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Vol.66 鎌倉お寺ライブと浴衣

  • 2014年8月28日

 お盆の8/15、鎌倉の円覚寺(えんがくじ)のなかにある佛日庵というお寺で、ライブを行いました。円覚寺は鎌倉時代後半の1282年、ときの執権である北条時宗が、中国から来ていた無学祖元という僧を招いて開山しました。禅の道を広めること、また当時の蒙古軍(モンゴル)との戦の戦没者を慰霊する目的もあったようです。円覚寺の敷地はとても広く、中にはさらに17のお寺が建立されています。

 今回は鎌倉に住みながら活動する、小川コータくんと「とまそん」くんの企画に誘ってもらいました。お寺でライブをするミュージシャンは年々増えて来ましたが、そのためには会場側が音楽に好意的であることがたいへん重要です。佛日庵のご住職が音楽好きで、こういったイベントをよく開いていることも背景にありました。

円覚寺 佛日庵

 鎌倉は海以外の三方を山に囲まれており、それが軍事的な防御の要にもなっていたのですが、人の往来には苦労していました。そんな鎌倉時代、山や丘を削った「切り通し」が多く作られ、今も残されています。(トンネル状に丸くくり貫いた「釈迦堂」という切り通しもありますが、今は通行止めになっているそうです。)七つある有名な「鎌倉七口」は、鎌倉の内と外を繋ぐ切り通し。そのすべてを巡って歩く人も多く、僕もいつか挑戦してみたいと思っています。

 というのも、僕の生まれ育った神奈川県の川崎市北部一帯も、「多摩丘陵」という起伏の激しい地形が続き、多くの切り通しを抜けて育ってきたからです。まわりは関東平野であるにも関わらず、この地域だけやたらと心臓破りの坂が多いので、少々理不尽な思いを抱えつつ(笑)。 その代わり、坂を上る足腰には自信があります。

浴衣

 今回、浴衣を着て初めてライブをしました。借り物だったのですが、事前に着付けを教えてもらって、覚えることができました。帯の両端を「テ」と「タレ」と呼び分けて、三重に巻いていきます。なかなか難しい、、、。

 浴衣の語源は「湯帷子(ゆかたびら)」。平安時代にさかのぼると言われています。昔の人はその麻の着物を着た状態で、蒸し風呂に入って身を清め、心身をリフレッシュさせていました。

 江戸時代後期になると裸で湯船に浸かるようになり、入浴後のバスローブとして使われていたものが、やがてその後の夕涼みや、寝屋の着物になっていきます。外へ出掛ける際に着ていくのが一般的になったのは、明治時代以降のようです。

お寺ライブ

 佛日庵でのライブの途中では、ご住職やそのご家族も交えてのセッション。会場の雰囲気もそうですが、このバンドメンバー構成もなかなか珍しいのでは(笑)。お寺の木が音をちょうどよく吸収してくれて、歌っていてとても気持ち良かったです。

 夜は歴史的建造物をぐるりと囲って踊る、円覚寺の盆踊り。浴衣姿の人をたくさん見かけました。最近は若い人も気軽に浴衣を着ていますが、風通しが良く、胴長の日本人の体系にも合った理想の服装なのです。他の国にはない、まさに日本の夏の風物詩。この日はその輪に少しだけ入れた気がして、嬉しかったです。




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