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コーヒーで旅する日本/関西編|濃密な一杯に、深煎り・ネルドリップの醍醐味を継承する「廣屋珈琲店」

  • 2022年3月1日
  • Walkerplus

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

大阪・北摂の閑静な住宅街・箕面市にある「廣屋珈琲店」。日本で独特の進化を遂げてきた“深煎り・ネルドリップ(※1)”の系譜に連なる一軒だ。深煎りならではの醍醐味を追求し続けるなかで、2018年の移転を機に訪れた、店主・廣井知亨さんの心境の変化と新たな試みに注目したい。

Profile|廣井知亨
1968(昭和43)年、兵庫県宝塚市生まれ。調理師学校卒業後、病院給食調理の仕事に就く。その後、レストラン、喫茶店を経て、大阪のコーヒー専門店・蘭館で3年、名物・バターコーヒーで知られるダンケ 箕面店で10年修業。ダンケでは店長も務め、2008年に西宮で「廣屋珈琲店」を開業。2018年に大阪・箕面に移転。

■カウンターでネルドリップする姿に憧れて
「小学生の頃に書いた夢が、“阪急ブレーブス(現オリックス)の選手、保父さん、コーヒー店主”。そのうち一つは叶えたということですね」と、笑顔を見せる廣井さん。調理師学校時代から元々のコーヒー好きに拍車がかかり、本格的に学び始めたのは、大阪の老舗コーヒー専門店・蘭館の門を叩いた時から。日本で独自に発展してきた、“深煎り・ネルドリップ”を謳うこの店での経験は、廣井さんにとって、今に続く大きな転換点になったという。

「蘭館に入ってから、ここが、日本の自家焙煎コーヒー草創期に“大阪の伝説的コーヒー名人”と呼ばれた襟立博保さんの教えを汲む店だと知りました。さらに興味を持って、東京で深煎り・ネルドリップの店をあちこち巡った時に、今までになかった濃度のコーヒーに出合って、“こんなコーヒーの出し方があるのか!”と衝撃を受けました。また、カウンターでドリップしている佇まいがかっこよくて。今で言うとバリスタに憧れるみたいな感覚で、自分もこのスタイルでの独立を考えたんです」。
当時、“ストロングスタイル”と呼ばれた濃厚なコーヒーを作るには、自分で焙煎する必要があると考えた廣井さん。蘭館でネルドリップの技術を磨くと共に、自宅で手回しの器具で焙煎を始めた。その後、勤めたダンケでは、抽出がペーパードリップだったため、個人的にネルドリップの練習を欠かさなかったという。ダンケでは、店長として店の経営のノウハウも学び、2008年、西宮市甲子園で念願の独立を果たす。すでにスペシャルティコーヒーが広まり、浅煎りの軽快な味わいのコーヒーが広まりつつある中、深煎り・ネルドリップの濃厚な一杯でファンを獲得してきた。

■コーヒーの味に厚みを生み出す“不動の右手”
開業時に導入した直火式の焙煎機(※2)は、下部にガスバーナーに加えて、側面に赤外線装置を取り付けたカスタム仕様。遠赤外線を使って芯まで火を通す焙煎方式は、かつて襟立氏が考案したものだ。「豆の焙煎に要する時間は15分前後が一般的ですが、うちの場合は最も浅煎りの豆でも20分をかけ、すべて2ハゼ(※3)を超えるまで深く煎り込むのが特徴です。焙煎時間の中盤くらいで赤外線を当て始めて、1ハゼが起こって以降は豆の種類によって照射時間を変えます。豆の芯まで熱を入れるため、じっくり時間をかけるのが大事だと考えています」と廣井さん。
通常、焙煎が深くなるほど苦味が増すといわれるが、同時にカラメルのような香ばしい甘味も現れる。廣井さんが追求するのは、深煎りでこそ生まれる焙煎由来の味わい。ただ、焙煎が深くなるほど火の入りが速くなるため、一瞬の判断が煎り上げを左右する。


この深煎りの豆の味わいを、余すところなく引き出すのがネルドリップによる抽出。「コーヒーの濃度やコク、味の厚みを打ち出したい。そのために、ペーパーよりも雑味が少なく、口当たりのまろやかさがが出るネルは最適な方法です。深煎りの方がより抽出による違いが出やすいですね」。現在、ブレンド5種、シングルオリジン5~6種の豆を揃えるが、それぞれの風味に合わせて濃度が異なるコーヒーを出し分けるには、常に安定した抽出技術が重要だ。
「ネルは湯の温度管理が一番重要」と、湯の温度はやや低めの80℃に調整。抽出の際は、一定のペースで湯を落とし続けるため、右手にポットを持ち、脇を締めて、腰あたりの高さでしっかり固定するのが基本姿勢。ポットを固定してネルを動かす抽出は、蘭館で会得した流儀に、廣井さんが方々で訪ねた名店の技を取り入れたオリジナル。静かに湯を注ぐ所作は、かつて自らが憧れた、往年のコーヒー職人の姿を伝えている。

■新たなブレンドで取り組んだ、“甘味”の追求
廣井さんが西宮で10年の営業を経て、自宅の転居を機に、現在地に店を移転したのが4年前。以前は店舗を借りていたが、営業時間外の仕事も多いため、元々から理想としていた自宅兼店舗の形を実現した。当初は西宮時代のお客が多かったが、近頃は地元の人やダンケ時代を知るお客が訪れることが増えてきたという。
また、移転を機に、豆の販売を中心にという思いもあったそうだが、「コーヒーは、カップに抽出して初めて“完成”だと思っているので、100%豆販売専門でなく喫茶は続けたかったんです。豆の販売はいわば半加工で、最後の工程はお客さんに委ねることになりますから。コーヒーの世界も多様化しましたが、自分は古い時代の人なので(笑)、この店で席に座って、「大倉陶園」(※4)のカップで飲んでもらって、初めて“廣屋のコーヒー”なんだと思っています」。

とはいえ、以前より定番のブレンドが一新し、種類が増えたことは、移転後の大きな変化だ。西宮での開店当初は、定番のブレンドは淡口・中口・濃口の3種だったが、現在は、淡口ライト・香味マイルド・糸桜スタンダード・中濃ミディアム・濃口ビターの5種に。この新たなブレンドの誕生には、東京にあった伝説の喫茶店・大坊珈琲店の店主だった大坊勝治さんとの交流の影響も大きかった。「西宮時代から手紙のやりとりをさせてもらって、ある時はご自宅まで伺って、コーヒーに対する考え方をお話しした中で、“濃さだけでなく、甘味を求めている”という話にハッとさせられて。店を始めた当初は“濃さ”を求めていたけど、どこかで自分のコーヒーには“品”がないなと感じていたんです。長年の大坊さんとのやりとりから、ただただ濃いだけではない、甘みを求める方向へと徐々に考え方が変わったんです」。
移転を節目に、焙煎時の排気や抽出時の挽き目・分量を調整するなど、今までのやり方を見直し、改めて味作りに取り組んだ廣井さん。新たなブレンドの中でも、移転前とは異なるアプローチを体現するのが、創業以来のスタンダード・中口に代わる店の顔・糸桜ブレンドだ。「中口」(現在の中濃ミディアム)で用いたコロンビア・ブラジル・マンデリンの配合から、マンデリンとエチオピアを入れ替え。香ばしい苦味が立つ「中口」に比して、糸桜ブレンドの苦味はあくまで柔らかく、何より余韻に広がる芳醇な甘みが際立つ華やかな味わい。温度が下がるといっそう増してくる、みずみずしい甘さに目を見張る。より繊細さを増した味わいの密度とグラデーション、清澄な余韻は、ネルドリップが持つ懐深さと廣井さんの細やかな仕事の賜物だ。

■移転を機に深煎りのさらなる魅力を発信
廣井さんが独立した頃から考えると、いまやコーヒーシーンでは、すっかりスペシャルティコーヒー(※5)が主流となった感があるが、「それが最高というわけではない。コーヒーの世界が一つの木とするなら、スペシャルティは花で、深煎り・ネルドリップの世界は枝とか根の部分。目立つか目立たないかが違うだけで、コーヒーの醍醐味の一つだと思います」。
一方で近年は、廣井さんと同じく、ネルドリップや手回し焙煎機を使った深煎りを志向する店もじわじわと増えている。ただ、そのスタイルが隆盛した時代を知る人は少数だろう。廣井さんは、当時の名店のコーヒーを体験できた幸運な世代だというが、それゆえの葛藤もあったようだ。「西宮にいた頃は“関西でコーヒーなら廣屋と言われる店に“、という意識は強かったですが、名人と呼ばれる方々を訪ねるうちに、段違いのレベルに突き抜ける人は一握りなんだと肌で感じて。自分はそこには届かないというのを自覚したのですが、今は逆に凝り固まった気持ちが楽になって、視野が広がりましたね」。そう話す廣井さんの表情は、心なしか晴れやかだ。

その心持ちを映してか、移転を経た今の『廣屋珈琲店』は、以前よりどこか肩の力が抜けた、親しみやすさを増したようにも思える。「以前は深煎り=苦いと思い込んでいましたが、苦味だけではなく深煎り独特の甘みがあるということを広めたい。焙煎に由来するコーヒーの味の個性、面白さを出して行ければと思っています」。深煎り・ネルドリップを継承する中で見つけた、新たなコーヒーの魅力。廣井さんの探求心はまだまだ尽きないようだ。

■廣井さんレコメンドのコーヒーショップは「Basic珈琲」
次回、紹介するのは豊中市・緑丘の「Basic珈琲」。「店主の坂原さんは、以前コーヒー商社に勤めていて、営業として店に来てくれたのが縁で、独立前に少しの間、うちで仕事を手伝ってもらったこともあります。とにかく勉強熱心で、コーヒーに対する熱意と誠実な人柄が、お店から伝わります」(廣井さん)。

【廣屋珈琲店のコーヒーデータ】
●焙煎機/FUJI ROYAL R105 5キロ(直火+赤外線)
●抽出/ハンドドリップ(ネル)
●焙煎度合い/中深煎り〜深煎り
●テイクアウト/なし
●豆の販売/ブレンド5種、シングルオリジン5~6種、、100グラム600円〜

※1…起毛している織物・フランネルを使ったフィルターを使う抽出方法。厚手で太い繊維でろ過するため、雑味が抑えられ、舌触りがなめらかで濃度感のある抽出液が得られる。
※2…豆を入れる回転ドラムの胴体がメッシュ状になった焙煎機。穴から炎や熱風が最短距離で直接豆に当たることで、独特の香味を作り出すことがある
※3…焙煎時に豆が膨らみ、細胞が破壊されて爆ぜる音のこと。大きく2回起こり、それぞれ「1ハゼ」「2ハゼ」と呼ぶ
※4…1919年創業の磁器メーカー。“オークラのホワイト”と称される肌の白さ、なめらかさで世界的に知られる
※5…生産者や農場、精製方法などの単位で統一された豆のこと

取材・文=田中慶一
撮影=直江泰治

※新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止にご配慮のうえおでかけください。マスク着用、3密(密閉、密集、密接)回避、ソーシャルディスタンスの確保、咳エチケットの遵守を心がけましょう。

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