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Vol.35 雲の名前と僕の歌

  • 2013年5月30日

 やたらと強い風が吹き荒れた今年の初春に比べ、4月後半から5月は平年並みの穏やかな気候が多かった気がします。空気が適度に乾いているし、新緑の緑と空の青のコントラストも気持ちよく、天気の良い日は思わず空を見上げることもしばしば。風のない日は、まるでそこにいつまでも留まっているかのような、いろんな形をした雲を眺めるのも楽しいものです。
 空、雲、風、雨、などなど、自然界を表す言葉は、普遍的であると同時にその言葉の響きが柔らかく、歌にするときにメロディに乗せやすいので、僕の書く歌詞にもやはりよく登場します。そのなかでも僕は、あえて意識して「雲」の名前を頻繁に使います。形によってキャラクター性の濃い名前が多く、考えるだけで楽しいのです。

雲

 雲の名前は、現れる季節や、位置している標高の違いによってもいろんな呼び方があります。でも積乱雲、乱層雲などの気象学用語は、響きがいまいち固くて歌詞にしてみようとはあまり思いません。どちらかというと昔の人がいつの間にか名付けたような、比喩や心情を表現したいわゆる「俗称」の方が、響きが柔らかく歌には好ましいです(それはもちろん、雲の名前だけに限らないのですが)。

 僕が実際に歌詞として書いた歌を例にしていきたいと思います。まずは僕のライブでは定番の「カーブミラー」という曲。「何かを知っている街の子供は雲足を追い掛けていく」という歌詞が出てきます。雲足(くもあし)は「雲脚」とも書きますが、雲の流れる様子を意味し、神具によくある机や台の折れ曲がった脚のことも指します。「雲を追い掛ける」より「雲足を追い掛ける」の方が、臨場感が出る気がしませんか。
 「ぼくたちの音楽」という曲では「君は飛行機のなかで長い居眠りに飽きて 今ごろはきっと僕を羊雲に乗せて飛ばすだろう」と歌っています。これは上から見下ろした高積雲の様子ですが、羊雲(ひつじぐも)は文字通り、柔らかくて白い毛に包まれた羊の群れが進んでいくように見えます。遠くへと旅立つ「君」が、「僕」を羊雲の背中に乗せて息をふっと吹きかけ、記憶の彼方へと飛ばしてしまう、、、そんなストーリーを想像して書きました。

雲 まだCD音源としては未発表の曲なのですが、最近作った「丘陵叙景」という曲にも「滲む目で探した鱗雲」と出てきます。鱗雲(うろこぐも)は、羊雲よりもさらにひとつひとつが細かいまだらな雲の集まりことで、秋の空によく見る事ができます。この歌は他の行に「秋風」と出て来たりするのですが、こうやって季節を意識して言葉を選ぶことも多いです。同じような雲を鰯雲、鯖雲と呼んだりもするのですが、やっぱり秋は魚に脂がのって美味しい季節だからですかね(笑)。
 まだまだあります。「ナズナの茶漬け」という変わったタイトルの曲では「東京は雲の上 よじ登って行けそうだよ」と書きました。生まれた時だけ住んでいた田舎のおばあちゃんの家に遊びに来た、という設定で書き始めた歌なのですが、さっきまで暮らしていた東京の街がまるでもともと無かったかのような、そんな忘却にふけっている主人公を自然に表せたような気がしています。

 ほかには「雲と行動学」「雲のリフト」とタイトルに「雲」が出てくる歌もあります。歌詞には「雨雲」という言葉もよく使いますね。そういえば、もうすぐ梅雨の季節がやってきます。わざわざ探さなくても毎日のように、その雨雲に出会うことになりそうです。少し気だるい顔をした雲たちかもしれませんが、部屋の窓や傘の隙間から時々眺めながら、新しい歌を何か作ってみたいと思います。




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