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Vol.80 この1ヶ月半の間に被災地で見聞きしてきたこと その2

  • 2011年9月1日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回に続いて、この1ヶ月半の間に被災地を訪れて、見聞きしたことから僕なりに感じたこと、考えていることを書いていきます。

 被災地に何度か入るなかで、いろいろな課題が見えてきているんですが、そのなかでほとんど報道されてはいないけれど、すごく重要というか、深刻な問題なんじゃないかと思うのがボランティア・センターで働いている人たちについての問題です。多くの人は、ボランティア・センターではたらいているのはみんな職員だと思ってるみたいなんですが、実際は半分くらいが個人の立場で関わっています。しかも、一銭ももらわずに貯金を取り崩したりしながら働いて、1日も休んでいません。日々のことに追われていて、「わたし、お金もらってません」と言うヒマもないっていう。でも、誰もその状況をケアできないんです。なぜなら、みんながみんなカツカツでやってるから。で、気がつくと、ある人はもう貯金もなくなってきてたりして、でも「その人がいなくなったら大変ですよ」みたいなことがたくさんあるそうです。

 そういう話を聞いていたから、いわき磐城のボランティア・センターに行ったときに「(そういう事情で働いている方達のために)できるだけ力になりたい」と伝えたら、対応してくれた方が「ありがとうございます」といったあと喋れなくなってしまったんです。びっくりして、「どうしたんですか?」と聞いたら、必死に涙をこらえながら「そういうことをわかってくれている人がいるだけでうれしい」と。みんな、精神的にもギリギリのところで生きてるんだなあって、あらためて思いました。

 直接的に、地震や津波が原因で、また原発事故が原因で、非常に過酷な状況に追い込まれた人たちがたくさんいることはみんなよくわかっているわけですけど、でもそういう人たちだけじゃなくて、そういう人たちを支えようとしてすべて投げ打っている人がいることも忘れてはいけないですよね。そこで、そういう人たちを盲目的に賞賛するのもどうかとは思うんですが、かと言って評価しないのはおかしいですよね。だって、そういう人たちがいるから、なんとか今ボランティアの業務がまわってるんだから。で、そういう重要な位置にいる人が具体的に困ってるんだから。

 で、僕のなかで考え方の軸みたいなことがひとつはっきりしてきたんですが、重要なのは困ってるかどうかだと思うんです。本人が気づいてるか気づいてないかにかかわらず、困ってるんだったら助けようぜっていうことだ、と。その人のことを僕が好きか嫌いかという問題じゃないんです。その人は困ってる、と思うかどうかなんですよね。動機として“好きだから助けたい”というのはいいとは思うんですけど、でも“嫌いだから助けたくない”はいちばん危ないと思うんです。だって、コミュニティがまるごと被災したわけだから、そのなかには好きなヤツも嫌いなヤツもいますよね。いいヤツもいれば悪いヤツもいるんです。いろんな人がいるのがコミュニティであって、その全体が被災したわけだから、そのコミュニティを助けようと思ったら、そのなかには嫌いな人もいるんですよ。その事実をまず受け入れないといけないんですよね。ただ、だからと言って、「とにかくあのあたりの人を助けましょう」みたいな漠然とした向き合い方ではなくて、ちゃんと目を見て話せる相手とのコミュニケーションという形にしないと意味がないのかなというのが僕の実感です。その上で、えこひいきだなんだと言われようと、「知り合った人が困ってるから、その人を助けます」ということでいいと思うんですよね。

 次回は、被災地支援について、これから何かしようと思っている方に向けて、僕なりの考えを書いてみたいと思います。

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