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Vol.62 湯ヶ島の蛍と文豪たち

  • 2014年7月3日

 今は蛍の季節。昨年、近所の里山で蛍に出会ってから、その魅力にすっかりハマってしまっています。その仄かな光に癒されることと、森林や水辺の環境が保たれている証拠を知ることで、二重に嬉しい気持ちになるというのもありますね。

 先日は、静岡県・伊豆の湯ヶ島へ行ってきました。ここは演歌の「天城越え」でも有名な天城峠のまわりに点在する天城温泉郷のひとつ。そして夏になると毎年「天城ほたる祭り」が開かれる場所でもあります。今年は6/1から7/7まで。湯ヶ島には、狩野川の支流である猫越(ねっこ)川と本谷川が合流するところがあり、その辺りで蛍をたくさん見ることができます。

天城ほたる祭り

 よく日本で観察されるゲンジボタルの生態を、ここで簡単に説明します。まず、夏の終わりに川べりで卵から孵った幼虫は川の中へ潜り、水中でカワニナなどを補食しながら育ちます。そのまま秋と冬を越え、春の雨の夜に川岸へ上がり、今度は土の中に潜ります。そこで泥を集めた土まゆを作り、徐々にサナギになっていき、5月の終わりから6月のはじめ、成虫になって飛び立ちます。成虫の期間はわずか1〜2週間。そのあいだに相手を見つけて交尾をし、メスは産卵の時期を迎えます。

 この日はおもに本谷川の橋の上から、たくさんの蛍とその光を見ることができました。高く舞い上がると、空の星と重なってどちらか分からなくなるときもあり、とても幻想的です。光は蛍同士のコミュニケーションに使われているようですが、その原理はルシフェリンとルシファーゼという2つの酵素の働きなのだそうです。なんとゲンジボタルは卵→幼虫→成虫と一生を通して、ずっと光ることができるとか。すごい。

 ところで、僕は代表作「檸檬」で知られる大正〜昭和初期の作家・梶井基次郎がとても好きで、体の弱かった彼が養生をしていたこの湯ヶ島温泉郷に以前から訪れてみたかったのです。5月に鎌倉で行った、好きな本の紹介とライブを組み合わせたイベント「貸切図書館」でも、梶井について少し話をさせてもらいました。そして湯ヶ島といえば、川端康成が名作「伊豆の踊り子」を執筆した宿があることでも有名で、もともと川端と仲の良かった後輩の梶井が後を追ってここを訪れ、その「伊豆の踊り子」の校正作業を手伝っていたという逸話もあります。

梶井基次郎文学碑

 梶井が1年半のあいだ逗留していたのは、猫越川に面した「湯川屋」という宿で、その宿の通りの向かいから少し山の斜面を上がったところに、「梶井基次郎文学碑」がありました。若くして亡くなった梶井が生前、川端に宛てて書いた手紙を抜粋したものが刻まれています。自然主義的な表現が特徴の梶井ですが、この文面にも湯ヶ島の風景が柔らかく描かれていて、読んでいて嬉しくなりました。

 さらに湯ヶ島は、作家・井上靖が幼き日を過ごした場所でもあり、街中にたくさんの文学碑が立てられています。井上靖の代表作といえば、湯ヶ島を舞台に幼少時代を自伝的に描いた「しろばんば」。しろばんばとは「雪虫」のことで、白い綿を纏ったような姿で宙を舞う虫のことを指します。僕も泊まっていた宿の窓に似た虫を見つけたので「もしや、しろばんばでは!?」と思ったのですが、雪虫は冬の訪れを呼ぶ秋の虫なので、単なる思い込みだったようです。

 梶井基次郎に話を戻すと、ここ湯ヶ島では、「冬の日」「冬の蠅」「蒼穹」「器楽的幻想」「桜の樹の下には」などを執筆しました。「桜の樹の下には」という散文のようなごく短い一遍には、薄羽蜉蝣(ウスバカゲロウ)の生と死を見つめた表現が登場します。

 水のしぶきのなかから飛び立った生まれたばかりの蜻蛉たちが、空のなかで結婚をする姿を想像するのですが、その直後、産卵を終えた蜻蛉たちの、水面に浮かぶ無数の屍を目にします。美しさとその対極の暗澹(あんたん)たる闇を用いて、「桜の樹の下には死体が埋まっている」という話もあながち嘘ではない、と表現するのです。

 蛍、雪虫、蜻蛉。湯ヶ島の虫たちが、自らの光や、月と太陽の光のなかで懸命に輝く姿を、心に留めることができたような、そんな旅でした。またいつか、ゆっくり訪れてみようと思います。




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