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Vol.110 “それでも、やるんだよ“は独りよがりな話ではなくて、相手に通じてこその話

  • 2012年11月15日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 10月18日からスタートした「質問大募集企画」なんですが、すでにいろいろと面白い質問が寄せられているようです。僕も楽しみにしているのですが、ひき続き、募集しています。この連載の内容に関することならどんな質問でもOKですので、どんどん送ってください。

 さて、前回「人間が持っている才能のなかで最も大切なのは、好きであり続けること、やりたいことをやろうとするモチベーションをキープし続けることなんじゃないか」と、僕は書きました。が、ちょっとややこしいのは、というか僕の話はしばしばややこしいのですが(笑)、そういう才能を誰もが持つべきだとは僕は思っていないんです。ただ、“これはどうしてもやりたい”とか“あれは絶対好き”とか、そういうふうに思うものは誰もがなにがしか持ってると思うんです。だから、大変な道のりだとわかっても“それでも、やるんだよ”というのは、誰もが抱える可能性のあるテーマだと思うわけです。

 で、そこでいちばん大事というか、忘れないでほしいのは、“それでも、やるんだよ”ということの始まりにあるのは“これはどうしてもやりたい”とか“あれは絶対好き”という、自分自身の欲望だということです。

 先日、Facebookで知ったある記事を読んでいて、“これを書いたのは俺なんじゃないか”と思ったんですが(笑)、その記事の要旨は「好きなことをやればいいんだ。年をとったら、努力はするな」ということだったんですよね。
 僕自身は、努力したことはないと思ってるんです。例えば、すごく卑近な例ですが、僕の場合、“ああ、酒が飲みてえな”と思っても、歌うことに悪い影響があるからそれは控える、ということがあります。そういう話をすると、たいていの人は「ストレスがたまりませんか」みたいなことを言って心配してくれます。確かに、それは脳とのやりとりという意味でとらえれば「我慢」ということになるかもしれませんが、でも僕の人生のなかでの意味合いということで考えれば「我慢」だとは僕は全然思わないんです。なぜかと言えば、その刹那的な衝動を抑えることで得られるもののほうが、その衝動を実行して得られるものよりもはるかに大きいことを知っているから。だから、僕がお酒を飲まないことは努力じゃないんです。

 と、ここまで書いておいて、しかしじつは僕もひとつ努力することがあったのを思い出しました。僕は昔、相手の言葉の裏に隠れているものを探そうとする努力を全然してなくて、再びすごく卑近な例ですが、例えばある女の子に「付き合いませんか」と言ったときに、「ゴメンナサイ」と言われたら、機械的にその言葉通り受け取ってしまうタイプでした。「いま、俺のカノジョになってくれ」と言って、「今は駄目」と言われたら、駄目なんだと思ってしまうっていう(笑)。20代前半の頃はそういう感じだったんですけど、いろいろ思い返してみると、全然駄目なわけじゃないんですよね。いきなり言われたんで、びっくりしてるだけとか。こっちはずっと思ってたことだからいきなりなつもりはまったくないんだけど、でもそれは受け取る側になって考えるということが全然できてなかったということなんですよね。そういう苦い経験を重ね(笑)、さすがに今はそういう相手の真意を汲み取る努力をすることがあります。まあ、いまでも得意じゃないんですけど。

“それでも、やるんだよ”という気持ちをこめて  問題は、というかこれまた忘れないでほしいのは、こちらがいくら思いを強く持って発信し続けても、受け取る側の体勢が整ってなかったり、そもそも受け取るつもりがなくて、うまくコミュニケートできないということはよくあることなんだということです。それは結局、“コミュニケーションって何なんだろう?”という話にもなるわけですが、前回の“それでも、やるんだよ”話の続きとして言えば、やりたいことをやった結果はどう受け止められてもいいというのではなくて、自分が発信するものがどの程度ちゃんと相手に届くのかということについてどれだけ責任を持ってがんばれるかということでもあると思うんです。それは、僕の本業のエンターテイメントの世界の話として考えればわかりやすいと思いますが、でもじつは社会貢献活動とか、あるいは普通のビジネスの世界でも同じようなことが言えると思うんですが、いかがでしょうか。


※北山さんへ多数のご質問ありがとうございました!
回答につきましては、今後ぼんやり学会の記事内にて回答させていただく予定です。



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