
誰もが特別な思いを持っているであろう、生まれ故郷に対する“ジモト愛”を語るインタビュー連載・アイドルWalker。2022年1月に3人の新メンバーを迎え、パワーアップした今注目の男性グループ「IVVY(アイビー)」のメンバーを1人ずつ特集していきます。とうとうラストとなった7人目に登場してくれるのは、リーダーのHIROTO!小学校時代によくサッカーの試合で訪れていたという荒川の河川敷を眺めながら、幼少期を振り返ります。
■荒川の土手は、思い出がたくさんある場所
――小学生の頃からやっていたサッカーの試合で、荒川の河川敷にはよく訪れていたそうですね。
はい、サッカーは小1から高3までやっていました。高校では地元から遠い強豪校でやってたんですけど、小学校時代の大会なんかはよく荒川土手のサッカーグラウンドで開催してたので、いい思い出もたくさんありますし、定期的に行っていた場所ですね。
■可能性があるなんて人生って面白いなと思った
――一時はプロも目指していたんでしょうか?
ずっとプロに行くつもりでやっていて、高校では全国大会にも出させてもらったので大学からも声がかかったり、いろんな選択肢がありました。でも、スポーツっていうのは実力社会で、実力が絶対の世界だと思うので、強運や持っているものだけじゃ厳しいかなと思っていて。
それこそ中学時代は、都大会に出るのもすごいっていう感覚でやっていたので、地元の人たちからしたら強豪校に入ってスタメンで出場するなんて夢の話でしたし、さらに全国大会出場という夢までつかみ取って、高校時代には既にあり得ないことがいろいろと起きてたんです(笑)。
しかも、僕はいろんな高校のサッカー推薦に落ちて、最終的に拾ってくれた1校で推薦に落ちた高校を撃破していって全国大会に行ったんですよ。そんな可能性があるなんて人生って面白いな、夢っていいなと思うようにもなりました。どんな夢も努力次第だとは思うんですけど、サッカーは全国に出たからこそ感じた壁がありましたし、それなら違うことでもう1回夢を目指していてもいいんじゃないかなと思って、今のアーティストの道を選びました。
――周囲の人は、サッカーの道を選ばなかったことに驚かれたんじゃないですか?
それが、応援してくれていた親としても、僕が高校サッカーで国立(※高校サッカーの聖地)で行進することが夢だったみたいなんですよ。小学生の時から、「頼むから国立に行ってくれ」って言われてて(笑)。だから全国大会に出場して、親が泣きながら感謝を伝えてくれた時に、僕の中でも燃え尽きた部分がありました。そこで、次の目標を目指すために背中を押してもらえましたね。
■右も左もわからないところから自分を磨いていった
――素敵なエピソードですね!そこから、アーティストの道を選んだ理由は?
元々歌うことは好きで、高3の文化祭でも有志で歌ったりしてたんです。その時、披露したのはEXILEさんの曲で、知り合いにピアノを弾いてもらったりバックダンサーに踊ってもらったりして、結構本格的にコピーしました。
その後、音楽の専門学校に行って2年間基礎から学ぶのか、学校には行かず自分で好きなことをやるか悩んだんですが、今までも自分で考えて行動していくことが多かったので、専門には入らずに、片っ端から事務所のオーディションを受けるという道を選びました。右も左もわからないところからトラックを渡されて曲を作り、ライブに出させてもらって自分を磨いていくっていうのが、僕には合ってましたね。最初の頃は、ステージに上がったら客席に親しかいないこともありましたが、ステージに立つということが大事だと思っていたので、辛くてもやり続けました。
――そこから、HIROTOさんがメンバーを集めて、IVVYを結成するんですよね。
元々、ライブのブッキングや曲作り、SNS周りまで全部自分でやってたんですよ。IVVYを作る前は少し違う音楽ジャンルでやっていたのですが、「歌って踊りたい」という欲が出てきて、ダンス&ボーカルのグループでやりたいなと思った時に、事務所にも所属してなかったので全部自分でやろう、と。そこでまずは素材がなかったらプレゼンにもならないので、グループのイメージ像やコンセプト、楽曲、SNSの運用についてなどをまとめた資料を作りました。メンバーも、ライブハウスを回りまくってスカウトしてきたり、本当に全部自分でやってましたね。
――そんなHIROTOさんを、地元の友人はどんな風に応援してくれていますか?
これは今でも忘れられないんですけど、人生初めてライブした時、オープニングで1曲だけのステージだったにも関わらず、友人が40~50人来てくれたんです。その時に、いろんな人に応援されてるなって感じました。その日、もはや僕が一番集客してたので、周りも「なんだなんだ、あの集団は」ってなるくらいで(笑)。あの時はみんなチケットを買って来てくれていましたが、今では招待できるので「大きくなったね~」とか言われるとうれしいなって思います。
■みんな最後は地元に戻ってくる感じが好き
――地元の結束がすごく強いようですね。サッカー以外には、どんな思い出がありますか?
ほぼ毎日、地元のゲームセンターにいました(笑)。音ゲーが好きなのでドラムのゲームやったり、ドライブゲームをやったり。部活以外に関しては、あまり優等生ではなかったかもしれません(笑)。
――地元って良いなぁ、と思う瞬間は?
地元、いいですよね~(笑)。根拠はないんですけど、すごく思います。基本的に僕の地元って“地元愛”がすごいんですよ。僕は親と同じ中学校出身ですし、地元に行きつけのイタリアンのお店があるんですけど、その店長も同じ中学校出身(笑)。同級生同士で結婚した子も多いですし、みんな最後は戻ってくるというか、地元から出ずに仲間内でわいわいし続けてる感じがあって好きです。
今はコロナもあってなかなか会う機会はないですけど、それこそオンライン飲み会とかもちゃんとやりました(笑)。地元で一番仲良いメンバーとは、温泉旅行に行ったりもしてましたね。今はアーティストという特殊な職業になりましたけど、当時のまま接してくれるのでありがたいです。さすがにもう無いですが、何年か前までは地元の駅に着いて一番近いコンビニにみんな集まってるみたいな、本当にそういう地元なんですよ(笑)。もう二十歳超えてるよ?みたいな(笑)。
――HIROTOさんのお話からも、強い地元愛が伝わってきます!そんな地元に、今後のアーティスト活動を通してどんな風に貢献していきたいですか?
やっぱり、観光大使みたいなのはやりたいですよね(笑)!ここといえばHIROTO、みたいな。地元を代表したいですし、地元の誇りになりたいです。地元愛、結構激しいです(笑)!