「まるで広大な雪原、あるいは水銀の海を航行しているかのようだった」。1849年1月、アラビア海をムーズファー号で航行中のケプソーン船長は航海日誌にこう記した。「ミルキー・シー(乳白色の海)」と呼ばれる現象だ。ほかにも「これまで見た中で最も幻想的な光景」、夜の海が「濃いミルクやクリーム」のようになり、「海面のすぐ下に緑のネオンライトがあるかのように」光っていたなど、何世紀にもわたって船乗りや科学者を当惑させてきた。
米コロラド州立大学の博士候補生であるジャスティン・ハドソン氏と大気科学者のスティーブン・ミラー氏は、数世紀分の航海日誌、目撃証言、新聞記事、衛星画像を調べ上げ、世界最大規模のミルキー・シーのデータベースを作成し、4月9日付けで学術誌「Earth and Space Science」に発表した。記録は400年間でわずか400足らずで、写真は1枚しかないという。
「このテーマは歴史を通じて、神話と科学的知識の間をさまよってきた」と論文には書かれている。しかし今、この新しいデータベースが、数世紀の謎を解く助けになるかもしれない。
ミルキー・シーは珍しい生物発光だ。発光は細菌に由来すると考えられている。
数々の目撃証言によれば、数カ月にわたって海面全体が光り輝き、宇宙から見えるほど明るくなることもある。ただし、太陽や月の光があると消えてしまう。
ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万里』では、こうした海の「乳化」は「無色のゼリー状で、髪の毛ほどの太さで、長さ5分の1ミリにも満たない光る幼虫」が原因だとされている。
1985年、ある調査船がこの現象に遭遇し、サンプルを採取した。この海水には Vibrio harveyi という細菌が含まれており、これが発光の原因だという仮説が立てられた。
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1980年に米海軍が目撃した際の記録には、ほかの細菌による生物発光と同様、ミルキー・シーは「暗闇で光るプラスチックの星のように」安定して均一に光ると書かれている。
渦鞭毛藻(うずべんもうそう)などプランクトンの一般的な生物発光と異なるが、文献によれば、両方が同時に起きることもあるようだ。
1974年の航海でミルキー・シーを通過した船の乗組員は「水中に生物発光の明るい斑点が現れ続けた」と記録している。
ミルキー・シーの目撃者は、海が妙に穏やかだったと報告する傾向にある。ある船長は、海面が「とても濃密に見え」、船が「溶けた鉛の中を突き進んでいる」ような感じがしたと表現している。
これは錯覚かもしれないし、真実が含まれているかもしれない。
1985年にミルキー・シーの水を採取した調査船は、発光する細菌とともに、「海を穏やかにする粘液を分泌する」藻類を発見したとハドソン氏は述べている。
ミルキー・シーはあまりに珍しく、その研究はほぼ不可能だ。科学者が「船を同じ場所に停泊させ、希望と祈りを込めてじっと待つ」ことはできないとハドソン氏は言う。
唯一知られている写真は、2019年にインドネシアのすぐ南を航行していたプライベートヨットが撮影したものだ。乗組員は、ミラー氏が学術誌「Scientific Reports」に発表した2021年の論文を読むまで、自分たちが何を目にしたかを知らなかった。
「これを目撃するには強運が必要です」と英プリマス大学でプランクトンの生態を研究するアビゲイル・マクオーターズ・ゴロップ氏は言う。
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この現象はとても広範囲に及ぶことが判明した。
「ミルキー・シーは10万平方キロに達することもあり、何カ月も続くことがあります」とハドソン氏は言う。
ハドソン氏らのデータベースによれば、ミルキー・シーは通常、1万平方キロに及ぶ。ただし、人工衛星にとっても、人にとっても、大きなミルキー・シーは目立つため、データが偏っている可能性はある。「面積が大きいほど、そこを船で通過する可能性は高くなります」とハドソン氏は述べている。
データベースによれば、ミルキー・シーは主にインド洋北西部とインド洋と太平洋の間にある熱帯の海域「海洋大陸」で起きているようだ。
世界規模の気候パターンがミルキー・シーの発生に何らかの役割を果たしている可能性もわかった。
夏には「ラニーニャ現象の後、予想より多くのミルキー・シーが発生します」とハドソン氏は説明する。冬には、インド洋の西部で海水温が高くなる時期に、より多くのミルキー・シーが発生する。
ミルキー・シーはモンスーンの強さと関連している可能性もある。強いモンスーンが湧昇流を引き起こし、深海から栄養豊富な水が湧き上がると、食物連鎖の「爆発的増加」が起きるとハドソン氏は説明する。
データーベースを使って、これらの現象の複雑な相互作用が明らかになれば、ミルキー・シーの予測、さらにはサンプリングさえも可能になるかもしれない。
現在のところ、ミルキー・シーは依然として謎に包まれている。「まだ十分に理解していないため、どれほど重要なのかさえわかりません」とハドソン氏は話す。
この珍しい現象の増加は、海の健康状態が悪いことを示唆している可能性さえある。「私たちがミルキー・シーの原因と考えている細菌は、魚を死滅させる種として知られています」とハドソン氏は言う。
もしこれが事実であれば、ミルキー・シーが増えたとき、世界中の漁業や経済が打撃を受けるかもしれない。ハドソン氏は次のように述べている。「海はよく目立つ形で警告を発しているのです」