があるんじゃないかと思います。

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