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Vol.131 自分がやるべきことをいろいろと再確認する今日この頃です。 

  • 2013年9月26日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 この連載のスタッフから「名曲のリユース/リサイクルですね」と言われたのをきっかけにして話を続けている間に、昨日・25日にゴスペラーズのアルバム『ハモ騒動〜The Gospellers Covers〜』がリリースされました。

 前回は、どうして初めてカバー・アルバムを作ったのか?という話でしたが、今回はそうした内容の話とは別に、人間としての学びというところで今回のアルバムを作りながらゴスペラーズのメンバー、安岡優の姿勢に僕は大いに感動させられた、という話を。

 今回のアルバムでは、英語曲のレコーディングに際して、英語の発音や歌い回しなどをあらためて専門の先生に矯正してもらったのですが、なかにとても厳しい先生がいて、大げさでなく、これまでの人生で培ってきたものが一気に突き崩されるくらいのショックを受けるような試練の毎日でした。僕ら五人全員がそれぞれ、いままで気づいていなかった、あるいは避けてきた壁の前に立たされたわけですが、そういう状況に向き合う安岡の姿勢、特につねに前向きでタフなメンタリティーが本当に素晴らしかったんです。40歳近くなったこの年齢で、自分ができていないと言われていることとどう向き合うか、どう折り合いをつけるのか、ということについてすごく勉強になったというか、見習えと言われても僕にはすぐにはできないかもしれないと思うくらい素晴らしかったんですよね。

 なぜ安岡の話を持ち出したかと言えば、それはこれを読んでる人にもあらためて考えてほしいんです。あなたが今やってることは誰かに頼まれてやっていることですか?自分がやりたいからやってるんじゃないですか?自分が選んでやろうと決めたから、やってるんでしょ。それでも、もちろん文句を言いたくなることもあるだろうし、疲れてサボりたいと思うときもあるだろうけど、でも自分からやりたいと思って始めたのに文句を言ったり休みたいという人が多いなと思ったし、何より僕自身が自分に対して思ったんですよ。僕がやってることなんて、「やりたくないんだったら、やめれば」という話なんですよね。でも、僕はやめたくない。「だったら、がんばろうよ」ということなんですが、そういう基本的なことを強烈に思い出させてくれたのが、今回の安岡だったというわけです。

 ところで、そうしたゴスペラーズの一員としての基本事項を再確認する一方、ひとりの人間としての僕の役割についても最近いよいよクリアになってきていると感じているんですが、それはすごく簡単に言うと、僕の話を受け取る人、僕と一緒に何か行動する人が以前から持ち合わせているものを新たに組み合わせる手助けをしたいんですよね。例えば、すごくいきなりな例ですが、みそ汁を作る、と。ある人はワカメのみそ汁しか知らなくて、だから味噌とワカメと出汁を用意します。でも、その人はアオサも持っているとわかれば、僕はアオサのみそ汁がすごくおいしいことを知っているから、そのことを教えてあげる。すると、彼は自分の持っているもので新しいみそ汁を作ることができるようになるっていう。ただ僕は、いくらアオサのみそ汁がおいしいのを知っているからといっても、「アオサを買ってこい」とか「アオサを育てたら」とか、そういうことは絶対に言わないんです。最初から持ってるなら、それは使ってみたらどう?ということしか言わない。つまり、視点の転換を促すということ。「これはこういうものだ」と思ってる人に、「そうじゃないとしたら、どうですか?」と言ってみる。そうすると、相手は自分が元々持っているリソースをどういうふうに使うかということについての新しい発見があって、その結果としてその人が培ってきたリソースをいっそう変幻自在に有効活用できるようになるんじゃないかと思うんです。(リソースというのは、後天的に頑張って得たものも含めて、その時点で持っている才能や能力のことです。無自覚のものも含めて。)そういうことの手助けをしたい。だから、今回のゴスペラーズのカバー・アルバムを聴いて、そのオリジナルが好きだったリスナーがその楽曲のなかに新しい発見をしてくれたりしたら、人生や考え方の中に改めてその曲が役割を得たら、涙が出るくらいうれしい、なんて思っているのでした。


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