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Vol.154 常識と僕の距離の保ち方はこんな感じです。

  • 2014年9月4日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 さて、今回のテーマは常識との付き合い方です。「ポイントはどういう距離感で付き合うかということ」というのが僕の考えなんです。だからよく言われるような「常識に頼るな! 常識は否定しろ!」というスタンスとは違います。思うんですけど、人は一人では生きていけないから、人に助けてもらったり自分のことを受け入れてもらったりしなければならないわけで、そういう場合に“常識”はけっこう役に立つんですよね(笑)。つまり、常識とは自分がやりたいこと、あるいは今やっていることや考え方を、より一般的に理解してもらったり認めてもらったりするためのツールなんだと思えばいいと思うんです。つまり、ツールなんだから自分が使おうと思うときに使うものであって、例えば「普通そうするよね」というような言い方で常識を圧力として使う人に屈してしまうと、それはつまり自分を常識に寄せることになってしまうから、僕としてはその無意味さを説きたいわけなんです。

 30年以上の寿命を持つ常識はほとんどないけれど、あなた自身は30年以上生きますよね、と。そういうあなたが、常識のど真ん中で生きていきたいと思えば、常識の変化にずっと気を配っていないといけないということになります。でも、本当はというか、自然な有り様というのは、常識的であろうと非常識であろうと、とにかく自分というものがあって、というか自分というものを作ってみて、それが自分としてOKかどうか?ということなんですよね。“普通どうなんだろう?”というものさしではなくて、自分というものさしに当てて考えてみましょうよっていう。その上で、自分で考えて自分で構築する「自分自身」があったときに、それが常識と一致している部分については自然に振る舞っていればいいと思うんです。で、一致していない部分についても、その隔たり具合というか、どんなふうに一致していないのかという、そのようすがよくわかっていれば、まったく問題ないと思うんですよ。そうすれば、常識の範囲から外れている自分を上手いこと常識的な社会に当てはめていく事ができると思いませんか?

常識をダウンロード ツールだと思ってしまえば、それはもうアップデートされたと知った時点で新しいフォーマットをダウンロードしてインストールすればいいだけの話になるんです。逆に、常識というものはネットにつながらないハードウェアでROMに書き込んであるようなオペレーティング・システムだと思っている人が多いから、それを土台にして、その上に自分というシステムを作らないといけないと思い込んでしまいがちなんです。

 言ってしまえば、常識というのはアプリケーションなんですよ。基本OSではないんです。基本OSはもともと自分自身のなかにあって、必要に応じて常識というアプリケーションを立ち上げたりする、と。「北山は非常識だから、そういうふうに考えるんだ」という声も聞こえてきそうですが(笑)、けっこうこれはみんなに納得してもらえると思ってるんですけど。というか、これくらいの捉え方が多分ラクだと思うんですけどね。

 そう言えば、わがゴスペラーズはデビュー20周年というタイミングで、それこそ世の常識に反して、わざわざオリジナル・アルバムを作り、今の自分たちを聴いてもらうことにしました。その名も『The Gospellers Now』というニュー・アルバムを9月17日にリリースします。活動を進めていくなかで、その都度更新された最新バージョンをみんなに楽しんでもらうというのが、僕らの常識ならぬ、王道ではないかと思っています。リリース後には全国ツアーもスタートさせます。ぜひ、どこかのコンサート会場でお会いしましょう。

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