このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。
われわれの日常生活の基本は、衣食住である。しかし、人間ならではの行動は、最低限の衣食住を超えたところでなされている。学問的な知の探求、旅行、スポーツ、文化的活動、人と人の交流など、さまざまな活動がなされて、社会が形成される。また、分業が発達している現代社会の中では、異なる役割を持つさまざまな産業がある。製造業では原料を元に製品が生産され、輸送されて販売され、使用後には廃棄される。
このような社会の中で生きているわれわれは、自分の身の回りの物がどのように作られ、使われ、そして廃棄されるかを意識することは稀である。というよりも、そのような知識を持っていないのが普通であり、知識がなくても生活ができるのが現代社会である。
このような分断した現代社会においては、自分の行動が与えている影響が見えなくなっており、そのことが環境問題の一因となっている。
ライフサイクル思考(LCT:Life Cycle Thinking)とは、製品などの一生(ライフサイクル)を通じてどのような環境負荷が生じているかを考える(Thinking)ことである。従来から環境問題は公害問題として各地で顕在化し、その対策が取られてきた。しかし、基本的にはそれは目の前で起きている問題である。LCTは目の前では起きていない環境への負荷をも対象に含む。製造業を中心として、環境管理の一貫として使われてきたライフサイクルアセスメント(LCA)もLCTの一環である。重要なことはライフサイクルを通じて、「考える」ことであり、それはわれわれの考え方や行動の規範の一つとなる。
暮らしに直結する農産物、工業製品、住宅、自動車など、あらゆる物や、暮らし、あるいは人の集合体である都市活動全体に対してLCTが有効である。
生活に使うさまざまな物資が環境へ負荷を与える段階は、大きく(1)製造(2)使用(3)廃棄の段階からなる。われわれの暮らしの中のいくつかの物品について、それぞれの段階を具体的に考えてみよう。
食の源である農作物については、太陽のエネルギーを用いて植物を育てる段階であるから、製造段階での環境負荷は小さいものと、直感的には考えられる。しかし、実際はそうではない。地球全体で進行している森林破壊の原因の一つは森林から農地への土地利用の転換である。また、稲作をはじめとして農業用水の需要は大きい。さらに、多くの農業では工業製品である肥料を消費する。また、農業機械も使われる。
食料の使用段階、すなわち食べる段階の環境負荷はどうであろうか。人間がまさに口で食べる段階の環境負荷は大きくない。しかし、そこに至るまでの調理のためのエネルギー消費と調理器具、あるいは冷蔵・冷凍保管段階の環境負荷は小さくない。そして廃棄される食物は環境負荷を生じる。
食物連鎖の段階が上位にある動物の肉は、それを作り出すために多くの植物が餌として消費される。今日の畜産では、トウモロコシなどの飼料が農業生産される。動物が食べた飼料のうちの一部だけが肉となり、食に供される。したがって畜肉生産の環境負荷は、穀物などの農業生産よりも大きくなる。
このように食料生産のLCTを見てみると、多方面にわたっており、環境負荷は小さくない。とりわけ、生産されながら食べられずに捨てられる食料は、LCTの面でも地球上のいろいろな場所で問題を起こす。
住宅のLCTもまた考える範囲が広い。木造住宅の場合は、使われる木材がどのような森林からいかなる方法で伐採されるか、という点も問題になり、コンクリート製のマンションでは、セメントを製造するときに二酸化炭素(CO2)の排出量が大きい。
住宅は、そこに住んでいるとき、すなわち使っている間の環境負荷が大きいものの代表である。冷暖房のための電力、ガス、灯油の消費、照明のための電力、そして、近年比率が高くなっているのはそれ以外のさまざまな電気機器である。一つひとつは環境負荷が小さくても実に多数の機器が家庭では動いている。自分の家のコンセントにつながっている機器の数を考えてみればわかるだろう。
このような、物を対象にしたLCTは、それらの購入の場面で役に立つ。全段階を通じて環境負荷が小さい物を選ぶためにはLCTが有用である。使っているときにはエネルギーや資源を使わないが、作るのにエネルギーや資源を消費するような商品をどのように考えて、選択するかは状況によって異なる。例えば、通勤などで毎日自家用車を使用せざるを得ない人と、めったに自家用車に乗らない人では、ハイブリッド車のライフサイクルを通じた環境への影響は異なる。また、エコバッグも、製造時の環境負荷が必ずしも小さくないから、それを繰り返し使わなければレジ袋よりもかえって良くない。
われわれの行動やライフスタイルに対してもLCTを当てはめることができる。自分の生活を通じて環境負荷を考え、それに基づいて、どこが問題で、それをどのように改善していくかを自ら考え、また実践の効果を評価することができる。
企業の活動が元になって生じる環境負荷も広がりを持っている。製造業の場合には、原料を加工し、組み立てるそれぞれの段階において環境負荷が生じる。環境管理の一貫として、LCAによって環境負荷が推定されてきた。近年では、製造業以外の、例えば営業活動を中心とした企業に対しても、自分自身の活動を広くとらえて環境負荷を評価する動きが高まってきている。
CO2を中心とした温室効果ガス(GHG)の排出における「スコープ3」はその一つの形である。企業が消費する燃料から発生するGHGをスコープ1、企業が消費する電力に由来して発電所から発生するGHGをスコープ2と呼ぶ。これらは従来から省エネ法などで企業活動によるGHGとして報告されているものである。これに加えて、販売した物品の消費段階や、従業員の出張や通勤におけるGHG排出を評価するのがスコープ3である。スコープ3までを含めることによって、社会の中での企業のあり方を考えることになり、これはまさにLCTである。
LCTは、人間活動が環境に与える影響を、目の前のものだけでなく、すべてにわたって把握するところに意味がある。環境へわれわれの社会が与えている影響を、網羅的に、そして定量的に把握していくことの意味は大きい。
その一方で、目に見えないものをどのように見せていくかについては、教育の対象とする人びとに合わせて、わかりやすい例を示していくことが有効であり、また工夫のしどころである。小学生から社会人まで、対象とする範囲は広い。小学生には小学生の、社会人には社会人の背景知識と思考能力、経験があり、それらにうまく合わせて行くことがポイントとなる。また、教えることによって学ぶ、という面も多々あるであろう。
そもそもLCTとは、自分が享受している現代社会の恩恵の一つひとつに関して、それを作った人、それを可能にした地球の資源、そしてそれによって影響を受ける環境など、直接目の前にない物に「思いをはせる」ことといえる。食べ物をいただくときに、それを作った農家の人たちと自然の恩恵に感謝する、という昔からの習慣と通じるところがある。国際的な貿易が盛んな今日では、その思いをはせる先が、他国になり、また影響を受ける環境も地球全体が対象となる。
この他者、あるいは地球全体に「思いをはせる」という面は、理科教育にとどまらず、社会科的な側面をLCTが持つことを意味しており、その意義も大きい。