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Vol.53 自分のからだを大事にするということと社会を考えることはつながっているという話 その1

  • 2010年7月29日

 

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。
 夏バテしてませんか?

 といきなり呼びかけてしまいましたが、今回は自分の体調を管理することとエコの意識はまったく地続きだと思うという話です。

脳  まず、体調管理は自分のからだと対話することから始まると思いますが、普段からそういう対話をすることがクセになっていると、例えば友人との会話に夢中になって、本当はお腹がいっぱいなのについつい食べ続けてしまった…、なんてこともなくなります。そういうクセがついていると、からだが発する“もう食べられない”というシグナルを見落とさないし、あるいは“見過ごしたいな”という欲望をどこかに追いやることができます。また、“お腹空いたなあ”と思ったときに、それは生き物として本当に腹が減っているのか、それとも別に空腹状態ではないのに脳が“昨日のこの時間に食べました”というデータをもとに勝手に判断して空腹シグナルを出しているのか、あるいは嗅覚や視覚に訴えかける外的要因による“作られた食欲”なのか。そういうことも、しっかり判断できるようになるはずなんです。

 そこで、その対話する相手と自分との関係の有り様を考えてみましょう。
 自我、と言ってしまうとちょっと難しく思われてしまうかな。例えば“食べたい!”という欲望を持つ本体部分、それを自我と呼ぶとすれば、自我は脳のなかにあるわけで、ということは“食べたい!”と欲望する自分がいちばん最初に直面する“環境”とは自分のからだであるというふうにも言えますよね。

 さらに、そこから顕微鏡の倍率を上げるような感覚で話をもう一歩進めます。今度は脳の中の活動を自我と捉えると、脳自体を“環境”と捉えることができます。つまり、大脳皮質での活動をここで言う“自我”とすると、自律神経系とか視床下部とか脳幹などのはたらきが自分にとって最初の“環境”だということになります。そうすると、環境問題として“なぜ温暖化は進むのか?”とか“なぜ天候が不安定なのか?”といったことを考えるように、“なぜお腹が空くのか?”とか“なぜイライラするのか?”というようなことについても、対処の仕方を考えることができるようになるか、少なくとも外的な要因に変に誘導されたり騙されたりしなくて済むようになると思うんです。環境をモニターすることの大切さは環境活動をやられてる方ならよくわかっていらっしゃるでしょう。同じように“環境”としての自分の体に向ける目、つまりチェックポイントをいくつも持てればそれはすごく大きなことだと思います。

 ちなみに、からだと対話するこの感覚をさらに磨いていくと、食べることに限らず、なんでも本当に欲しいもの以外は手に入れなくて済むのかなというふうにも思います。

 自分が選択しているのか、選択させられているのか、言い換えると選択した気になる幸せを与えられているのか、それとも本当に自分で選んでいるのかということを考えるクセがついている人って、僕も含めて、いまはほとんどいないんじゃないでしょうか。特に、メディアから情報を与えられることに慣れてしまっている人は自分が選んでいると錯覚しやすいと思うんです。仮に、“選ばない”と決めて、常識的に抵抗しても、相手はそういう反応をみんな折り込み済みで誘導して、結局その相手の意に沿った選択をさせられていることが多いように思います。いちばん厄介なのはそうした誘導が善意の名の下に行われる場合で、実際に現場で活動している人が本当に善意でやっているようなケースは対応の仕方がなかなかデリケートになりますが、そういう場面で自分の武器になるのは、やはり自分が何かを選択するときの仕方とか、欲求を自分で認識する捉え方とか、そういうことをパターン学習して知っておくということですよね。つまり、“このパターンで何かを選んだときは、必ず失敗してるぞ”みたいなことです。

 自分の意識のパターンというのは、わかっているようでけっこうわかっていないもので、それを自覚することが暮らしのなかのいろいろな“無駄”をずいぶんと減らしてくれると思います。

 今回は、環境問題をウォッチするのと自分のからだをウォッチするのは同じようなこと、という話でしたが、次回は逆の流れの話をしたいと思います。どうぞ、お楽しみに。

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