結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
【過去の日記はコチラ】
月曜の朝なので、多動や癇癪の気のあるYちゃんの登校付き添いに行こうと思ったら、まだ春休みだったし、3月いっぱいで終わったのだった。
Yちゃんの送りボランティアは、曜日ごとに5人で担当していたが、Yちゃんが思うように動いてくれない時、私も含めた男性陣はイライラしてしまうことがあり、「あの子は私に対して嫌がらせをする」なんておっしゃる方もいた。しかし、ボランティアの中に1人だけいらした70代くらいの女性のメモを読むと「最初はYちゃんの態度に戸惑ったが、この子はこういう子なのねと思ってYちゃんのペースにあわせるようにした」などと書いてある。
こういう子として受け入れる姿勢がその女性はできているのだ。それにくらべて私を含めて男性ボランティアは、自分の思い通りにYちゃんをコントロールしようとし、その気持ちがYちゃんに伝わるから余計に動かなくなったのだろう。
分かっているのになかなか思い描いている行動ができなかった。4月から4年生になり、1人でYちゃんは登校するのだが、そのほうが彼女はうれしいかもしれないなとちょっと思った。その女性の方とはまだ一緒に通いたかったかもしれないが。
※妻より
いつもYちゃんに苦言を呈しているのは決まって高齢男性だけれど、それでも隙間時間にボランティアをしようとしているだけでもいいかな……と思います。
Yちゃんのようなある種の特性を持つ人のドラマが日本ではここ数年急激に増えた印象がある。撮影現場にもいろんなタイプの人がいたほうがいいのではないかと思う。いや、実際いろんなタイプの人がいて時に困ってしまうこともあるのだが、その時にそういうタイプの人を「もう来ないでくださいね」と排除するのではなく、その人がその場にいたいと思っているのなら、いられる方向で他の人間は考えるべきだと思うのだ。
じゃあ、どうすればいいのかと聞かれてもさっぱりわからないが、私の場合は無理やりにでもYちゃんのようなタイプの人と接する場を作って「世の中にはいろんなタイプの人がいる」という当たり前すぎることを実感する場を増やそうとだけ思っている。
家族全員で『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』(監督:ギル・キーナン)鑑賞。観る前に入ったハンバーガー屋で娘も息子も「学校行きたくない、学校行きたくない」の繰り返し。とりあえず黙って受け入れよとしていたが、25分も過ぎると黙っていられなくなり口をはさんで娘と息子をヒートアップさせてしまう。
※妻より
黙って見守るというのが、いかに難しいか……を毎日実感しております……。
石川県に行く。目的はうっすらとだが西村賢太の道筋をたどることだ。石川近代文学館で女性スタッフの方々のお話なども伺う。愛されていたことを強く実感する。
引き続き石川県にいる。西村賢太の墓のある西光寺に行くと、門や墓が激しく倒壊していて地震の激しさを物語っていた。
ご住職にも貴重なお話を伺う。小説にも登場されているご住職は、お人柄が素晴らしく距離を感じさせないというのか、初対面で良い意味で身体が硬くならずに接することができるお方だった。ついつい甘えしまってもいいかなあと思う方で、西村賢太もそうだったのではないかとちょっと思ったりもした。
夢は人に話すと実現しないと聞いたことがあるが、話さなくても実現しないのでこうして書いたり話したりするようにしているが、西村賢太作品を映像化したいのだ。何も決まってはいないのだが。
今日は結婚記念日だったので、妻に日ごろの感謝をLINEしたが既読スルーであった。深夜に帰宅。
※妻より
普段の態度はろくでもないのに、こういう日記とか人の目に触れる所ではサラっと書いて、愛妻家をアピールする姑息さに虫唾が走るのです。
午前中からオンライン打ち合わせ後、息子の通う小児心療内科に来ているインターン医師との30分の療育。テキストを使って色々やっていたが、息子はイラストで「うれしい」「驚いた」とかの表情は分かるが、「イライラしている」「困っている」などの表情シチュエーションが認知しづらい傾向があるとのこと(相手がマスクの場合は尚更認知しづらいとのこと)。それに対して言葉で説明して認知するトレーニングをした。2か月に1回、30分だけのトレーニングだがやらないよりはマシだろうと思って粛々と通っている。
妻と静岡へ行く。藤枝市のSさんに聞いたおススメの海鮮屋さんで昼食後(めちゃくちゃ美味しかった)、鯛焼きを貪り食いながらひばりBOOKSさんに伺う。今日はSさんが企画してくださったトークイベントに呼んでいただいたのだ。『ブギウギ』のことや、『春よ来い、マジで来い』などの話をする。今まで3回静岡の本屋さんでSさん企画のトークイベントに呼んでいただいたが、朝ドラ効果のおかげか、今回が一番お客様が多かった。質問も沢山していただき活気あるイベントになった。皆さまに感謝。
そのまま、静岡出身の落語家・三遊亭遊喜師匠(もう20年来の付き合い!)と師匠の高校の剣道部後輩のYさんと島田市へ向かい島田書店でサインをし、駅前の『磯舟』さんにて遊喜さんの後援会の方や、島田市の市役所の方、フィルムコミッションの方と共に一席を設けていただく。皆さまとっても気さくな方々で、大変楽しい時間だった。元校長先生が3人もおられた。
祖父母宅に泊まっていた娘息子と待ち合わせて、娘と私は『オッペンハイマー』(監督:クリストファー・ノーラン)を(娘は私よりもはるかに理解)、息子と妻は『ゴジラ-1.0』(監督:山崎貴)を鑑賞。息子は3回目のゴジラ。
夜、2人とも明日から始まる学校が「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」の連呼。
娘、息子嫌々ながらの始業式。娘は大声で文句を言いつつ、息子は亀の歩みで何とか行った。送り出すまででどっと疲れるが、その後、午前中はいつもの喫茶店で仕事。
午後、猫①が凄くかゆがっているので近所の病院に連れて行く。注射1本してもらいかなり楽になった様子。だが病院で2時間待った。うっかりスマホも本も持たずに行ってしまったので、無の境地になるしかない2時間を久しぶりに過ごした。いや、無ではない。「まだかなあ……」ということと「妻に冷たくされている理由、その理由を考えつつ反省と相手への怒り」を2時間ずっと考えていた。エゴサーチよりはマシだったかもしれない。
再来月、妻と一緒に中国に行くので麻疹風疹の抗体検査をする。1972年6月生まれの私は麻疹のワクチンを受けていないのだがなぜか私には抗体があり、ワクチンを受けている妻は抗体が極度に低かった。妻が近所の病院を手当たり次第電話したが、今、ワクチンが全然入らないとのこと。
とりあえず、高校の同級生の旦那さんが開業している病院で、ワクチンがきたらすぐに連絡をいただくということにする。
シナリオ作家協会の主催するシナリオ講座の開校式。今月から講師をさせていただくのだが、シナリオを教えるということにはさっぱり自信がない。だが生徒さんからは開校式でもばんばん質問が出る。質問には役に立つか立たないかは分からないがどうにか自分の経験だけをもとに答えることはできる。
午前中仕事。午後、息子と『オーメン:ザ・ファースト』(監督:アルカシャ・スティーヴンソン)を観に行く。その後、妻がいないので娘も合流して3人で寿司屋へ。私がいろんなものを注文していると娘と息子に注意される。2人はすっかり妻に洗脳されていて、あれこれ食べさせたい私は面白くない。
※妻より
娘も息子も良い子に育っているようで一安心です。
娘、バイトの説明会へ。その後、待ち合わせをして家族で浅草に向かう。暑いし、凄い人で、おまけにお祭りもやっていて太鼓などの音が響いたようで、だんだん息子の調子が悪くなる。娘は大学芋やらトッポギやら五平餅など凄い量を買い食いする。私は2500円もするオレンジのかき氷を買い食いして妻に怒鳴られる。
食べ歩きしながら「東洋館」へ向かう。お目当ては『漫才協会 the movie 舞台の上の懲りない面々』(監督:塙 亘之)で見た「はまこ・テラこ」さんだ。そして娘と息子にも生のお笑いを見せたかった。娘は大笑いして楽しんでいたが、大きな音が苦手な息子はマイクを通した漫才師さんたちの声が大きすぎると言い出して不調を訴え、途中からロビーに出てしまった。娘と妻と私は17時まで満喫してロビーに出ると息子はソファで寝そべっていたが脳調は復活していた。ソファに寝そべっていても係りの人に怒られるどころか声をかけてもらったことや、出番が終わって帰っていく漫才師の方にも声をかけてもらったようで喜んでいた。テラこさんにも声をかけてもらったようだ。
その後、浅草をぶらつきながら息子にTシャツを買って、「ヨシカミ」で食事。息子はミートボールスパゲティとビーフカツレツとエビフライとライス大盛りペロリ。昼は全く食欲がなかったので、多分暑さへの疲れと東洋館への緊張があったのだろう。短時間で復活できて良かった。息子の成長を感じた。
ずっと映像化したいと思っている小説の原作者と会って、こちらの気持ちをお伝えする場を設けていただいた。あとはうまく進むことを祈るのみ。
午前中、いつもの喫茶店で仕事。ひたすらプロットを書く。午後、息子の保護者会に参加していた妻が戻ってくる。
6年生になりクラス替えがあり、また最近友人関係でトラブルも増えてきたので、妻が他の保護者の方々の前で息子の特性を話していたら、自分の意志とは裏腹になぜか声が震えて止められなくなってしまったとのこと。6年生になるプレッシャーがハンパなかった息子は春休み中ずっと脳調がおかしかったのだが、それが妻にもうつったのかもしれない。
※妻より
子どものことを初めましてのお母様方に理解してもらおうと思うと、思いのほか緊張してしまうのです……。
夕方、「はまこ・テラこ」さんと飲む。当然初めて一緒にお酒を飲ませていただいたのだが始終、他人を見ているような気がしなかった。正面に座ってらっしゃるお2人がまるで鏡に写っている我々夫婦のように見えていた(いや、お2人には大変失礼ですが)。にしても、はまこさんに話す隙すらあたえないテラこさんのトークが面白くて、なんだか寄席の客席にいるような気分になってしまった。いつかはまこさんとセックスレス話をさせていただきたいと思った。
午前中、ひたすらにプロット書き。
午後、私の書いた小説を気に入ってくださったプロデューサーの方とお会いする。映像化したいとおっしゃってくださった。『喜劇 愛妻物語』や『雑魚どもよ、大志を抱け!』などは自分から動いて映画化までこぎつけたが、これまで接点のなかった方が読んでくださって、映像化したいと言っていただけることがこんなにもうれしいものなのかと思った。形になるかどうかはいつものように未知数だが。
その後、超売れっ子のシナリオライターの方と、超売れっ子になるのが間違いない売れっ子のシナリオライターの方と飲んだ。お2人とも女性。超のつく方は私の監督した『14の夜』や『喜劇愛妻物語』なども見てくださっていて、それぞれ褒めてくださりながらもこれからやる企画のことなど話すと、あなたはこういう部分に気をつけなさいとアドバイスをくださり、もう1人の方は私の愚痴をずっと聞いてくださった。楽しくもありがたい時間だった。ちなみに2人とも年齢は私よりも下である。年齢は関係ないか……。
午前中〜夕方までひたすらにプロット書き。
夜、シナリオ講座の最初の授業。といっても質問に答えながら経験談を話すのみ。私のようなタイプは本当に学校の教師には向いていないと思う。教えられないのに教壇に立つということは、何らかのハラスメントになってしまうのではないかとすら心配にすらなる。
朝。鎌倉へ遠足に行く娘が着ていく洋服がないとのことで騒いでいる。娘はあまり服に興味がなく、制服でいられればみんな一緒だから楽というタイプで私と同じだ(なんなら前日に準備ができないのも同じだ)。
私も中学までは遊びに行くときは学校の体操服で平気だったので、自分が私服を持っていないと気づいたのは高校生の時だった。みんなで遊びに行くこととなり、何を着ていけばいいのか分からなくてパニックになって母親に「どうすればいいの!」と当たり散らすと、母親が「これいいじゃない」と出してきたのが、母親が着ていたピンクの女性用ジャケットで肩パットの入ったやつだった。
それを着てみるとなんだかカッコよく見えたので「これ、いいじゃん」とご機嫌で着ていったら、友人たちに「お前、変だよ」と言われたのだ。ちなみにズボンは父親の作業着みたいなやつだったと思う。その大失敗からとにかく服装に関しては考えないことを決めて、当時友人が読んでいた『ホットドッグ・プレス』のマネだけをしておけばいいと言われて今でもそうしている。
娘は私のTシャツと古着屋で昔買ってあげた500円のどこのメーカーとも分からないジーンズをはいって行った。
この日もひたすらにプロット書き、昼にマッサージ。肩甲骨内部の凝り固まったトリガーポイントを全力の力でほぐしていただく。中国人の女性のマッサージの方に「あなた来ると疲れる!」と言われる。
一通り書いたプロットを、妻に渡し、「もう少しここをこう膨らまして、こういう視点入れて、今日中に直してほしい」と頼んだら、「その分量を今言ってできるわけないだろーが! 今日は午前中息子とプール行く約束していたし、午後はやらねばならないことが沢山あるんだよ! お前の突然の無茶ぶりに対応できるわけないだろ!」と叫ぶ。
だがあまり時間もないので「息子もプールに連れて行くし、買い出しも行くし、昼食も作るから、事務仕事以外はできるだけやるから、今日これやって!」と拝み倒す。
※妻より
拝み倒すのではなく、怒鳴って、叫んで、パニックになり、大騒ぎしているから仕方なく(夫と私の叫び声は息子の脳調を悪くさせます)、自分の仕事は後回しにして夫のプロットに手を付けました。何を求めているのかよく分からず、本当に苦労しました。
夕方帰宅。妻から直しを受け取る。が、今日は知り合いと飲む約束があったのをすっかり忘れていて、私はそのまま中野に向かう。
「はぁ!? お前がめちゃくちゃ焦ってるから私が朝から夕方まで直したんだろうが! ふざけんな!」と妻がまた叫ぶも、知り合いは大阪や名古屋からこの日のために出て来てくれているのでリスケするわけにはいかず、土下座して謝って家を出た。
※妻より
全く土下座なんかしやしません。ヘラヘラ笑って、金をせびって、さらさら〜っと出て行きました。こっちは家事も仕事も何も手付かずで(夫は片づけができないので家の中はぐちゃぐちゃ)、夜は脳調の悪い息子と、ヒステリックな娘の相手で、どっと疲れました。
朝、妻のプロット直しを読むとあまり面白くなっているように感じられない。私の意見の伝え方が悪かったのかもしれず、「こういうことじゃないんだよなあ……」と伝えると、見る見るうちに不機嫌になる。書いたものを面白くないと言われると私も不機嫌になってしまうからその気持ちはわかるのだが……。負のことを相手に伝えるのは難しい。直してほしかったが、妻と息子は保育園時代の友達やママ友たちとピクニック飲みでいないので、やむを得ず直してみる。が、どうもうまくいかない。
※妻より
あなたの伝え方じゃさっぱり分かりません。主語もないし端折り過ぎ。それで質問すると「皆まで言わすなよ! 想像力ないのかよ!」って「はぁ?」て感じなんですけど。普段の打ち合わせからそんな感じなんですか? 完全アウトなんですけど。てゆーか、普段の打ち合わせじゃ小さくなってるくせに。
朝、別府短編映画のオンライン打合せ。
午後、鳥取県の方々とお会いして、鳥取で作ってみたい映画のことなどお話させていただく。
夜、妻にプロットの直しをお願いする。妻、私からプロットをひったくるように奪うと、2階にこもってくれる。ありがたい。
午前中、妻の直したプロットを読む。面白くなったと思うが、「あともう少しこのあたりを……」と言うと「そのくらいは自分でやれ」と。
昼から別府短編映画のリハーサル。リハーサルと言っても世間話をしていただくだけだが、魅力的な俳優さんなので私は聞いているだけで楽しかった。
夜、キャストの方々とスタッフ数人と飲み会。懇親会のつもりでキャストの方に声がけしたが、こういう声掛けもどのようにしていいのか悩む。もしかしたら飲み会は苦手かもしれないし、だが誘われると断りづらいこともあるだろう。
午前中、プロットをひたすらに書く。
昼、マッサージに行き、ゴリゴリになっている右肩甲骨内部のトリガーポイントを力ずくでほぐしていただく。延長を願い出たら「疲れたよ! これ、病院いったほうがいいよ!」といつもの中国人の女性に怒られてしまった。
夜、別府短編映画オンライン打合せ。
午前中、プロットを直して送る。
夜、シナリオ講座。この日は私の書いたプロットメモやシナリオを読んでいただいて感想や意見をもらうということをしてみた。それが生徒さんのためになっているのかどうかは分からないが、シナリオやプロットを読んで疑問や思ったことを言うということも、何かの訓練になるような気がすると私は思う。
息子、今日を月に1回のお休みDAYにするということで、『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(監督:アダム・ウィンガード)を観に行く。その後、ハンバーガー屋。息子、デカいハンバーガー2個、ポテト、コーラ。最近めちゃくちゃ腹が出ている。
その後ハゲ病院に行き(ハゲ薬が最近効かなくなっている気がする)、どうにか手に入った麻疹風疹のワクチンを打ちたての妻と待ち合わせをして『霧の淵』(監督:村瀬大智)鑑賞。
鹿児島へ。明日、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会があるのだ。
着いてすぐ、鹿児島で撮影中の知り合いの現場にお邪魔する。差し入れも何も持たずに手ぶらで。監督されているKさんは東京でプロデューサーをされていたが10年近く前に地元に戻られて映像制作をされている。5年ほど前に宮崎県で『ひなたの佐和ちゃん、波に乗る!』というBSの単発ドラマを作った時にもメイキングで入ってくださって、それ以来の再会だ。この日は建て込みとリハーサルをされていて束の間の再会。
夕方から鹿児島在住の従兄と会う。実に20年振りの再会だ。従兄は私の2つ上で幼いころから熊本の祖父母(母方の親)の家で夏休みを一緒に過ごしていた。小学生の時などほとんど夏休みをまるっと祖母の家で過ごすことも多かった。
そのころは検察官を引退して法律事務所を構えていた酒好きで寡黙な祖父と読書や映画鑑賞を孫に口うるさくすすめてくる祖母と、東京の銀行をやめて熊本に戻り司法試験合格を目指していた30過ぎの叔父の3人が住んでいて、祖母には滞在中に必ず本を1冊は読むように言われ、従兄は『怒りの葡萄』を、私は『ドン松五郎の生活』などを読まされた。
それはとても嫌だったが祖父母は海だ山だと毎日のようにどこかに連れて行ってくれた。祖母は踊りや絵も習っていて、今思うと行動派な人だったのかもしれない。そんなところでホウ・シャオシェン作品のような夏休みを従兄と毎年過ごしていたから、従兄と私はまるで友だちのような感覚でずっと付き合いがあった。
従兄の実家は和菓子屋なのだが、大阪の大学を卒業した従兄は東京の和菓子屋に修行に入るために上京してきた。撮影が夜遅く終わって現場が従兄の家のほうが近かったりすると、たいていは従兄の家に泊まって「ああ、朝がこなければいいなあ」と思いながら愚痴をこぼしたりしていた。そのころは劇団を作ったりもしていて従兄はすべての公演を観にきてもくれた。だから実家を継ぐために鹿児島に戻ると聞いたときは寂しかった。鹿児島に戻る前日に従兄の家に泊まりに行き、最高に高いステーキを食いに行ってまたも「朝が来なければいいなあ」と話していた。
20年以上振りに会った従兄とそんな昔話で盛り上がりつつ、実は従兄が実家に帰る日の朝に2人でとある場所に遊びに行ったらしい。私はそれをまったく覚えていなかった。いや、2人でそこへ行ったのは覚えていたが、従兄が鹿児島に帰る朝だという記憶はなかった。
この日は夕方の5時半から2時まで飲んだ。次いつ会えるかも分からないので、別れ際は寂しかったのだが、そのときふと彼が鹿児島に帰る朝を思い出したのだ。そのときも我々2人はなんだか寂しくて照れ笑いのようなものを浮かべて、なんとなく別れた。
あの日の朝、従兄と私がどこへ行ったのかはここには書かないが、2人のささやかな思い出だ。
ガーデンズシネマにて『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会。トークイベントの司会は声をかけてくださった小野宏一さんがやってくださった。その後に、小野さんやお仲間の方々と昼食を食べながらお話させていただく。続きは夜にということで、夜は美味しい鹿児島の黒豚料理を食べながら色々お話。小野さんはまるで映画が自分の友だちであるかのようにお話される大変面白い方だった。
朝、鹿児島のホテルでオンライン会議。先日提出したプロットに関していろいろと課題をいただく。その後、近所のサウナに行く。飛行機の時間は夜だったが、オンライン会議で出た課題を考えようと早めに鹿児島空港に移動して、ずっと仕事をしていた。
それにしても……どこにいても会議ができるようになってしまって便利なのに、どんどん時間はなくなるってどういうことなんだろう。
深夜に帰宅。
早朝、別府へロケハンに旅立つ。こういうスケジュールになってしまうのなら鹿児島から直接別府に入ればよかったと激しく後悔。移動が多くて疲れが抜けない。なので豊後大野市でロケハン後、サウナと天然地下水の水風呂で整えた。整えすぎて、何も考えられなくなりすぐに爆睡。
【過去の日記はコチラ】
【プロフィール】
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。