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コーヒーで旅する日本/関西編|舞台役者からロースターへ。地域の日常に寄り添うコーヒーに見出した新たな表現の道。「明暮焙煎所」

  • 2022年10月18日
  • Walkerplus

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

関西編の第35回は、神戸市須磨区の「明暮焙煎所」。神戸っ子のおでかけの定番である須磨海岸や水族館のほど近くにありながら、静かな住宅街に佇む店は、開店5年を経て地元の厚い支持を得ている。店主の田村さんは、東京で役者として活動した後に、コーヒーの道へと転身した、ユニークな経歴の持ち主。さまざまなお客の日常を受け入れるカフェや喫茶店の世界観に惹かれ、新たな舞台に飛び込んだ田村さんがコーヒーを通して追求する自らの表現の形とは。

Profile|田村篤史(たむら・あつし)
1986 (昭和61)年、神戸市生まれ。学生時代演劇部に所属し、卒業後、東京の養成所に入り役者として数々の舞台に出演。映像制作の仕事などを経て、当時通ったカフェや喫茶店の魅力に自らの表現の場を見出し、開業を目指して地元・神戸に帰郷。神戸のコーヒー焙煎卸・マツモトコーヒーで、コーヒーの基礎を学び、焙煎やカッピングの経験を積み、2017年「明暮焙煎所」をオープン。

■心なごむ憩いの場が演劇に代わる新たな舞台に
「物件探しをしてる時、この辺りは穏やかさがあって、山から海へまっすぐ伸びる道を風が通ってるような、気持ちよさに惹かれましたね」という店主の田村さん夫妻。『明暮焙煎所』があるのは、ビーチや水族館のある須磨海岸から、少し山手。三宮や元町から電車で十数分の距離にありながら、のどかささえ感じる住宅街に溶け込む小さな店は、いかにも“町のコーヒー屋さん”の趣だ。

今では焙煎機を操る姿も板についているが、実はかつて役者として演劇の舞台に立っていたという田村さん。学生時代に演劇部に所属し、卒業後に本格的に役者を目指して上京。養成所に通いながら、オーディションを受けてはさまざまな舞台に出演していた。「といっても、“売れない”がつく役者で(笑)。いい劇団が見つからず転々としていました。だから長く稽古しても、それを見せる時間はわずかしかない。表現の場が限られていた中で、自分が生きがいとしているものを、もっと見てもらいたいとの思いを持っていました」

一時は、映像制作の仕事に転身しようともしたが、徐々に演劇の道からずれていくことに葛藤を抱えていた田村さん。その頃、心の拠り所となったのが、カフェや喫茶店だった。「台本読みなどの場所として、最初はセルフカフェに行くことが多かったんですが、人の出入りが多くて集中しづらいので、個人経営の店に入ることが増えていきました。段々と店の人とも馴染みになり、挨拶や会話を交わすうちに、心なごむこの場の空気感に惹かれていきましたね」。日々の雑事、時々で変わる気分を受け止める空間は、調度からコーヒーの品揃え、メニューの名付けまで、店によってさまざま。一つの舞台を作るのにも似た世界観に触れ、演劇に通じる個性の表現を見出した田村さん。ちょうど結婚を控え、先のことを考える岐路に立っていた当時、新たな舞台として選んだのが、カフェや喫茶店が体現する憩いの場を作ることだった。

■先達との出会いが後押ししたロースターへの道
地元・神戸に戻って心機一転、自店の開業を目指して、一からスタートを切った田村さん。ひたすら勉強の毎日が続く中で、進むべき指針を示してくれたのが、神戸・栄町にあるロースター・VOICE of COFFEEの存在だ。「まだコーヒーのことをよく分かってない時に、この店でスペシャルティコーヒーの存在を知ったんです。最初に飲んだイエメン・モカは、チョコレートの風味とワインのような香りが印象的で、“芳醇とはこういう味なのか!”と感じ入りました。それ以上に、店主の坂田さんの気さくな人柄と、コーヒー一筋の仕事ぶりに惹かれて。コーヒーを中心にして生まれる店の表現や、独特の空間に感銘を受けました」と振り返る。

この出会いを機に、坂田さんの勧めで焙煎機メーカーのセミナーに通い始め、目指す方向をロースターへと舵を切った田村さん。とはいえ、最初は悪戦苦闘したという田村さん。「焙煎を学ぶといっても、当時の自分はまだスタートラインにも立てていない状態。とにかくうまく焼けなくて、これで店を始めるのはあまりに無謀と思いました」。“ハゼって何だ?”という、基本的なレベルから始まり、実際に焙煎の変化を体感するために、自宅でも手鍋を使って焙煎を繰り返した。

そこで、大きな転機となったのが、神戸のコーヒー焙煎卸・マツモトコーヒーの松本社長との縁。「偶然、『映画と珈琲』というイベントでお会いして、思い切って、コーヒーのことを勉強したいと掛け合ったんです。当時は開業資金を貯めるために平日はアルバイトしていたので、週末にマツモトコーヒーに通って、原料のことから開業の計画まで相談に乗ってもらいました。今思えばありえないことですが、当時はかなりがっついてたんだと思います(笑)」と振り返る。この時、スペシャルティコーヒーの醍醐味に触れたことで、原料の個性を知る大切さを実感。風味を判断する舌を鍛えるべく、カッピングのトレーニングにも取り組み、幅広い銘柄の味を経験することで、味覚の感度と幅を広げていった。

ここまでわずか数年、生来の行動力を発揮し、自ら動くことで人の縁を広げてきた。その熱意に応えてくれた先達との出会いは、何物にも代えがたい財産だ。「学生時代からの性分で、やるからには趣味で終わらせられない。自分が納得する形で表現したいという気持ちは、演劇もコーヒーも同じ。世の中にはこれだけ多彩なコーヒーがある、その楽しさを伝えたいという思いがありました」。根っからの表現者気質を原動力に、2017年、『明暮焙煎所』をオープン。新しい舞台の幕が上がった。

■ストーリーのあるコーヒーを、自らの表現の集大成に
現在、店頭に並ぶ豆は、定番のブレンド3種に、季節のブレンド1種。シングルオリジン約8種と幅広い。ただ、焙煎度を見ると、浅煎りのカテゴリーがないことに気づく。「ご近所のお客が多く、嗜好が深煎り。情報によって先入観をもってほしくないのであえて表記してないんです。でも一度は試してほしいので、中煎りの豆はかなり浅めにしています」と、その理由は細やかな工夫にあり。いずれの豆も、柔らかな口当たりと丸みのある味わいで、お客の嗜好を広げることに腐心する。

一方で、「ブレンドは店のキャラクターが出るので、個人的にも楽しんで作ってます」と田村さん。中でも定番のブレンドは、爽やかな酸味に一日の始まりをイメージした中煎りの“明”、とろりとマイルドな果実味で飲み飽きない日常の中深煎り“日和”、まろやかに溶け合う苦味と甘味に夕暮れ時を重ねた深煎りの“暮”と、飲むシーンまで想像させるストーリーと共に提案。特に季節のブレンドは、その名付けを楽しみにするお客も多いとか。

「夏なら潮音、秋は染めと織るをつなげた“そめおり”など、響きがきれいな言葉を選んでいます。ある時、2周年記念のブレンドの名を、そのまま“2周年ブレンド”としたら、“名前が手抜きだから、これは名無しブレンドやな”、と言われたことがありました」と苦笑する田村さん。そんなお客の期待感は、愛着の裏返し。いかに地元に定着しているかが伝わるエピソードの一つだ。「明暮」という店の名もまた然り。「日々、コーヒーにどっぷり浸かっている感じもあり、1日の始まりから終わりまでという意味もあります。店をするなら、みんなに“~~さん”と呼びやすい語感をと思っていたので、開店当初から、“あけくれさん”と呼んでもらえるのは嬉しいですね」

それでも、オープンしてしばらくは、何としても豆を売らなければと、頑なになった時期もあったという田村さん。「その頃は、一人で切り盛りしていたこともあって、店を続ける大変さや、これまでの経験の積み上げの少なさを感じました。それまでは、誰かの力を借りてやってきた部分も多かったので、自分で何かしないと、という思いから視野を広げていきました」と振り返る。その時期を経て後に、季節のブレンドやカフェインレスなど豆の品揃えを広げ、春夏限定のコーヒーゼリークラッシュなどのオリジナル商品、パッケージも改良を進め、店の魅力を増していった。

同時に、当初からスペシャルティコーヒーの認知度がほとんどなかった界隈で、店を続けるうちに、その存在自体を広める必要があると強く感じた田村さん。「店で小さなセミナーを開いたり、ホームページに豆の背景やプロセスなどの情報を充実させたりして、周知に取り組んでいくと、“コーヒーって値段決まってないんだ?”とか、徐々にお客さんからの質問や反応が増えました。ここで興味を持ってもらったのをきっかけに、スペシャルティコーヒーの本質的な部分を伝えていきたい。時間はかかりますが、これからやっていくべきことだと感じます」

コーヒーを、自らの表現としての集大成にしたいという田村さん。「まだ知らないコーヒーが多すぎて、開店から5年経っても興味は尽きません。まだまだ紹介できていない産地が沢山あるので、これから増やしていきたいですね」。地域の日常と共に明け暮れる、小さなコーヒー店が紡ぐ筋書きのないストーリーは、まだ始まったばかりだ。

■田村さんレコメンドのコーヒーショップは「VOICE of COFFEE」
次回、紹介するのは、神戸市中央区の「VOICE of COFFEE」。
「店主の坂田さんは、コーヒーとの向き合い方を最初に示してくれた、尊敬すべき先輩。焙煎を始めた頃は、ここで初めて飲んだイエメン・モカの風味を目指して試行錯誤を重ねていました。独特の空間やコーヒーに魅力があるのはもちろん、謙虚に味作りを追求する姿勢や、ロースター目線で循環型社会に貢献する取り組みなど、同業者としても共感できる部分が多い一軒です」(田村さん)

【明暮焙煎所のコーヒーデータ】
●焙煎機/フジ ローヤル 3キロ(半熱風式)
●抽出/ハンドドリップ(ハリオ)
●焙煎度合い/中煎り~深煎り
●テイクアウト/ あり(400円~)
●豆の販売/ブレンド4種、シングルオリジン8種、100グラム750円~

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治




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