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Vol.128 先の参議院選挙で考えたこと その2

  • 2013年8月15日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は、ネット上で共感や認識の共有を広げていく上で、ある種のありがたみを演出することが送り手にとっても重要なんじゃないか?というところまで書きましたが、ここで言う「ありがたみ」とはデジタルコピーできないもの、ひとつしかないもの、というふうにも言い換えられると思います。

 みなさんは、三宅洋平という音楽家がみどりの党から比例区の候補として出馬して17万票を集めたことをご存知でしょうか。選挙の結果としては落選したわけですが、ネットを通じた選挙活動という部分では最も熱い支持を集めた一人だと思います。もっとも、彼がやったことは「選挙フェス」と題したステージで、集まった聴衆に歌いながら直接訴えかけるということを繰り返し、その映像がネットを通じて広く知られるようになり、「選挙フェス」がさらに盛り上がって大きな話題となったわけです。そのネットの映像から感じられる彼の存在感やリアリティーは、まさにデジタルコピーできない感じがします。デジタルコピーの拡散をきっかけに、コピー出来ないモノへの欲求を引き寄せて行った、理想的な形と言えるのではないでしょうか。

 ここで僕が彼を取り上げたのは、僕と彼とではずいぶんやり方が違うというか、ある意味では真逆のスタンスだからです。僕以外にもミュージシャンで社会活動に真摯に取り組んでいる人がいますが、それはわかりやすい派手さがない、いわば種まきのような取り組みが多いと思います。それに対して、彼は自分自身が花として咲こうとしているように感じました。選挙なんだから当たり前と言えば当たり前なのですが、そのスタンスはわかりやすいし、もっと言えば、かっこいいと思います。でも、僕自身は、咲くのはぜひ誰か僕以外の人がやってください、というスタンスです。というか、ゴスペラーズの一員としてすでに咲いているので、それで十分なのかもしれないですね。だから、正直に言えば、そっとしておいてほしいです(笑)。

 そういうことを書くと、「オマエは能力があるんだから、やれ」という主旨のことを言ってくる人がいます。でも、僕はその言い分はすごく下品だと思っています。だって、それは「俺は能力がないから、やらないよ」と言ってるのと同じでしょ。そうじゃなくて、その人がやる気を出すような、あるいはやりたいと思えるような環境を整えてあげるとか、「やってくれるんだったら、こんなふうに協力するよ」とか、要は自分もやること込みで、相手にもお願いするというのがあるべき姿なんじゃないでしょうか。

 僕自身は、自分に何ができるかわかりませんが、今は人と人とをつないだり、人と話をして、少なくとも僕は同意しているよという意味で、その人の背中を押してあげたり、それくらいでいいんじゃないかなと思っています。大震災の後の日本を生きているということは、がんばってもがんばっても、出口がなかなか見えてこない時代に生きているということだと思うんです。その国で、僕個人の名を残そうが残さなかろうが、自分が関わっている人たちとちゃんと向き合って、できるだけ明るい未来を作ろうとするということが、僕がやるべきことなのかな、と。自分の幸せを作れない人は人の幸せを作れないとよく言われますが、音楽を通して他人と向き合うなかでその人の暮らしを少しでも明るくするということが僕の幸せであると言ってしまっていいと思うし、そういう人生を歩む人間がいてもいいんじゃないかなあというのが、今の僕の実感です。

 今回の選挙も、社会というものの現実であったり、自分が思い描く未来像とのギャップであったり、そういうものをしっかり洗い出してくれたと感じています。だからこそ、そういうものがどうなっていくのかということをしっかり見守りたいと思うんです。この連載を読んでいる人のなかには、自分が応援していた政治家が負けたという人もいるだろうし、その逆の人もいると思いますけど、大事なのはその後というか、これからですよね。ワールドカップのときだけサッカーを応援するんじゃなくて、というのと同じだと思うんです。好きになった選手がいたら、ワールドカップの代表に選ばれなかったとしても、折にふれて、“今はどのチームでどんなプレイをしてるのかな?"というのを追いかけるっていう。そういう気長な態度が、いろいろな物事を変えていくんじゃないかなと思っています。


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