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Vol.5 素晴らしい花火大会の感動が台無しになってしまったのは?

  • 2008年9月11日

みなさん、こんにちは。北山陽一です。

花火今回は、先月終わったツアーのオフ日に遭遇した出来事を紹介することから始めたいんですが、友だちに誘ってもらって、宮島の花火大会にゴスペラーズのツアーのバンド・メンバー何人かと一緒に行ったんです。
で、花火大会自体は花火も本当にきれいだったし用意していただいた席もすごくいい場所で思いきり楽しませていただいたんですが、終わった後の会場の光景を目の当たりにしてびっくりしてしまいました。
使い捨てのビニールシートみたいなのがズラーッとそのまま残ってるうえに、焼そばを食べた残りとかビールの空き缶とか、そういうものがたくさんあって、ゴミの花道みたいになってるんです。
案内してくださった地元の人には「翌日に有志が集まって片付けるので、気にしなくていいですよ」って言われたんですけど、もう歩いて通れないくらいのゴミの山です。フェリーに乗って広島に帰るまでなんてすぐなんだから、ビールの空き缶くらい持って帰ればいいじゃないかって思うんだけど、どうもそこに来ていた人たちはそういうふうには考えなかったみたいですね。
そういう状況に対して、「明日みんなで片付ければいいや」っていうたくましさを見せてくれた地元の人たちに救われたところもありましたけど、それにしても僕にはそういうものを残していく人たちの気持ちがまったく理解できないので、どうすればいいのかっていう対策もまったく考えられないんですよ。だから、すごいショックだったし、どう思いますか?っていうことをいろんな人にすごく聞きたいと思ったんですよね。

“こういうことをみっともないと思わないの?”っていう僕のなかのモヤモヤをすっきりさせる方法がわかれば、先月から話題にしているゴミの分別の問題にしても一般の人たちへのいいPRの方法を思いつくことがあるだろうし、分別の方法とか仕組みにいろんなバリエーションがあったとしても、人としてちゃんと生きようよっていうところで考えられるんじゃないかと思うんです。

地元の方の話によると、その花火大会ではゴミは各自で持って帰ってもらうようにあえてゴミ箱はおかないことにしたんだそうで、その対応がベストなのかはむずかしいところがあるかもしれません。
実際、ゴミの分別の問題に関わるいろんな場面で、良かれと思って間違ったルールが決められているケースというのはたくさんあると思うんです。それはそれでしょうがないことだし、それを変えるにはやっぱりそれなりの痛みが必要なんだろうし、そのルールに対して具体的な不満を持っている人間が立ち上がらないと変わっていかないわけですよね。
そういうなかで、こうした社会のルールに向き合うことのストレスをなくしていくための取り組みみたいなこともひとつのエコなのかな、と思ったりするんです。とりあえず、この連載のようにエコの話をぼんやり考えていくなかには、そういうことも入るのかなあっていう。
要は、“日常生活のなかにちょっとした幸せをみつけていきましょう”ということなのかもしれませんが、捉え方ひとつでその意味合いが全然変わってくることがあるなかで、たとえばこのゴミの分別というルールを僕自身がどういうふうに取り入れていけばいいのかなって考えるわけです。
 
こうして、僕の“思考実験”がまた延々と続いていくわけですが(笑)、次回は「北山塾」のミーティングで知ったユニークなゴミの分別の取り組みの話を紹介したいと思います。

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