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「尾瀬」 詳細解説

読み:
おぜ
英名:
Oze

2007年8月30日、尾瀬国立公園が、わが国で29番目の国立公園として新たに指定された。今回の指定により、国立公園総面積は208万6790haとなった。これは、国土面積の5.52%にあたる広さだ。尾瀬国立公園はもともと、1934年に指定された日光国立公園の一部だった。区域面積は3万7200haで、このうち日光国立公園からの編入が2万5203ha、会津駒ヶ岳及び田代山・帝釈山周辺地域が1万1997haとなっている。福島県南会津町と檜枝岐村、栃木県日光市、群馬県片品村、新潟県魚沼市の4県2市1町2村にまたがり、1953年には国立公園特別保護地域に、1960年に特別天然記念物に指定されている。

尾瀬は、初夏のミズバショウ、7月中旬のニッコウキスゲのほか、春から秋にかけてモウセンゴケ、チングルマなどの草花を見ることができ、年間30万人にもおよぶ登山客、観光客が訪れる。尾瀬ヶ原や尾瀬沼は、湿地特有の希少動植物が見られ、学術的にも貴重な地域となっている。尾瀬ヶ原、尾瀬沼は氷河期に形成され、その後温暖化が進むと周辺の植物は次第に北に移動したが、尾瀬は高原の盆地という特性から北方植物がそのまま生き残り、いまでも氷河期に生育したオゼソウなどの植物が自生していることが特徴である。また、尾瀬以外ではロシアが南限となる植物も見られる。

1890年(明治23年)、平野長蔵氏が尾瀬沼畔に小屋を建てたときをもって尾瀬開山といわれる。その後、明治30年代には豊かな水源を利用したダム建設が計画されたが、当時から自然保護の必要性を政府も認識していたことなどから開発は中止になった。しかし、戦後の1948年には、尾瀬ヶ原を水没させるダム計画が再び浮上した。計画に反対する学者や文化人、登山家たちは尾瀬保存期成同盟が結成し、反対運動を展開した。また、文部省や厚生省国立公園部(のちの環境庁)も計画に反対したために、計画は中断されることになった。なお、尾瀬保存期成同盟は日本における自然保護運動のさきがけとなり、のちに日本自然保護協会へ発展していく。

その後、1966年には以前から計画のあった山村振興と観光目的のための道路工事が開始されるが、これは、長蔵小屋3代目・平野長靖氏などの反対運動と、当時の環境庁長官・大石武一氏の決断により中止された。しかし、昭和30年代後半のハイキングブームと尾瀬をテーマにした歌「夏の思い出」の大ヒットによって、尾瀬にはハイカーが急増し、自然保護の施設も登山マナーも十分確立していなかったことから、貴重な動植物の宝庫である尾瀬は荒らされていった。

その危機的な状況に対応するため、1972年には全国に先駆けてゴミ持ち帰り運動がはじまり、そのほか洗剤の使用禁止など、自然保護と登山、観光の両立を目指す試みが行われている。湿地帯の貴重な植物をハイカーが踏み荒らさないように、木道を整備しているのも尾瀬の特徴で、木道は尾瀬の象徴ともなっている。1999年には、福島県側からの、翌年には群馬県側からの自動車の乗り入れが禁止され、自然保護対策が強化されている。また、2005年11月にはラムサール条約の湿地に登録された。

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