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このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第95回 森と川と海の正しい関係を取り戻せば東北はよみがえる

  • 2011年12月15日

特集/災いを転じて・・・(その2) 森と川と海の正しい関係を取り戻せば東北はよみがえる

「緑のコンビナート」の概要
被災した漁師の畠山重篤さん
撮影:あん・まくどなるど

 私がこの震災復興支援シンポジウムの基調講演になぜ呼ばれたのかと考えてみますと、私自身が被災者ということと、三陸・気仙沼で牡蠣の養殖をしていまして、おいしい牡蠣を作るには、海のことだけ考えてもだめで、海に流れてくる川の上流の森林が大事だということに気づき、20数年前から「森は海の恋人」というテーマを掲げて植林活動を続けているからだと思います。

 親父の代から牡蠣の養殖の仕事をしていて私が2代目。3代目の息子たちも継いでいます。孫が4人いますが、孫にもこの仕事を継いでもらおうと私はすでに教育を始めていました。その時にこのような巨大な津波に見舞われてしまい、かなり孫の将来に対して心配があります。

 私の津波の体験は50年前のチリ地震津波です。人が亡くなるような津波はこの50年間なかったわけですが、三陸沿岸の古老たちに話を聞くと、一生のうちに2回は津波に遭うそうです。この津波で私は施設に入所させていた母を亡くしました。この文明国で2万数千人の方が亡くなったり、行方不明になっていること、しかも、人口密度の少ないところでこんなに大勢の方が亡くなっていることに戦慄を覚えます。もし、人口密集地帯にこんな津波が来たらどんなことになるのか、ビルの4階まで水につかることを意味しますから大変なことになります。

 わが家は舟もいかだも仕事場もみんな流されましたが、少し高台にある家だけは幸い残りました。最初の10日間はまきストーブを囲んでジャガイモを食べて過ごしましたが、まきストーブのお蔭で家族の話し合いが増え、絆が強まりました。私の集落では52戸のうち44戸が流されましたが、あれだけ大津波に蹂躙されながら、海を恨んでいる人、津波を恨んでいる人は一人もいません。私自身がそうです。海でしか生きられない。海の豊かさを知っているからです。皆さん、小高い丘の上、海の見えるところに住みたいと言っています。

 最近、幼稚園に行っている孫が歌うんですよ。「流されたー 流されたー。でも、高いところにまた家建てる」。わが家は10人家族ですが、毎日、養殖場を立て直そうと話していますので、孫もそのことを聞いていたのだと思います

「森の中に魔法使いがいる」と言う博士との出会い

 50数年前、家の近くに東北大学の牡蠣の研究所ができました。牡蠣博士と言われた今井武夫という東北大学理学部の先生がいましたが、世界中から牡蠣の種を集めて、私のいる舞根湾で養殖の研究をしていました。

 中学生の私はよくそこに遊びに行っていました。当時は、産卵させることはできても、エサとなる植物プランクトンの培養が大変でした。今井先生は「山へ行って腐葉土を取ってきなさい。それを水に入れて濾過して、プランクトンの培養液に入れなさい」と言っていたのを覚えています。すると植物プランクトンがいっぱい湧きだして、「森の中に魔法使いがいる」と先生は言ってたんですよ。

 それから30数年たって、気仙沼湾の汚れが進んで、牡蠣の育ちが悪くなるなどいろいろな問題が出てきました。川にダムや河口堰を作る、川の流域では農薬、家庭の生活排水、山では戦後の拡大造林で広葉樹に換えて杉をたくさん植えるなど、川の流域にはいろんな問題がある。

漁師が森に木を植える

 漁師は海だけ見ていてはだめなのではないか、森を何とかしなければということに気づきまして、平成元年(1989年)から森に木を植える活動を始めました。科学的な裏付けがわからないまま始めましたので、水産学の先生からは「漁師が遠い山に行って木を植えてどうするの」と言われました。行政に相談すると、日本の行政はタテ割りで、ものごとをトータルで考えることをしないものですから、ずいぶん批判されることもありました。

 平成2年(1990年)に北海道大学の松永勝彦先生(現・四日市大学環境情報学部教授)に出会いまして、「あなたたちのやっていることは、科学的に根拠のあることなんだよ」と言われました。早速、そのメカニズムを教えてもらいました。

 海の食物連鎖の出発点は植物プランクトンから始まります。まず植物、動物プランクトン、小魚が生まれて大きな魚が食べる。自然界ではものすごいドラマが展開されている。その背景に目を向けないと海は豊かにならないのですが、経験的に山の木を切ってしまうと魚が海に寄りつかなくなるということは知られていまして、沿岸の森は切らないで保存する魚つき林というのがありました。

 松永先生からは、川でつながる遠くの森も魚つき林なんだということを教わりました。そして、人間の体も植物も、鉄がないと維持できない。盆栽で有名な埼玉県・安行の植木屋さんは、松の盆栽が弱ってきたら鉢の土にくぎを刺している。

 光合成をするために植物は葉緑素が必要ですが、それを作るためには鉄が必要、窒素、リンなどの肥料を吸収する時も鉄が必要だと教わりました。

スペインの漁師たちは「森は海のお袋」と呼ぶ

 宮沢賢治は農家の人たちに、冬になったら崖の赤土を畑に入れなさいと言っています。客土と言いますが、これは鉄を入れるということです。気仙沼湾の背景の山は赤っぽい。鉄分の多い土からできている。森の腐葉土と鉄がくっついて川から海に流れて、植物プランクトンを産み出しているわけです。腐葉土の中のフルボ酸が水に溶けた鉄イオンとくっついてフルボ酸鉄ができ、これが宮城の海を豊かにしています。

 私たちの住む三陸海岸はリアス式海岸です。このリアスという言葉はスペイン語の「川」が語源です。川が削った谷底だったということです。縄文時代に地球が暖かくなり、海水位が高くなって海水が流れ込んできたとされています。

 腐葉土に覆われた山から川が流れ、森と川と海がつながって初めて豊かな海があるわけで、静かな海でいかだが組めるから牡蠣の養殖が盛んなわけではないのです。川が流れてこなければプランクトンは増えない、牡蠣の漁場にはできないのです。

 東京湾と鹿児島湾を比べると湾の面積はほぼ同じですが、漁獲量は30倍も違います。青々とした鹿児島湾の方が多いと思ったら間違いです。鹿児島湾は火山の噴火でできたため、大きな川が流れ込んでいないんです。東京湾は16本もの川が流れ込んでいます。多くの川の背景は武蔵野の雑木林です。ここからフルボ酸鉄が流れ込んでいるので、東京湾から江戸前の寿司ネタが獲れるんです。

 リアス式海岸の本家はスペインのガリシアです。ポルトガルの国境から1,000kmも続く海岸です。カトリックの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラがあります。ヨーロッパから聖地を訪れる人たちは、必ずホタテガイの貝殻を身につけて巡礼に行きます。なぜなんでしょうか。私はホタテの養殖もしていますが、今から10数年前にそこを訪ねました。そこは昔からホタテの獲れるところです。巡礼の人たちはここでホタテを食べて貝殻を持ち帰りました。ガリシア地方は湿ったスペインと言われ、製材所が多く、ミズナラなどドングリの木が森にうっそうと生えていました。落葉広葉樹の腐葉土のいっぱい出る森林です。

 そこの漁師たちに、われわれは日本で「森は海の恋人」という山に木を植える運動をしている、通訳の人にどう訳すのかと聞くと、森はボスケ、恋人はラノビア、海はマルと言いましたが、漁師たちは笑いながら、何を言うか、われわれは森のことをママと言っている。「森は海のお袋」だと言うのです。なるほどな、漁師のまなざしはどこも一緒だなと思いました。私は、自分たちのやってきたことは間違いないなと確信を得ました。

森・川・海をつなぐ

 森に木を植えることで、いろんな意味で海がよみがえってきまして、最近は夢にまで見たウナギの稚魚が戻ってくるようになりました。森、川、海をつなぐ象徴的な魚はなんといってもウナギです。最近、産卵場所が発見され、人工的にウナギが作れると期待している風がありますが、私はおかしいと思いますね。ウナギは川に上がって5年から10年、川で育って大人になって、南の海に戻って産卵するというサイクルがありますが、自然界の形をちゃんと取り戻せば、稚魚を取って養殖しなくても、ウナギは戻ってきます。

 それを差し置いて人工的にウナギの稚魚を作ることに予算をつぎ込んでいますね。森、川、海を大事にすることにもっと予算を使うべきです。

杉の間伐材を仮設住宅に使うことで東北がよみがえる

 震災が起き、どのように再構築していくか、原点に帰って森、川、海の関係をどうやってちゃんとした形に整えるか、そのことが東北の地でできれば、それが日本全国に伝わっていけば、日本が新しい国によみがえる絶好のチャンスではないかと思います。

 これから何万軒という住宅を作らなければなりませんが、どこの木材を使うのかと考えていました。気仙沼の流域、リアス式海岸の流域の森はどこも杉の林ばかりです。これを使う絶好のチャンスだと思います。この間伐が進めば森は明るくなるし、二酸化炭素は吸収でき、川も海も良くなる。手つかずのこの山にどうやって手を入れたらいいのかと考えていました。

 しかし、大工さんに言わせると間伐材は使い勝手が悪いそうです。割れたり曲がっていたり、節が多かったり。ところが、震災後、群馬県の赤城山に住むという方からすごいアイデアをもらいました。間伐材の杉の丸太を大きなコンクリートの囲みの中に入れて、杉の枝葉を燃やして4、5日間燻蒸すると、木の悪い性質がなくなり、節にもくぎが打てるようになる。シロアリも食わない。立派な材木として使え、外材にも価格で負けないようになります。

 仮設住宅に国産材を使えば山がよみがえります。この仕組みを作ってもらえれば、東北は、この国はよみがえります。上流の限界集落では、木が売れないために山で生活できなくなっています。木が売れれば若者が戻ってきますし、製材所ができれば就労の場ができますから、魚がとれない漁師たちも山に行ってアルバイトをする。漁師も魚を取りすぎる傾向がありますから、ここ数年我慢していれば、気がついてみたら海でウニやアワビやマグロが穫れるということになります。

 大学の先生には、千年に一度の大津波の後にどのように海が復活したか研究してもらい、これを日本の研究成果として世界に発信することが国際貢献にもなると思います。

(2011年5月22日開催「震災復興支援シンポジウム」基調講演をGN編集部が要約)
(グローバルネット:2011年6月号より)


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