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Vol.2 「ぼんやり学会」って名づけた意味とは…

  • 2008年8月7日

みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

前回は、僕が考える「環境」と最近言われているエコや環境という言葉とのギャップの具合をまずは見定めたいと書きましたが、そのことについての、いまの時点での印象はというと、意図的に大事な部分が省略されてるなっていう感じです。よくわかっている人には本来の意味が伝わるんだけれど、知らない人にはすごくヒステリックに見えるやり方というか。特に日本の場合は、何でもすぐヒステリックになったりブームになったり、いわゆる熱くなりやすい体質があるじゃないですか。そういう部分を上手く利用して環境とかエコという言葉をブランド化することで絶対に抵抗できないことのようにしている感じがするんですよ。「こうするべき」と言う場合に、その根拠の部分を意図的に隠したとしても突っ込まれないようにしているというか。だから、僕としては“ちょっと待て、それは本当か?”と言いたくなることが少なくないんです。

というわけで、連載タイトルの話になりますが、まず「学会」というと専門家がむずかしいことを話し合うシーンを思い浮かべるかもしれません。でも、この学会はむしろその逆です。だって、「ぼんやり学会」ですから(笑)。環境の専門家ではない僕がまず思うところを率直に書いていきます。それに対して、いろいろな立場の、いろいろな意見が飛び交うような連載にしたいと思ってるんです。

ぼんやり」と名づけたのにはもうひとつ理由があって、たとえば、「こうあるべきです」と言われて納得したときに、そうなろうと思ってがんばるにしても、あまりストイックになり過ぎないで、もう少しぼんやりいきましょう、みたいな。あるいは、自分が一生懸命やってるのと違うことをやってる人がいたときに、腹が立つのもわからないわけじゃないけど、そこでももうちょっとぼんやりしようよっていう。最近のエコにまつわる話では、どうもキーッ!てなってることが多いように思うんですが、もうちょっとぼんやりした感じでいいんじゃないのって思うんです。そうすることで、もっと幸せに共存できるじゃんって。

これは音楽の良さを伝える場合も同じなんですが、押していくばかりだと相手は引いていくけど、ぼんやりすることで相手を自分のほうに引き込めるとことがあるんですよね。

ところで、大学時代の先生がよく言ってたんですけど、「知ってる人や持ってる人は、教えてあげるんじゃなくてトリガー(引き金)を引いてあげればいいんだ」って。僕自身もいろいろな人にトリガーを引かれているし、上手いトリガーの引き方ができる人間になりたいなと思ってて、環境についてももっとたくさんトリガーを引く人が出てくればいいと思うんです。同じトリガーでも、誰が引くかによって、それに引かれる人の層が違ってくるだろうから。で、この連載でも“北山があんなふうにこのトリガーを引けるんだったら、僕はこんなふうにこのトリガーを引けるかも”って思う人を増やすことができればいいなと思っています。

次回は、ゴミの分別について書こうと思っています。ちょうどツアーも始まったので、各地の分別事情も探ってみます。お楽しみに。


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