タイタニック号発見から40年の歴史、傷む船体から悲惨な事故まで

  • 2025年4月14日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

タイタニック号発見から40年の歴史、傷む船体から悲惨な事故まで

 1997年公開のジェームズ・キャメロン監督による映画『タイタニック』の名場面のひとつは、主演のレオナルド・ディカプリオが船首に立ち、「世界は俺のものだ」と叫ぶシーンだろう。

 しかし、米RMSタイタニック社が2024年8月に公開した新たな写真では、本物のタイタニック号の船首の手すりが幅約4.5メートルにわたって崩れ落ちている様子が見て取れる。これは、この歴史的な沈没船の重要な節目となった。

 1912年4月15日の未明にタイタニック号が北大西洋の冷たい海の底に沈んで以来、この悲劇は常に世間の関心を集め続けてきた。氷山との衝突したタイタニック号の乗客乗員2200名のうち、およそ1500名が命を落とした。

 この歴史的な災害遺産が発見されたのは1985年。以来、沈没したタイタニック号の保存をめぐり、数々のドラマが繰り広げられてきた。その経緯を以下にまとめる。

1985年:沈没したタイタニック号を発見

 タイタニック号の残骸がずっと発見されなかったのは、誰も見つけようとしなかったためではない。1914年には、ある建築家が電磁石を使って沈没船を引き揚げようと提案した。1950年代、60年代、70年代にもさまざまな提案がなされたが、いずれも失敗するか、実現には至らなかった。

 1985年9月1日、米国の海洋学者ロバート・バラード氏率いる調査チームが、ついにタイタニック号のボイラーのひとつを見つけ、それをきっかけに本体の発見を成し遂げた。

 このニュースは世界中で大きく報道された。しかし、バラード氏がカナダのニューファンドランド島南東の国際水域で沈没船を発見するに至った真の経緯は、長い間秘密にされていた。

 現在ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー・アット・ラージ(協会付き研究者)として活動しているバラード氏によると、冷戦のさなかだった当時、氏は沈没した米国の原子力潜水艦2隻について調査する極秘任務を遂行していた。タイタニック号の捜索はその任務に含まれていなかったものの、バラード氏は海軍に対し、時間があればタイタニック号の残骸を探したいと伝えていた。

「海軍はわたしがタイタニック号を見つけるとはまるで思っていませんでした。ですから、実際に残骸が見つかって大きく報道されると、ひどく神経をとがらせるようになったんです」。この任務についてのナショナル ジオグラフィック誌の取材に対し、バラード氏はそう述べている。「しかし、世間の人々はタイタニック号の伝説に夢中になっており、海軍の関与に気づかれることはありませんでした」

次ページ:タイタニック号の「引き揚げ」開始

1987〜97年:タイタニック号の「引き揚げ」開始

 タイタニック号の沈没直後、救助隊は海面に浮かんでいた犠牲者の遺体や所持品を回収し、遺族の元へ届けた。しかし、1985年に沈没した本体が発見されたことで、遺物の「引き揚げ」を望む人々が現れた。こうした行為については長年にわたり、歴史的な墓地の略奪に等しいとの声が上がっている。

 1987年、米国のタイタニック・ベンチャーズ社(RMSタイタニック社の前身)は、沈没したタイタニック号から約1800点の遺物を回収した。物議を醸したこの遠征を実行するにあたり、同社は1985年のバラード氏の遠征で米国海軍を支援したフランス海洋開発研究所(IFREMER)と手を組んだ。フランス政府はその後、タイタニック・ベンチャーズ社をこれらの遺物の所有者として認定している。

 1990年代初頭、米国はタイタニック・ベンチャーズ社に対し、タイタニック号の独占的な引き揚げ権を認めた。RMSタイタニック社はこの権利を使って、93年、94年、96年にも遠征を行い、追加で約2200点の遺物を回収した。

 しかし同時に、同社はそれによってさらに厳しい批判にさらされることとなった。1997年には、国際海事博物館会議が、米テネシー州メンフィスで行われた遺物の展示を非難し、RMSタイタニック社はタイタニック号の残骸と遺物を適切に保存していないと訴えた。

 映画『タイタニック』が公開されたのは、同年末のことだった。海に沈んだタイタニック号に対する関心はいっそう高まり、観光客が法外な金額を支払って残骸の見物に出かけるようになった。

1998年から2012年:タイタニック観光の拡大

 1998年、英国のディープ・オーシャン・エクスペディションズ社が、潜水艇でタイタニック号を見学するツアーのチケットを3万2500ドルで売り出した。これを阻止するために、RMSタイタニック社は同社を提訴し、われわれが独占的な引き揚げ権を有しているのだから、他社は見学ツアーを実施することはできないと主張した。

 裁判所はRMSタイタニック社側の主張を認めたものの、控訴裁判所が1999年にこの判決を覆し、ディープ・オーシャン社によるツアー実施を許可した。

 沈没船の現場を訪れる人たちは、このほかにも存在した。

 2001年には、米国人カップルが、海底に沈むタイタニック号の甲板付近に停止させたロシアの調査船の中で結婚式を挙げた。2002年には、米国のブルーフィッシュ社が、タイタニック号を目指して潜る深海ダイビングツアーの提供を始めている。ディープ・オーシャン社は、タイタニック観光の中止を求める保護活動家の声が高まる中、沈没事故から100年目にあたる2012年に最後のツアーを実施した。

「わたしは、人々がタイタニック号を見に行くのは構わないと思っています。ただし、タイタニック号を傷つける行為には強く反対します」。2012年、ナショナル ジオグラフィック誌のインタビューにおいて、バラード氏はそう述べている。

「われわれはあらゆる損傷の動かぬ証拠を押さえています。潜水艇が訪れ始める前のタイタニック号のモザイク写真を持っているので、(現在の)船体を見れば、どこに潜水艇が着床したかわかります。船の見張り台も損傷で失われました」

次ページ:詳しい考古学的マッピングとデジタルレプリカ

2010年:詳細な考古学的マッピング

 2010年、政府機関と民間団体(RMSタイタニック社、米ウッズホール海洋研究所など)からなるグループが、タイタニック号の詳しい考古学的地図を作成する作業に取りかかった。劣化の状況を分析し、今後船体がどの程度持ちこたえられるかを判断するためだ。自然の要因(微生物群の形成など)と非自然の要因(潜水艇による見張り台の破壊など)の両方により、すでに現場には目に見える変化が生じていた。

「1〜2年で船首が崩壊すると考えている人もいます」。まだ船首の手すりが崩壊していなかった2010年、ウッズホール海洋研究所所長のビル・ラング氏は、ナショナル ジオグラフィック誌の取材に対しそう述べている。「一方で、今後数百年はもつだろうと言う人もいます」

2012年:ユネスコによる保護

 2012年4月、沈没事故から100年が経過し、タイタニック号の残骸はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の条約による保護対象となった。おかげで、2001年の水中文化遺産条約に批准した国々が、タイタニック号の残骸の略奪、売却、破壊を禁じる法律を制定できるようになった。また、この条約に違反する船舶に対し、自国の港に入るのを拒否することも可能となった。

 しかし、米国、英国、カナダはこの条約に批准していなかったため、タイタニック号の観光利用や引き揚げ、その遺物の所有権をめぐる議論に決着はつかなかった。

2016年:タイタニック号の遺物の行方

 2016年、RMSタイタニック社が破産を申請し、8回の遠征で回収された約5500点の遺物の行方が危ぶまれる事態が発生した。複数の博物館が遺物を買い取って一般に公開することを試みたものの、同社は2018年、これを1950万ドルでヘッジファンドに売却している。

2023年:タイタニック観光が生んだ悲劇

 タイタニック号の残骸への影響が懸念される中、観光ツアーは継続されていた。最も悲惨な事例として知られているのが、2023年6月に実施されたオーシャンゲート・エクスペディションズ社のツアーだ。このツアーでは潜水艇が爆縮し、乗船していた5人全員が死亡した。

 これだけの事故があったあとでも、タイタニック観光に興味を惹かれる人は存在し、ほぼ1年後には米国の大富豪が、自身の潜水艇で現場を訪れる計画を発表している。

2023年:デジタルレプリカ

 同じく2023年、科学者らは、タイタニック号の残骸を極めて詳細に再現した新たなデジタルレプリカを発表した。1985年の発見以降、タイタニック号はすでにかなり劣化が進んでいるが、このデジタルレプリカは早くも、船首の手すりをはじめ、本物の沈没船で失われてしまった部分の保存に貢献している。

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