サイト内
ウェブ

Vol.87 芹沢銈介美術館

  • 2015年7月9日

 日本を代表する染色工芸家で、人間国宝にもなっている芹沢銈(けい)介という人物がいます。若い人のあいだで民芸への関心が高まっている今、時代を超えたグラフィカルなアートに魅了され、注目する人が増えてきているのです。最近も全国各地のデパートなどで展覧会が開かれていました。

 僕は先日、2度目の静岡旅行に出かけました(1度目はVol.11に掲載)。今回の旅でもっとも楽しみにしていたのが、静岡市立芹沢銈介美術館。静岡市出身である芹沢銈介の800点に及ぶ作品、そしてかなりの収集家でもあったため、約4500点のコレクションが所蔵されています。

静岡市立芹沢銈介美術館

 展示のなかでまず目に飛び込んできたのが、のれん。藍色に染められたのれんに「縄ののれん」を掘って染め上げ、二重の意味を持たせているトリッキーでユーモアのある作品は、なんとも粋で見事でした。そのほかにも着物、帯、屏風絵、手ぬぐいなど、日本の伝統的な工芸品が並びます。

 芹沢銈介は、1895年に呉服屋の二男として生まれました。幼い頃から絵を描くのが好きで、中学では「静中画会」を発足、すでに回覧雑誌まで発行していました。その後、東京の工学科で図案を学び、画家からデザイナーの道へと方向を変え始めます。

 静岡に戻り、日々デッサンに打ち込む毎日。そのかたわら「このはな会」という、デザインから編み物、刺繍、絞染などを行って作品を発表する手芸グループを発足させ、展覧会で最高賞を受賞。徐々にその存在感を強めていきます。

 また沖縄の紅型(びんがた)にも影響を受け、ある時期から「型染」という技法に集約し、自らの作風を確立させていきました。やがて民芸運動を起こした柳宗悦を師と仰ぎ、柳の発行した機関誌「工芸」の装丁を、すべて型染で制作。これをきっかけに出版界でも注目され、生涯で500冊以上もの本の装丁を行ったそうです。

 僕が以前から心を奪われていた表現は「漢字の模様化」。「風」「夏」「心」などの文字を、まるで帯をたたんだり結んだりするように、デザインしていきます。ある意味、現在のタイポグラフィの先駆者ではないでしょうか。戦後の混乱から再び身を起こし、芹沢染物研究所を率いていた昭和30年代以降、こういった新たな方向性を次々と見いだしていきました。

型染

 晩年にはパリの美術館で大規模な展覧会を開き、その名を世界に轟かせます。国を問わず、新しい世界を感じさせてくれる芹沢のデザインは、ときにポップで可愛らしくもあり、大胆かつ繊細で、粋。それはなんといっても、収集家であった彼が常日頃からあらゆる国や地域の文化(とくに民芸)の影響を受け、勉強し続けたからこそ。さらにすべてを日本の伝統工芸のなかに落とし込んでしまうという潔さ。既存のレコードをサンプリングして、新しい音楽を作るのに似ています。

 芹沢銈介美術館でたくさんの刺激を受け、ほかにもいろいろとまわった静岡旅行の帰り、小田原に住む古くからの友人宅に寄りました。そういえばこの彼もかなりの収集家。一軒家を借りて1階から2階、屋根裏部屋まで、それなりの値が付きそうなヴィンテージのお宝で、足の踏み場もないほど溢れ返っています。そこから影響を受けて、ときには新しいデザインを施し、商品にするのが彼の仕事。ここにも芹沢銈介がいた、と感じた旅の終わりでした。




キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。