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Vol.90 学生との関わりのなかであらためて感じること

  • 2012年2月2日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回のこの連載で「(AWSの)アカペラ関連のプロジェクトについては、学生を中心としたスタッフの皆が自分達で考えて進めていけるような環境づくりを、焦らず、でも出来るだけ早い時期を目指して作っていきます」と書きましたが、AWSの活動のなかで学生たちと接していて感じることについて、今回は書いてみたいと思います。

考える  前回、“考える”ということをしなくても済むという状況の甘美な(!)魅力について書きましたが、そういう現実を踏まえながら学生たちに“考える”ことを求めていくことの難しさを、今ひしひしと感じています。実際、AWSの学生に対して、こちらから「こういうことをすると、面白いかもね」と言うと、それに対する反応はすごく良かったりするんだけれど、でも「じゃあ、みんなは何がしたいの?」と聞くと反応が弱くなるという印象があって、自分が関わる事柄についてそういうふうに考えるクセがあまりついていないような感じなんですよね。ただ、例えばいろんな人がいろんなことを成し遂げたという情報がまさに飛び交ってる現代においては、あまり失敗が許される雰囲気もないし、自分から何か提案して実行することにどうしても慎重になってしまうのかもしれません。

 それから、例えば大学の先輩が「こういうイベントを成功させました」というニュースを知ったときに、それはアイデアだけで成功したように受けとめてることが多いようです。言うまでもなく、その先輩は成功に至るまでにきっといろんな失敗もしただろうし、仲間を増やす努力も重ねただろうし、目に見えないところでいっぱいいろんなトライ&エラーを重ねてるはずなんですよね。でも、そういうことって成功した後でかろうじて見えてくることだから、ただ結果だけを見て“ああいうふうになりたい!”と考えるっていう。まあ、それは人間の本質に属する部分だから悪いことだとは言わないですが…。

 そういうことも踏まえて僕にできることは何かと考えると、やっぱりこの連載の一番最初にも書きましたが、「トリガーを引く」ということなんだろうなとあらためて思います。「やっていいんだよ。で、失敗してもいいんだよ」ということを保証してあげて、その子がその子なりに何かを得ることになるように見守るということですね。

 すっかり現代の英雄のように言われているスティーブ・ジョブズだって、あるいはマイクロソフトのビル・ゲイツだって、元からオリジナルなビジョンを描ける人だったわけじゃないと思うんです。人から見れば変人だと思われるくらい、何かにこだわりがあって、そのこだわりで突破したということは事実だと思うんですけど。で、そういう突出したこだわりを持たずに、現状の教育システムのなかで普通に成長してきた普通の若者たちが、どうやって自分のやりたいことを形にしていくのかということにいまはちょうど向き合っているというのがAWSの現状だと思います。

 仮に、僕が「AWSを前に進めるために、これをちゃんとやりなさい」と指示してやらせれば、現状の何倍ものスピードで物事は進むと思います。でも、それでは意味が無いと僕は思うし、今の時点でもニーズはたくさんあるからそれに応えたいとも思うけど、でもここで急ぐと続かないと思うんです。そういう意味では、僕も耐えてる時期ではあるんです(笑)。みんなが試行錯誤しながら自分の気持ちと向き合って、本当に何をやりたいのかみつけるのを待ってるんですよ。

 昨年末にAWSのミーティングがあって、そこで僕が話したのは「AWSは20年以上続けることを考えてやっている。続けることが目的ではないけれども、続けないと意味が無いことをやっている。で、君たちはだいたいあと3年くらいで学生ではなくなるから、そうなった後も続けられるような形を考えながらやっていかないといけないよね」ということです。学生時代は、“学生時代って永遠に続くものだ”みたいな感覚もあるから、社会人になってからの生活はイメージしにくいですよね。でも、そういうふうに社会人としての観点でそれぞれにできることを一緒に考えていこうという話をしてるんです。

 AWSの活動は僕にとっても試行錯誤の連続ですが、その活動ぶりについてはこの連載でもどんどん紹介していきたいと思っています。


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