北海道の東側、阿寒摩周国立公園の中にある、弟子屈町・川湯温泉。温泉街の入り口には、いまなお噴煙を上げ続ける硫黄山があり、その麓には、アカエゾマツの森が広がっている。
標高508メートル。弟子屈町の「特定自然観光資源」に指定されている硫黄山。
北海道を代表する木、アカエゾマツは、火山灰が降り積もった酸性の土壌でも生育できる樹種。
国立公園の中にあるこの地では、樹齢約200年にもなるアカエゾマツの純林が、「アカエゾマツの森」として保護されている。
川湯ビジターセンターの裏には「アカエゾマツの森散策路」がある。マップ中、赤いラインがロングコース(約2.2キロ)、緑のラインが今日歩くショートコース。
2月中旬の雪に包まれたアカエゾマツの森。午前9時30分、現在の気温はマイナス10度。約0.8キロのショートコース、通称「ゴゼンタチバナコース」を往く。
今シーズンは12月中旬にどっさり雪が降り、その後も何度か重なって、積雪は20センチを超えるだろうか。
最初の標識まできたら、ここでまず深呼吸。今日の森には、どんな発見があるだろう?
森の入り口には、アカエゾマツの丸太を利用した手づくりの標識がある。
最初の直線コースは、名付けて「稚樹(ちじゅ)ロード」
長い年月をかけて高さ30〜40メートルにもなるアカエゾマツだが、ここには高さ1メートルにも満たない木が並んでいる。それでも樹齢15年ほど。人間にたとえれば中高生くらいだろうか。
「アカエゾマツの森」の中で、いちばん日当たりのいい場所が「稚樹ロード」。
手が届く高さに葉っぱがあるので、ここを通るときはその先をつまんで擦って、アカエゾマツの香りを楽しむことにしている。
ほっとする木の香り。
ところどころにトドマツの稚樹もあるので、嗅ぎ比べてみる。
トドマツは、もう少し爽やかな印象。
1枚目の写真がアカエゾマツの葉。長さ1センチ程度で触るとチクチク痛いのが特徴。2枚目はトドマツの葉。長さは約2センチでやわらかい。
1枚目の写真がアカエゾマツの葉。長さ1センチ程度で触るとチクチク痛いのが特徴。2枚目はトドマツの葉。長さは約2センチでやわらかい。
10分ほど歩くと、コースは森の中へ。幅50センチくらいの散策路が、深い森へと導いてくれる。
奥に入るほど増えるのが、エゾシカの足跡。何本もの踏み跡が、雪の上を縦横無尽に走っている。
この森では四季を問わず、エゾシカ数頭が一列になって、目の前を走り抜けていくこともある。
雪が積もっていると、その痕跡がより明らかになる。
雪の森を歩くときの楽しみは、動物の足跡観察。たくさんのエゾシカが往来しているのがわかる。
冬の「アカエゾマツの森」で目につくのは、ハクサンシャクナゲの木。あちらこちらに群生があり、初夏には淡いピンクの花を咲かせる。
いまは葉っぱが丸まっているけれど、2月末には広がって、いち早く春の訪れを教えるという役割も持っている。
厳しい寒さのなか、芽を膨らませて春を待っている、ハクサンシャクナゲ。
しんと静まり返った針葉樹の森の中。
冬でも枝葉を屋根のように広げて、その上にたくさんの雪を載せても凛としているアカエゾマツ。この森には、寒さや風雪を遮り、包み込んでくれるような心地よさがある。
そしてあたり一面に、エゾシカが餌を求めて、雪を掘り起こした跡が広がっている。
ほかの場所に比べて積雪が少ない針葉樹の森では、エゾシカは、雪の下にあるササなどを食べて、厳しい冬を乗り越えているのだ。
これはエゾシカの食べ跡。雪の下に埋もれているササなどを掘り起こしているそう。
これはエゾシカの食べ跡。雪の下に埋もれているササなどを掘り起こしているそう。
「ゴゼンタチバナコース」の出口に近づき、広葉樹が増えてくると、反比例するように、掘り起こした跡は減ってくる。
「アカエゾマツの森」は、エゾシカたち野生動物にとっても、シェルターのような存在なのだろう。
広葉樹の森でエゾシカの暮らしを想像する数日後、「エゾシカによる食害の調査方法を学ぼう」というイベントに参加した。フィールドは、アカエゾマツの森から車で約10分、屈斜路湖畔に位置する「仁伏(にぶし)の森」。
「摩周・屈斜路トレイル」のコースにもなっている、仁伏半島自然散策路は約3キロ。
こちらの森は広葉樹が中心で、カツラの巨木をはじめ、ハリギリ、オヒョウ、カエデなどさまざまな樹種が生育している。
葉を落とした広葉樹の森は、「アカエゾマツの森」とは対照的に明るく、見晴らしがよく、野鳥観察にも適している。
冬の仁伏半島自然散策路では、森の中から屈斜路湖を望むことも。
冬の仁伏半島自然散策路では、森の中から屈斜路湖を望むことも。
雪面にはエゾシカだけでなく、キツネ、ウサギ、ネズミ、エゾクロテン、etc.いろんな動物の足跡を見つけることができる。
こちらはクマゲラの食痕。穴の深さを測ってみたら、60センチ以上にも!
「アカエゾマツの森」と異なるのは、ここでエゾシカは、雪の下にある草木だけではなく、樹木の皮も食べていること。
森の中では、至る所で樹皮が剥がされた食痕が見られた。多くはハルニレで、これがエゾシカの大好物だそう。
樹皮を剥がされた表面に残っている傷痕で、犯人がネズミなのかエゾシカなのか診断。
樹皮を剥がされた表面に残っている傷痕で、犯人がネズミなのかエゾシカなのか診断。
「またハルニレだね……」「サルナシも食べられてるよ」「フッキソウまで食べちゃうの?」
樹皮剥ぎや掘り起こし跡を観察しながら、エゾシカの冬の暮らしを想像しつつ歩いた。
この日のテーマであった調査方法とは、区画を決めて(この日は10メートル×30メートル)、食害が見られる樹木の種類や胸高直径を測り、写真に撮り、記録していくというもの。
継続して食害の増減を調査し、森を守るための方法を探っていかなければ、と思う。
樹木の美しさを眺めるだけでなく、野生動物との共生について考える。
真冬の森は、そんなきっかけも与えてくれるのだ。
information
アカエゾマツの森
住所:北海道川上郡弟子屈町川湯温泉2-2-6 川湯ビジターセンター 裏
tel:015-483-4100(川湯ビジターセンター)
Web:アカエゾマツの森
※冬季は川湯ビジターセンターにてスノーシューの貸出も行なっている(ひとり500円)。
*価格はすべて税込です。
writer profile
Chigusa Ide
井出千種
いで・ちぐさ●弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。