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Vol.90 子育てと映画

  • 2015年8月20日

 前回に続いて、子育てに関連した作品について取り上げたいと思います。今回は漫画ではなくて映画。「きみはいい子」と「Mommy」という映画を見に行きました。しかもどちらも、苦難に満ちた子育てのストーリーです。

 「きみはいい子」は、中脇初枝さんによる同名のオムニバス小説が原作となっています。児童虐待、ネグレクト(育児放棄)、モンスターペアレント、学級崩壊などなど、現代に渦巻く社会問題がテーマ。映画のなかでも、それぞれ違った環境で子どもに接する大人たちが、たまにすれ違いながら、何かを学んでいきます。

きみはいい子

 新米教師の男性が、言うことを聞かない児童たちと文句ばかりの親たちに悩まされます。その学校の近くに住む認知症のおばあさんは、いつも登下校で通りかかる自閉症の少年とのなにげないやり取りが、日々の小さな楽しみ。同じ街のマンションでは、夫が単身赴任で娘と二人で暮らす妻が、ささいなことで娘に手をあげてしまうのを止められません。

 あるとき、男性教師が生徒たちに「抱きしめられてくること」という宿題を出します。その翌日、宿題をやってきた生徒がそれぞれ抱きしめられた感想を言うシーンがあるのですが、そこだけドキュメント風になっていて、ぐっと惹き付けられました。虐待を続けていた母が、人前でその行為の片鱗を見せてしまい、同じく子育てに奮闘している友人に抱きしめられるシーンも印象的でした。見ている僕も、さりげなくそっと誰かに抱きしめられているような気がして、後半は泣けてきました。

 「きみはいい子」の監督・呉美保さんは、前作「そこのみにて光輝く」がとても心に残ったので、今回も見に行ってみようと思いました。監督は実際にこの映画を撮り終わったあと、男の子を出産したそうです。

 もうひとつの「Mommy」はカナダのフランス語圏の映画。ADHD(注意欠陥多動性症候群)という病気を患っているひとりの青年。ほかの障害に比べ、「ただの乱暴者で、育て方が悪い子」などの誤解を受けやすいので、家族じゅうが辛い経験をすることも多いのだそうです。その青年が施設で問題を起こし、夫を失くしてひとりで暮らす母親が家に引き取って共に生活するようになるのですが、やはり波乱続きの毎日。

Mommy

 青年は普段は純朴で知的ですらあるのですが、一度スイッチが入ってしまうと、攻撃的な性格に変わり手が付けられません。近所に住むのは、精神的ストレスで吃音に悩む休職中の女性教師。その彼女も青年の面倒を見るようになり、それぞれの問題をぶつけ合いながらも、次第に3人で希望を見いだしていきます。しかし、厳しい現実も待っているのですが。

 「Mommy」の監督グザヴィエ・ドランは、26歳ながらすでに5本の映画を制作し、その多くがカンヌやベネチアの映画祭などで大きな賞を受賞している注目の若手。彼は画角を映画ごとに自由自在に変えていくことで有名で、今回はインスタグラムを意識した1:1の正方形にしていました。おそらく登場人物たちが抱える閉塞感を表現しているのですが、事態が明るい展開を迎えた際に、主人公が両手を使って画面の幅を引き延ばし、フルスクリーンに変えてしまうシーンには、思わず息を飲みました。そういった仕掛けも含めて、衝撃的な映画でした。

 問題児じゃない子なんていない、と僕はよく思います。僕の友人たちの子どもと接していると、本当にいろんな性格をしているなぁ、と。のんびり屋さんの子や、すごく人見知りで恥ずかしがり屋な子、まったく落ち着かなくて常に何かを破壊したり、ストレスを発散しようと暴れ回る子。それを見守るお父さんやお母さんの心は、どんな景色よりも果てしなく広いのです。

 大人と子どもを結ぶ、目には見えない、ときには痛々しいほど不格好な愛。たとえば、しゃがんで距離を縮めて抱きしめること。すれ違いや問題だらけでも、僕たちは体当たりで向かって行くほかないと思えた、ふたつの映画でした。




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