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Vol.84 縄文号とパクール号の航海

  • 2015年5月28日

 探検家で武蔵野美術大学教授の関野吉晴さんが、インドネシアから日本まで手づくりのカヌーで航海した映画「縄文号とパクール号の航海」を見てきました。

 この旅は関野さんが長年続けてきた、人類がアフリカから世界じゅうに広がっていく道のりを辿る旅「グレートジャーニー」の一環。南米からアフリカまでを、人類の拡散とは逆ルートで、近代的動力を使わずに辿ったあと、関野さんは日本人のルーツに興味を持ちます。

 4万年前ごろから日本列島にはさまざまなルートで人類が入ってきました。関野さんが絞ったルートは3つ。シベリアからサハリンを経由し、北海道に至る「北方ルート」。ヒマラヤの山麓からインドシナ、中国、朝鮮半島を経由して対馬列島に至る「中央ルート」。そしてインドネシアからマレーシア、フィリピン、台湾を経由し、石垣島に到達する、今回の「海上ルート」です。

縄文号とパクール号の航海

 関野さんはこの旅でも、近代的動力を一切使わないというところにこだわっています。カヌーを作るために、まずは武蔵野美術大学の学生とともに九十九里浜で砂鉄を集め、刀鍛冶の技術を使って鉈(なた)などの工具を作るところから始めました。そしてインドネシア・スラウェシ島に向かい、現地のマンダール人という人々の力を借りて、持ち込んだ工具で長い時間をかけて大きな木を切り倒します。さらに現地の老人たちがかろうじて覚えていた昔ながらの製法で、「縄文号」を作りました。

 その縄文号に、マンダール人の伝統的な漁船「パクール号」も加わって、4700キロの船旅が始まります。しかし旅ははじめから試練の連続。縄文号の船体は非常に軽く、長さも短いので、逆風ではほとんど進まないのです。ひどいときは1日あたり10キロほどのスピードしか出せず、歩いた方が速いほど。それでも関野さんは「太古の人々に思いを馳せるにはもってこいの船だ」と言って頷きます。

 エンジンを持たず、コンパスやGPS、海図も使わずに、かすかに見える島影と星の位置だけを頼りにして、縄文号とパクール号は進んでいきます。昔の人々が日本にやってきたように。そうやってマンダール人と日本人の11人を乗せた船の旅は、2009年から2011年までのあいだ、2度の中断を経て、乗組員の安全を重視しながら続きました。そして最後は猛烈な追い風を受け、ついに日本の石垣島に到達します。

 合理性や効率の問題ではなく、風力や手漕ぎといった原始的な動力のみで、少しずつ進むということ。しかも日本に向かって。その辛抱強さを見ていると、こうして日本人として自分が生きていることを、あらためて考えさせられます。この船旅自体が人類の進化を代弁しているようで、ときに気持ちのよい南風が船を後押しし、僕らの住む現代へと一気に引き寄せてくれます。

 船の操縦や修理など、多くの重責を担ったマンダール人との関わりも、とても見応えがありました。彼らの顔つきもそうですが、僕が先日訪れたラオスやベトナムにしても、みんな日本人と似た顔つきをしていて、そのたびに自分たちのルーツについて、たびたび考えたりしました。

 日本がまだアジア大陸と地続きであったころ、動物たちは獲物を追いながらやってきましたが、それから時を経て島国となり、人類は海を渡って各地から流入してきました。まだ諸説があるようですが、かつて彼らが研ぎ澄ました五感を頼りにして海を進み、日本の島影が見えたときの喜び、その一瞬の先に僕らが立っていることを、この映画を見て強く感じました。

 関野さんはさっそく、次のグレートジャーニーの準備をしているそうです。どんな旅をして、僕らにどんな追体験をさせてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。




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