今回は動物行動学者で理学博士の日高敏隆さんの著書を紹介します。僕がエコロジーに興味を持ち始めたころ、友達のミュージシャンから教えてもらって本をいくつか手に取り、よく読むようになりました。
日高さんはかつて、日本動物行動学会の初代会長を努めており、総合地球環境学研究所の初代所長でもありました。たくさんの著書や訳書のほか、専門書だけでなく、親しみやすいエッセイも多数残しています。
なかでも「春の数えかた」という本がとても好きです。新品で買った文庫本が、かなり味わいのある手触りになるくらい何度も読みかえしています。日高さんの専門分野であるチョウの生態の話のほか、虫や鳥たちが春の訪れを必ず察知できる方法、人里とエコトーンの話、動物の予知能力の話、などなど、実験も含めたエピソードが満載です。
そのなかでも印象に残っているエッセイをふたつほど取り上げたいと思います。ひとつは「動物行動学としてのファッション」。
人間にとって、ファッションとは自己表現の一種であり、変身願望ともいわれます。突き詰めると、結局は自己満足?しかしそれは本質を捉えているのでしょうか。
動物界では、自分を魅力的に見せる理由は、異性に選ばれるため、そしてより多くの子孫を残すために限ります。ファッションに敏感なのはたいていオス。メスは丈夫で頭のいい子供を生むために、健康的でセンスよく着飾ったオスを探します。
クジャクのオスは、きらきら輝く尾羽の模様の鮮やかさを競い合いながら、お目当てのメスの前でファッションショーを開催。ライチョウのオスは、首のまわりに覆った厚手のマフラーのなかにある肉垂をふくらませて、その大きさをアピールし、奇声を発しながら競争相手を威嚇します。
目立とうとしても、あまりにも逸脱した姿かたちでは、メスに相手にされません。集団への帰属、人間でいえばそのときの流行がベースにあって、ちょっとした差異で競うのは誰しも同じ。
異性へのアピールと、同性への攻撃。しかしあまりかき立てすぎるのも難ありで、敢えてボーイッシュに寄せる女性がいるように、器用に異性を狙う魚もいます。読んでいると、自然界に鏡があればいいのに、と思います。
もうひとつは「灯にくる虫」というエッセイ。虫たちは蛍光灯などの灯りに群がりますが、実は一晩中集まるわけではないのです。日高さんが高校生の頃に生物部にいた頃、運動場の一隅に白い布を広げ、それを白熱電球で照らして夜から朝まで実験したそうです。
すると夜の10時半ごろまではたくさん集まりますが、夜中の2時3時になって来るとまったく集まらなくなるとのこと。考察としては、陽が暮れてからしばらくのあいだは、異性を求めて、もしくは産卵する場所を求めて飛び回る時間なのではないか、ということです。
そもそも虫たちは、どうして光に集まって来るのか。地球上に人間が現れて、火をたくことを始めるまで、夜の地上には光というものはなかったはずです。日高さんは、アメリカシロヒトリという蛾を例にとって、虫たちにとっての天然の光とは、夜空の明るさであると解きます。
天然の森はたいてい真っ暗です。アメリカシロヒトリは森のなかの地上、いわゆる林床でサナギの時期を過ごしますが、サクラやミズキの葉の裏で配偶行動を営む性質があるので、いったん梢の上まで飛び上がって、木々の葉からほのかに立ち昇ってくる匂いを嗅ぎ取らなければいけません。
そのとき、大きな助けになるのが光に向かう性質なのです。どんなに暗い夜も、林床よりは夜空の方が月や星の明るさがあります。夜空からやって来るほのかな光を求めて、虫たちは上へ上へと飛んでいきます。
森の上へと飛び出し、葉を見つけたらそこに留まって性フェロモンを放ち、相手が来るのを待ちます。配偶行動が始まれば、もはや光は必要ではなくなります。だから光を求める時間も限られているのです。
僕はこの話を読んで、夜空を目指す虫を思い浮かべ、ロマンチックな気持ちになりました。「Lamp&Stool」という曲が生まれたきっかけにもなったので、ぜひ聴いてみてください。
日高敏隆さんの「春の数えかた」は、2002年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。ページを開けば、いつでも雄大な自然が心のなかに広がります。ぜひ手に取ってみてください。