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Vol.86 串田孫一と「Night Hike」

  • 2015年6月25日

 好きな作家のひとりに串田孫一がいます。若い頃から登山を愛し、大学で教鞭を取りながら、500冊以上の本を執筆しました。その内容は、山岳文学、画集、哲学書、翻訳ものなど、多岐に渡ります。また詩人の尾崎喜八、「日本百名山」で有名な作家の深田久弥などとともに、山の文芸誌「アルプ」を創刊、300号まで発刊し続けました。

 山に登ることが多かった10年ほど前、山に関する本をいろいろと探っているうちに出会った一冊。それは串田孫一によるエッセイと絵で構成された「山と行為」という本で、友人が営む古道具屋で購入しました。これは「山と仲間」という雑誌に、1978年から1980年まで掲載していたものを、まとめたものだそうです。そのほかに書き下ろしのエッセイも含まれています。

山と行為

 「登ることについて」という短文ではこう書かれています。「恐怖と無関心が山をよく見る気持ちを抱かせなかった頃、山頂が空を越え、無窮の世界へと続いているように思えていた。この考えを抱けなくなってしまった私たちは、少しばかり不幸である。」「だがその(登るという)行為を開始すると、山は私たちに多くの登り方を要求した。まるで知恵くらべをしているように。そして音楽の主題と変奏に似たものが登る行為にもあった。」

 この本を買った頃、僕は「Night Hike」という曲を作ってミニアルバムとして発表していました。その歌は小学生の頃にボーイスカウトに参加し、夜の真っ暗な闇のなか、ひとりずつ山に分け入っていって懐中電灯ひとつだけでえんえんと歩く、という体験をしたことに由来します。それまで経験したことのなかった暗闇と静寂のなか、足が震えるほどの恐怖を乗り越えたと同時に、まだ子供だった心のなかに小さな哲学が生まれたのを記憶しています。

Night Hike

 ちなみに「Night Hike」には「静寂が今 僕の迷いを消す どんな戯れの声も途絶え 息を飲み込むだけで 道に咲く花たちが揺れ動く」という表現があるのですが、音楽で「静寂」を表現できないか、ということにこだわって作りました。話が飛びますが、現代音楽家ジョン・ケージも、かつて「4分33秒」という沈黙の楽曲を創りましたが、それをポップスで形に出来ないかと思ったのです。

 串田孫一の文章を読んでいると、いつでも静寂と暗闇がすぐ隣にやってきて、それがなんとも心地よい気持ちになります。エッセイのひとつひとつが、自然の中に身を置くことで自分が無になれるような感覚に近いのと、彼独特の、観察力にすぐれながらどこか都会的で軽やかな文体のせいもあると思います。

 ゆっくりとした雲の流れを目で追ったり、星の瞬きの横に新しい星を見つけたり、山小屋やテントのなかで虫の声を聴きながらじっとたたずんだり。手をかざすだけで空気の切れ目が見えるような、そんな研ぎ澄まされた瞬間に対する憧れ。「Night Hike」を作ったばかりの自分がこの本を手にして、どこか同調するものを感じて、嬉しくなったのを覚えています。

 串田孫一の本は、「山のパンセ」という人生を説いた本がとても有名ですが、「ギリシア神話」を基本から学べる本や、「文房具56話」という道具にまつわるエッセイなども面白いです。

串田孫一の本

 さらに僕の愛読書は、串田孫一が中村雄二郎とともに共同で翻訳したアランの「幸福論」。楽観主義でいることと、余計なことを考えずに行動すること、優柔不断を捨てること。フランス人らしい皮肉と洒脱なユーモアに満ちた表現は、人生指南書でありながらどこかショートショートのような読み応え。いろんな訳がありますが、登山道さながら人の進むべき道を的確に捉えた、串田孫一のフィルターがかかったこちらの訳書をお勧めします。




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