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Vol.105 エコについて考えると、社会との関わりについて考えることを避けては通れない。

  • 2012年9月6日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 この連載は言うまでもなくエコをテーマにしているわけですが、エコの問題、つまり環境問題が社会問題であるという意味において、エコもまた政治とは無縁ではいられません。だからこそ、ここのところの政治のていたらくに対して、厳しい批判の声をあげたくなるのは僕も同感だし、その批判の内容についても共感することは少なくありません。でも、その一方で首をひねりたくなるような意見に出くわすこともしばしばあります。

 とりあえず、いまは誰でも情報はすごくたくさん持っていますよね。例えば僕の地元の青森県八戸市では、僕が高校生だった頃には、大人たちが真剣に議論しようとしても情報が限られているからどうしようもないというようなことが少なからずあったように感じています。でも、今ならどこに住んでいても、少し努力すればほとんどの問題について一定の結論めいたものにたどり着くことができるはずです。だからこそ、そういう状況のなかでより重要になってくるのは「そこで、あなたはどうしたいのか?」ということなんですよね。ところが、実際にはただいろんな情報を集めてきて、「このルールから外れてるじゃないか」とか「こんなデータだってあるんだぞ」みたいな、反論したり批判したりするためだけに声を上げている人がけっこういます。それでは、物事も、そしてその批判している人自身も前に進むことはできないと思います。

 そういう状況のなかで、この連載を読んでくれているみなさんに伝えたいのは、視覚で言うと、周辺視ということができるようになるのが大事なんじゃないかなということです。それは、僕も含めてなんですけど、何か1点に意識が集中し過ぎることなく、ある1点をしっかり見つめていながらも、その周りをぼんやりと把握し、それによって自分が進みたいところはどこなのかということを理解するということですね。

エコについて考えると、社会との関わりについて考えることを避けては通れない。 環境というのは、極言すれば、鏡だと思うんです。つまり、自分を取り巻くすべてのものがどう見えているかということが自分自身を表していると思うんです。そこに気づいていれば、例えばあなたが“周りの人間はみんな自分に敵意を持っている”と感じている場合には、あなた自身が周りのみんなに対して敵意を持っていると考えられるということですよね。そういうことに気づいていくきっかけになりたいというのも、ぼんやり学会の大きなテーマのひとつなんです。

 僕は以前から、<アカペラ・コーラスというのは聖徳太子が唱えた「和をもって貴しと成す」という考え方が形になったもの>と言ってきたんですけど、つまりアカペラ・コーラスの根底にあるのは「それぞれが、主張したいことを主張した上で、それぞれの距離を見定め違いを認めあって、いっしょに前に進みましょう」という考え方なんですよね。で、その許容性みたいなものが、この国には昔からすごくあったと思うんです。やおよろずの神を崇めるということも含め、物事は一つだけじゃなくていろいろあるというのが前提だったと思うんです。その上で、そのいろいろに違っているみんながいっしょになれるという重力がはたらいていたと思うんですが、その前提になっている「世の中にはいろいろある。その違いを認めよう」という意識が継承されることはなくなっていって、その前提が失われているのに、ひとつになろうという圧力だけがあるのがいまの状況だと思うんです。それをもう一度元に戻すためには、ズレている認識を掘り起こして、確認して、そして許し合うっていう。みんながお互いに「イエス」と言える違いをできるだけたくさん積み上げていくということが大事だと思うんですよね。現在、僕の社会に対する意識はそういう方向に向かっているわけですが、いずれにしても生きていくうえで社会と無関係に暮らしていくことはできないわけで、どういうふうに社会と関係を持つのかということは避けて通れないテーマですよね。だからこそ、この連載でもどんどん外に出て行って、いろんな人といろんな話をしたいと思うわけです。

 また見学取材企画をいろいろと考えています。期待して、お待ち下さい。


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