このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。
このコンテンツは、「グローバルネット」から転載して情報をお送りしています。 |
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従来の園芸では、野菜や果物などの生産と、それらの経済性が注目されてきた。ところが、江戸時代から庶民が親しんできた園芸も、都市の住民が猫の額といわれる庭や容器で楽しんでいる園芸も、それらとはおよそ縁遠いものである。にもかかわらず、多くの市民が園芸を実践していることは、市民が食べ物や経済的利益とは異なる多くの恩恵を実践の中で得ていることを示唆している。 |
園芸は、植物の生長に関わりながら、四肢を使って植物に働きかける動作体験と植物を五感で認知する感覚体験との相互作用で進行する活動である。これを、植物を「栽培する」、あるいは「育てる」という。育てることは、ものや情報を手に入れることや造ることとは根本的に異なる。簡単にいえば、手に入れる・造ることは、対象の意思とは無関係に私たちの考えで進めうるし、目的達成に必要な時間も短くてすむ。育てる場合には、植物の栽培でも、子育ての例でもわかるように、その対象はそれ自体の遺伝情報に基づいて生長する生きものであり、私たちはその手助けをしているのである。対象は育てる人の意のままにはならないし、長期間にわたって、対象の様子をみながら、必要な対策を取らなければならない。 この体験は私たちに人間としてきわめて大切な「育てる」ことを教えてくれる。育てることから、具体的にどのようなことを学びうるのであろうか。相手の存在を認めること、自分の意思どおりにならないものがあること、生きものとの関わりには時間がかかること、したがって、待つことや忍耐が必要であること、などがあげられよう。 これらは現代社会においては影の薄い存在にみえる。このことが最近の深刻な社会問題、例えば、児童虐待、凶悪犯罪などの原因になっている可能性がある。育てることは生きものを通してしか学び・教えることができない。動物の飼養と並んで、園芸はこれができる。この点が園芸と多くのレジャー活動との違いである。 |
私たちはこの園芸を通していろいろな効用を受けている。これらの効用を簡単に示しておこう。 |
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以上のような園芸の諸効用の中で、従来は経済的効用が異常ともいえるほどに大きく取り上げられてきた。しかし私たち人間の幸福には金では買えない側面が多い。このような人間の幸福(治療やリハビリを含めた心身の健康、人間的成長などを含めた生活の質QOL=Quality Of Lifeの向上)を増進するために、園芸のもつ諸効用を活用しようというのが園芸福祉(Horticultural Well-being) の考え方である。園芸福祉はすべての市民が園芸を通してその効用を享受し、より幸福に生きることをねらいとする。 ところが、市民の中には、高齢者も含めて心身に何らかの不都合をもつために園芸を自分だけでは自由にはできないので、その園芸福祉を推進するには誰かの支援を要する人もいる。このような市民が、専門家の支援によって園芸の効用を享受し、より幸福になれるようにしようとする手続きが、園芸療法(Horticultural Therapy)である。 すべての市民が園芸のもつ意味を再認識し、より人間らしく、幸福に生きるべく、園芸に親しめるようになることを期待している。 |
引用文献 *松尾英輔(1986)「農芸教育の提唱(1)—農耕を通して行う教育:農業教育と農芸教育」日本農業教育学会誌17(2)、1−5 *松尾英輔(1998)『園芸療法を探る—癒しと人間らしさを求めて』グリーン情報、名古屋、257ページ |
著者ご本人の了解を得て『グローバルネット』2003年11号掲載の記事を著者の了解を得て転載しています |