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家事よ永遠なれ  vol.35「消えない家事」 山崎ナオコーラのエッセイ

  • 2020年11月10日
  • レタスクラブニュース



雑誌『レタスクラブ』で連載中の山崎ナオコーラさんのエッセイ「消えない家事」 をレタスクラブニュースでも特別公開!

家事に仕事に子育てに大忙しの毎日。実体験に基づいた言葉で語られるからこその共感や、生活を楽しむためのヒントが隠されています。

今回は、vol.35をお届けします。連載最終回です。





 最近、ネアンデルタール人にはまっている。

 ネアンデルタール人だけでなく、太古の人類に興味がある。
アルディピテクス・ラミダスのときから家族があったらしい、だとか、ホモ・エレクトスのときから助け合いが始まったらしい、だとか、人類の起源を知るとわくわくするし、人類のこれからを予想する手がかりにもなりそうだ。

 今は人新世(アントロポセン)と呼ばれる時代で、人類が地球に大きな影響を与えて環境が変わってきているから、近い将来、他の生物もだが、人類の存続も危うくなるらしい。
絶滅したネアンデルタール人のように、ホモ・サピエンスもいつか最後のひとりになって、世界から消えるのか? あるいは、何か新しい道を見つけるのか?

 ……と書くと、未来の子どものために暮らしを考え直そうだとか、環境問題に立ち向かおうとか前向きなことを言い始めそうだが、そんな大きなことはなかなか考えられず、私はただ単に、今が好きじゃなくて、目の前の育児や人間関係について悩むのが嫌だから、遠い昔のことだの、ずっと先の未来のことだのに逃避しているだけだ。

 とにかく、大昔に生きていた人類についてのグラビアや図鑑なんかを見て、日々ニヤニヤしている。

 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは別種の人類なのだが、共存していた時代もあるという。
ネアンデルタール人の方が脳が大きくて知的で、且つ、がっしりした体つきで体力もあった。
一方、ホモ・サピエンスはほっそりしており、知恵があるといってもネアンデルタール人より優っていたわけではないらしい。
ネアンデルタール人だって頭が良くて、言語を操り、道具を使っていた。
だが、結局のところ、ネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスは生き残った。

 その差はどこでできたのか? 
ネアンデルタール人は家族単位でしか生活を営んでいなかったが、ホモ・サピエンスはときには百五十人ほどで共同生活をして、社会のようなものを形成し始めた。
その集団力が決め手となったようだ(諸説あり)。
ホモ・サピエンスが社会を築けた理由は、想像力によるという。
洞窟に壁画を描いたり、目に見えないものを想像したりして、現実とは違う世界にみんなで一緒に行き、一体感を得たらしい。

 太古から、人類は家事をしてきた。

 家事というものは、知恵だとか道具だとかと結びつけられがちだ。
「知恵や道具を使って、効率的に作業を済ませよう」。
そんな話をよく聞く。

 ただ、そういうことは、ネアンデルタール人もやっていた。

 ホモ・サピエンスとして未来を見るのなら、効率を追い求めるよりも、ゆっくり想像した方が、「らしい」のかもしれない。

 今後の人類は、AIとの競争も始めるだろう。
AIも想像力をいつかは手に入れるのかもしれないが、今のところ機械が想像するのは難しそうだし、AI同士で連帯することもなさそうだ。

 だから、家事をしながら考えごとをするというのは、決して「こうやれば早いよね」だとか、「お酢で汚れを取ろう」だとかいうものではなくて、「皿洗いの水は神様みたいに美しい」なんて考えていたら、「あ、それな。私もそう思っていたんだよ」なんて他の人から言われて、そのあと、ツイッターで多くの人がそんな感じのことをつぶやいているのも見かけて、世界中の人が皿洗いをしながら「あ、美しいな」って思っているんだな、と個人と世界が繋がる、そんな感覚のことだ。
人間っぽいじゃないですか。


 家事よ永遠なれ。

 今回でこの連載は終わります。
『レタスクラブ』で書かせてもらえて楽しかったです。
みなさんの家事がこれからもキラキラしたものでありますように、陰ながら応援しております。

<レタスクラブ’20 11月号より>
文=山崎ナオコーラ イラスト=ちえちひろ デザイン/monostore

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