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Vol.58 歩きスマホ、戦前のモラル

  • 2014年5月8日

 歩きスマホ、いわゆる歩きながらスマートフォンを見る、もしくはスマートフォンを見ながら歩く、どちらでもいいのですが、ついついしてしまっている人は多いのではないでしょうか。自転車や車の運転中と合わせて、「ながらスマホ」はとっても危険。でもそういう僕も、いけないとは思いつつも、急いでいるときに調べながら歩いてしまうこと、ときどきあります。

 友人のひとりが以前、「自分はきちんとよけて歩けるから大丈夫」と言っていました。はたしてそうでしょうか。僕は駅で乗り換えるときに何度か、歩きスマホをしている人に注目しながら歩いてみました。するとたいてい、スマホを見ている人がよけているのではなくて、それ以外のまわりの人がよけているのです。よける人もぶつかる寸前でかわすことに慣れてしまっている、、、。ためしに意地悪でまっすぐ歩いてみたら、やっぱり歩きスマホの人とぶつかりました。

 終電の時間帯、最寄りの駅でタクシーを待っていると、スマホを見ながらさらにイヤフォンをした状態で道を横断していくサラリーマンを見かけました。そこへタクシーが速めのスピードで(稼ぎどきなので)接近、「あ、危ない!」。するとタクシーはその男性を鋭いハンドルさばきでかわし、 巣へ戻るツバメのように無事に乗り場へ到着。運転手はクラクションひとつ鳴らさなかったし、その場で並んでいた人も皆スマホを見ていたのでひとりも気が付きませんでしたが、この場所で本当に事故が起きるまで誰も学ばないのでは、と考えてしまいました。

歩きスマホを減らす対策 街が変わるには、やっぱりまずは自分から。というわけで、歩きスマホを減らす対策をいろいろ練ってみました。僕は腕時計を付ける習慣があまりなく、いちいちスマホを取り出していたのですが、なるべく時計をするようになりました。これだけで歩きスマホを何回か減らせるし、服装にもひとつ楽しみが増えます。メールはもちろん歩き出す前に済ませて、地図検索も歩きながらだと人にぶつかってしまうので、なるべく立ち止まって確認するようにして。「ちょっと遅れてます」というショートメッセージも、そもそも遅れないようにすれば出す必要も無いし。お、どんどん余裕のある大人になれる気がしてきました。これは一石二鳥なのでは。

 スマホは若い世代ほど定着していますし、こういったマナーやモラルに関しては「最近の若い者は」という言葉に繋がりがちです。でも、大倉幸宏さん著「『昔はよかった』と言うけれど:戦前のマナー・モラルから考える」という本を読むと、いつの時代も変わらないんだなぁ、というのがよく分かります。むしろ、当時の一線を越えたモラルの無さ、これが日本なのか、という衝撃を受けてしまいます。

ながらスマホ たとえば列車のなかに関しては、戦前においてもコンパクトを取り出してお化粧を始める女性は多く、それにもの申すコラムもよく書かれていました。それだけに限らず、混み合う車両でも大荷物で席を占領する人、泥の付いた靴のまま子供を席に上がらせて窓の外を見せる母親、裸になって着替えをする男性、派手に酒盛りして歌を歌う集団。まだ列車自体が世間に登場したばかりの時代、「公共」という概念が薄かったのかもしれませんが、それにしてもやりたい放題。数年前の東京メトロの、話題になったマナーポスター「家でやろう」というキャッチフレーズを、そのまま伝えたいくらいです。

 この本ではそのほかに、道や公園、河川などに無造作に捨てられるゴミの話、積み荷だろうとパーティ会場だろうとモノを勝手に抜き取ってしまう悪い習慣、甘かったしつけや道徳、ときには残酷な事件や風習についても書かれていて、民俗史を知るうえではとても読み応えのある内容です。今でも、例えば海外の旅客機のアメニティグッズを勝手に持ち帰る人はいますし、世界遺産の法隆寺に派手な落書きをした、なんていうニュースもつい先日聞きました。

 でもやっぱり、昔に比べれば日本のモラルはずいぶんと向上したのは事実だと思います。さて今の自分は、皆さんは、実際のところどうなんでしょう。僕は今日も、どこかで人に迷惑をかけなかっただろうかと眠る前に気になり、明日こそ歩きスマホしないぞとつぶやく、まだまだ余裕の足りない大人のひとりであったりします。




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