その土地になじんで育ってきた野菜の種を採りながら、長い歳月をかけて、守り継がれてきた伝統野菜。
種を蒔き、収穫し、種を採って……と繰り返しながら、人々が種をつないでいくことで、風土や気候を記憶し、ひとつひとつ個性ある色や形、異なる味わいや風味を持った、エネルギーに満ちている。
長崎県雲仙市・国見町で〈竹田かたつむり農園〉を営む、種採り農家の竹田竜太さんは、雲仙普賢岳のふもと、島原半島の温暖な気候と、火山灰でできた黒ボク土という肥沃な土地で育った伝統野菜、そして種を守り継いでいる。
〈竹田かたつむり農園〉竹田竜太さん・真理さん夫婦。畑のある有明町は、豊かな土壌を裏づけるように、農業生産額は県内トップクラスを誇る。
竹田かたつむり農園の畑を訪れた3月下旬は、「端境期(はざかいき)」と呼ばれる、新しい芽吹きや野菜の成長を待つ時季。畑には竹田さんが育てる「雲仙こぶ高菜」が花を咲かせていた。
農家になる前は、特別支援学校の教員として、10年間働いていた竹田さん。学校では露地野菜を育てる活動に携わり、そのうちの2年は、青年海外協力隊の野菜隊員、サモアの高校の農業教師として、現地で野菜栽培の指導を行うなかで、「持続可能な農業こそが主流となるべきだ」と考えるようになった。
実家のある雲仙市国見町では、父親がイチゴやメロンなどのハウス栽培をしており、竹田さんもその跡を継ぐかたちで一度は就農。
転機となったのは、新婚旅行中に雲仙の種採り農家・岩﨑政利さんの「黒田五寸人参の種を採り続けて30年」という記事を、たまたま見つけたことだった。
「こんなにすばらしい取り組みをしている方が地元にいたなんて」と、感銘を受け、帰省してすぐに岩﨑さんの勉強会に参加。それから2年が経過し、2016年に種採り農家として再スタートした。
竹田かたつむり農園では、農薬や化学肥料を利用せず、種が採れる「在来種・固定種」の野菜を中心に、西洋野菜、黒米や種じゃがいもなど、年間約60品目以上を栽培している。そのうちの9割で種採りを行っており、雲仙こぶ高菜、黒田五寸人参、九条ネギ、イギリスの在来種・アーリースプリング パープルブロッコリーなど、初めて見聞きするような伝統野菜も多く扱っている。
採れた種は乾燥剤とともに瓶やプラスチック容器に保存し、冷蔵庫の中で5℃以下に保つ。そうすることで発芽率を保てるそうだ。
竹田かたつむり農園で栽培されている、長崎県大村市が発祥の「黒田五寸人参」。
「種を採るには人参の場合、100本ほどの母本を選定します。色や形を見るために、その人参を土から一度引き抜き、植え替えて、花が完熟するまで待ち、そこから種を採ります」
花が枯れて乾燥した、黒田五寸人参の「さや」。薹立ち(とうだち)をはじめると、花芽がつき、芯から茎が伸びて、5月中旬頃には真っ白な花が満開になるんですよ」
黒田五寸人参の種には細かな毛がびっしりと生えているが、これは種を守るとともに、発芽時に水分を吸い寄せる役割も担っている。
竹田さんがひとつひとつ手作業で毛を取り除いた「黒田五寸人参」の種。毛があると播種機を使って、均一に蒔くうまく蒔くことができないため、1粒ずつ取り除く作業を行う。
竹田かたつむり農園で育てた野菜は、オンラインショップでの販売を行っている。
「こうして自家採種をして栽培する伝統野菜は、同じ品種でも育ち方や成長スピードが異なります。
だからどうしても安定した収穫、流通を行うのは難しいのですが、農園の名前にある『かたつむり』のように、ゆっくりでも続けることが野菜を、この種を、未来につなぐことにつながると信じている。かたつむりの渦の形に、持続可能な農業を重ねています」
そのまっすぐな思いは確実に広がりをみせており、国見町のイタリアンレストラン〈villa del nido (ヴィッラ デル ニード)〉をはじめ、地元の飲食店などでの取り扱いも少しずつ増えている。また、地元第一を掲げると同時に、「保育園や学校など、子どもたちにも伝統野菜を伝えていきたい」と、次世代を見据えた取り組みを続けてきた。
多彩な個性を持つ、種から育てた野菜を次世代に竹田さんは畑で収穫体験をしたり、学校に出向き食農教育を行ったりする際に、子どもたちにも、種採りの大切さを届けている。
竹田さんの畑で交雑しないよう植え替えられた「長崎唐人菜」。1回でも倒れて根が外れると、戻しても種はできない。なるべく風の影響を与えないよう工夫し育てている。
雲仙市では「オーガニックビレッジ構想」を推進し、オーガニック野菜の学校給食への導入にも力を入れている。
2024年に伝統野菜の導入を目指し、地元の給食センターに提案を行ったという竹田さん。地元野菜を特別に使う「給食週間」で実現し、竹田さんが栽培した「雲仙こぶ高菜」でつくった高菜ごはんがメニューのひとつとして、学校給食で提供された。
雲仙市吾妻町で種苗業を営んでいた峰真直さんが中国から持ち帰ったのがはじまりといわれる、長崎の伝統野菜「雲仙こぶ高菜」。
1960年頃までは盛んに栽培され、雲仙の食文化を支えるほど、人々にとって身近なものだったが、次第に生産量が減り、絶滅危惧種だったものを、竹田さんの先輩農家、岩﨑さんが復活させたもの。
成長すると葉茎に「こぶ」といわれる突起ができる、珍しい形状。
さらに、おいしさを伝える〈雲仙市伝統野菜を守り育む会〉代表の馬場節枝さんが「雲仙こぶ高菜を守ろう」という思いから、漬物にして販売し、この地に受け継がれる食文化として広めていた。
残念ながら、数年前に加工工場が閉鎖してしまったが、その思いは今、竹田さんにも受け継がれている。
「給食として食べてもらうだけでなく、子どもたちが、自分の住むまちに根ざしてきた、雲仙こぶ高菜の歴史や魅力をまずは知ること。それを直接感じてもらえる機会になりました。
ただ、これが特別なことにしてはいけません。小さい頃の記憶や体験はずっと残るものだと思うので、定期的に取り組みを継続できるようにしていけたらいいですね」
竹田さんが種採りした「雲仙こぶ高菜」の種。
この畑で8年にわたって種を採り続けてきたことで、「土地の気候風土が種に刻み込まれ、この畑を記憶している」のだと竹田さんは言う。
畑で黄色い花を咲かせる「雲仙こぶ高菜」。
畑で黄色い花を咲かせる「雲仙こぶ高菜」。
わずかな水でも発芽できるようになるのは、まさにそのおかげ。与えられた環境のなかで太陽の光を浴び、天災などを受け入れ、耐え抜きながら土地になじみ、長い歳月をかけて守り継がれてきた。
「つい自分たちを中心に物事を考えてしまいがちだけど、私たちの農園の畑に今ある野菜やその親も知っていて、野菜もなんだか家族のような存在でもあります。 それぞれが持つ個性と向き合って、ゆっくりと時間を重ねながら、野菜とつきあっていくことが大事なのだと思います」
種を守り継ぐために。人の手で営まれてきた種採りの風景竹田かたつむり農園で栽培される「雲仙赤紫大根」。
雲仙の風土に合わせて、地域で根ざしてきた伝統野菜「雲仙赤紫大根」は、江戸時代から佐賀県多久市の女山一帯で栽培されていた「女山三月大根」がルーツとされ、もともと下部分は白い大根だったが、岩﨑さんの畑で種を繰り返し採るうちに、根の全身まで赤紫になったそうだ。
竹田さんの畑に花を咲かせる「雲仙赤紫大根」の白い花。
紫の色素が花びらにもついてくる。
大根は花に養分を送ってだんだんとしなび、やがて枯れていく。種を植えて、実になって、花が咲いて、種を採る。
昔から変わらない、種採りの風景がここにある。今回、竹田さんに「雲仙赤紫大根」の種採りの様子を見せてもらった。
中の種を守ってくれる、枯れた「雲仙赤紫大根」のさや。
さやを軽く叩いたり、潰したりすると、種とゴミが入っているので、ふるいを使って細かい種は下に落とし、分けていく。
竹田さんの祖父「竹田正」の名前が入ったふるい。「戦前は種は農家が取るのが当たり前だったので、昔の農家には必ず、ふるいがあったんです」
種蒔きから種採りまでに要する期間は、実に10か月近くに及ぶという。
「例えば、雲仙赤紫大根のような冬大根は、9月下旬から10月上旬までに種を薪き、うまくいけば、だいたい12月頃には収穫が可能。それから3か月ほどで、3月頃に花を咲かせる。その後、5月頃に枯れたさやを刈り取り、軒下で乾燥させます」
高い位置から下に置いたボウルに移すときに、風が吹くと重みのある種は、下のボウルに残る。それを繰り返すうちに種だけが残っていく。
種の中に虫がいる場合があるので、夏は1〜2時間ほど天日干しを行う。その後、約7日は室内で日陰乾燥。乾燥剤を入れて瓶詰めにして冷蔵庫へ。