サイト内
ウェブ

このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第18回 自然とのつきあいと生物多様性

  • 2005年7月14日

このコンテンツは、「グローバルネット」から転載して情報をお送りしています。

自然とのつきあいと生物多様性 コンサベーショニスト 柴田 敏隆さん

無断転載禁じます

ナチュラリストではなく、コンサベーショニストに

ホンゴウソウ(ホンゴウソウ科)
大きくても高さが10cmほどしかない上に、枯葉の色に溶け込んで探すのが厄介な植物。林下などの薄暗い場所に生えるので、なかなか人目につかない。花は枝分かれした茎の上部に星形の雄花が咲き、茎の下に雌花が咲く。花の直径は2mmほどで、極めて小さい。人が立っていては目につかない。いつも、はいつくばって探す。
永田芳男(写真と文)

 私は神奈川県・三浦半島の横須賀に生まれ育って、今も住んでいます。小児ぜん息で5歳くらいまでぜいぜい言っていて、小学校卒業まで通信簿には要養護と書かれていました。家にこもっていることが多く、小康を得た時、庭に出てうずくまって草木をじっと見つめていたというのが自然好きになった動機かと思います。ある時、シャガという花が風もないのに揺らいでいました。のぞき込むと、その下でヒバカリという50cmぐらいの赤茶色のヘビがフトミミズをのんでいました。これを、息をのんで見つめ続けたことがあります。

 私は教員をやっていたのですが、横須賀に博物館ができるので学芸員をやりなさいといわれそちらに移りました。博物館にいる頃から自然保護を志し、その自然保護をコンサベーションと定義しました。

 国際的にはコンサベーションはよく理解された概念です。ナチュラリストと呼ばれる人びとは、自然を愛好するのですが、守ろうとはしない。だから、ナチュラリストが去った後は自然が破壊されています。ナチュラリストにはなるものかと思いコンサベーショニストを名乗ることにしました。

 1947年、パリで国際自然保護連合、略称IUPN(International Un-ion for Protection of Nature)が発足しました。プロテクションというのは天然記念物の保護みたいなもので、51年に英国で開かれた大会でプロテクションをコンサベーションに直しましょうという提案がなされました。コンサベーションというのは米国で発展した概念で、自然を賢く使おう、積極的に使おう、だけど条件がある。自然を破壊したり、痛めつけてはいけない。自然のバランスを崩すことなく、豊かなまま子々孫々まで伝えるという厳しい条件をつけるのです。

 これには四つ柱があります。一つはUtilization、使う、利用ということ。第2はProduction、生産ということ。第3・第4は重要でManagementとControlということです。このManagementとControlのもとに自然を賢く使っていこうというのです。例えば、捕鯨の問題で日本はいつも叩かれていますが、この考え方からいけば私の立場は「反」反捕鯨です。彼らの反捕鯨は誤解と偏見に満ちています。人種差別といってもいいくらいです。

 IUPNはその後IUCN(Inter-national Union for Conservation Nature and Natural Resources)になりました。自然および自然資源のコンサベーションという意味です。

稲作の日本ではオオカミが「大神」になる

 明治政府ができたとき、高官が海外に視察に行きました。ロンドンに行っても、パリに行っても、ベルリンに行ってもどこにも町の中に鳥や獣はいません。東京はその頃、外堀にカワウソがいました。浅草の雷門にコウノトリが巣を作っていました。皇居の広場にはタンチョウヅルがいました。近代都市の中で、野生の動物がうろうろしているのは田舎だという認識をもって使節団は帰ってきました。東京から野生の動物を駆除せよという太政官布告が発令されました。

 西欧社会はその後、都会で野生動物と共生できるようにと方向転換しました。例えばニューヨークのセントラルパークにはリスがたくさんいます。ベルリンの公園にはシカが出る所があります。日本には西欧の悪いところばかりが残っています。

 農耕は東西共通ですが日本は米を作り、西欧では小麦を作り、ヒツジを飼い始めます。稲の栽培は安定性に富み、今でも続けられていますが、ヨーロッパは雨があまり降りませんから稲ではなく、小麦を栽培します。小麦は地面から養分をとるので連作はできません。収量が落ちると畑は放棄されます。放棄された畑には草が生えます。

 その草をヒツジが食べ、そのヒツジを人間が食べます。人間は小麦を作らねばなりませんから沃野を求めてヒツジを連れて移動します。そのヒツジをオオカミが襲います。西欧のオオカミは体が大きくヒツジを食べるので、人間がこれと対決します。たまにはヒツジ飼いがオオカミに殺されます。オオカミには悪いイメージがあります。

 日本にもオオカミはいましたが体が小さく、人を襲いません。稲作は毎年水さえ引いておれば、稲1株が20株になり収穫があります。夜になるとシカとかイノシシが来て稲を食い荒らします。そこへオオカミが来てウォーと鳴くとシカもイノシシも逃げていきます。とてもありがたい動物なのです。思わず、オオカミが「大神」になってしまうのです。東京都・青梅の御岳神社に行くと神様の名前の後に眷属の名があり、その中に大口の眞神が出てきます。これはニホンオオカミのことです。

 オオカミに関する感じ方、とらえ方でもわかるように、農耕のパターンの違いで東西はかくのごとく違っています。風土は自然の状況によって人びとの生活に影響を与え、それで文化が形成されます。西欧の人はそういう過酷な条件で生きていかねばならないので、絶えず前向きで努力しなければなりません。さもないとつぶされてしまいます。日本人は地震と台風と雷様だけをうまくクリアすれば、後は、親父は何とかごまかせます。地震、雷、火事、親父、それ以外は上手に付き合っていれば安定と持続は確保されました。

複雑多彩、変化する自然に先を見通せる広い視野を

 自然は複雑で多様性に富み、しかもファジィです。表現を変えると、自然には豊かさやものすごさ、多彩さ、複雑さ、可憐さ、恐ろしさ、神秘性というのもあります。中には感情移入して"愛おしさ"というのもあります。そういったものを全部ひっくるめたものが多様性です。多様性の中には遺伝子レベル、個体レベルと生態系レベルがあります。生態系レベルの中には無生物的な要素が含まれ、水、土、空気などが多様性の基盤になります。

 自然保護をやる若者たちは、オオタカがいるので開発を止めろと言いますが、今やオオタカは都市鳥です。新幹線の高架橋のすぐそばで寝ているオオタカがいます。新幹線が時速200kmで駆け抜けようと、われ関せずで毎朝カラスのいるねぐらを襲い、カラスを1羽ずつ食べています。カラスは人間の残飯を求めて集まります。そのカラスをオオタカが襲うのです。オオタカが利用しているのは都市型の生活です。

 オオタカがいるから自然が豊かであるということは、今や幻影に過ぎません。そのあたりをよくわきまえて行動しなさいと言っています。自然はものすごく変わります。

 自然保護をやっている人は、自然は駄目になったと言いますが、よくなったところもあります。自然を上手に管理すれば自然の多様性を豊かにできるし永続的な担保も可能だと考えています。狭い視野で自分の価値観で考えているだけでは駄目で、先の見通しを持たねばなりません。

(2004年9月15日、環境省にて)

この記事は生物多様性研究会が主催する勉強会での講演をグローバルネット編集部がまとめたものです。

コンサベーショニスト 柴田 敏隆さん
日本自然保護協会理事。
横須賀市博物館学芸員、山科鳥類研究所資料室長など歴任。
NHKの科学番組で野鳥の生態などを紹介。

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。