カトリック教会の教皇選挙コンクラーベが始まるバチカン市国では、サン・ピエトロ広場に向かうペニテンツィエリ通りがにぎわいを見せていた。
若い司祭がパリッとした黒のキャソック(祭服)に身を包み、ブリーフケースを持ち、イタリア、ミラノの経営者さながらに人混みをすり抜けている。「イエズス会の司祭だ、間違いなく」と昼食をともにしたベテランのバチカン担当記者はつぶやく。
青いチュニックと手編みのカーディガンを着たアフリカの修道女2人が渋滞に巻き込まれている。
首から重厚な銀の十字架を提げた太った司祭が巡礼者の一団を率いている。黒いポロシャツの胸に描かれたエルサレム十字架から、「聖墳墓騎士団のスペイン人」巡礼者と推測される。
そして、しわの寄った黒のキャソックと白のシャツを着用し、つぶれた帽子をかぶった年配の男性がイエズス会本部に向かっている。枢機卿なのだろうか?
首から名札を提げたバチカン特派員たちがうわさ話を中断し、互いに目配せしている。枢機卿は教皇の候補者という意味ではカトリック教会の王子かもしれない。だが、控えめなローマ教皇フランシスコの時代は、謙虚さが重視される時代でもあった。
正式な会議や式典を除き、赤で縁取りされた枢機卿のキャソックではなく、司祭が着るシンプルな黒のキャソックが推奨されている。教皇選挙の投票権を持つ枢機卿たちが、身分を隠して通りを歩いている。
次ページ:「人々はスペクタクルも必要としています」
半世紀前とは対照的だ。70代のプリンチペッサ(教皇貴族の女性)によれば、当時、枢機卿たちは常に真っ赤なキャソックを着用し、宮殿で食事をとり、運転手付きの車で従者とともに移動していた。
しかし、すべてのカトリック教徒、ましてや、すべてのローマ貴族が、教皇フランシスコによる質素倹約、謙虚さへの急激な転換を喜んでいたわけではない。
「カトリック教会は、その遺産なしでは何者でもありません」と前述のプリンチペッサは語る。
彼女の家系からは3人以上の教皇が輩出している。自宅には玉座の間とカラバッジョの絵画がある。応接間には、銀の額縁に入った亡き父親の写真が飾られており、代々受け継がれてきた騎士の衣装とマント、剣を身に着けている。
「謙虚さは当然のことです。聖職者は謙虚であるべきです。しかし、人々はスペクタクルも必要としています。スペクタクルを失えば、神秘性も失われてしまいます」
「教皇フランシスコは謙虚さで知られていました」とバチカンのキリスト教一致推進省で働くアイルランド・ベネディクト会のマーティン・ブラウン修道士は言う。教皇フランシスコの在位中、「多くの枢機卿が豪華な指輪や十字架を身に着けなくなりました」
今回のコンクラーベも、亡き教皇の哲学を受け継いだつつましいものになった。だが、それが続くかどうかは別問題だ。
「(教皇フランシスコは)本当に彼らを改宗させたのでしょうか?」とブラウン修道士は考え込む。「枢機卿たちが新しい時代にどう適応するかが見ものです」
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